「反・忖度の元祖、和気清麻呂」の続きです。
1 これを読んだ読者から、「ならば、和気清麻呂像は皇居の外れにおかず、首相官邸の前に移してはどうですか」という意見がありました。
2 中国古典に詳しい肝冷斎に、良い例がないか聞いてみました。以下、その返事の要約です。
「論語」等に出てくる「直言す」(はっきりいう)というコトバが近いでしょうか。しかし、和気清麻呂のような人については、「孟子」公孫丑篇上に出て来る孔子の言葉がぴったりくるのでは。
むかし、(わたし孟子の先生の先生であり、孔子の高弟である)曾子が(魯の有力者である)子襄に対して言ったそうです。
―わたしはかつて夫子(孔子)に、大いなる勇気(「大勇」)について訊いたことがあります。先生はこうおっしゃった、
「自ら反りて縮(なおか)らずんば、褐寛博(かつかんぱく)といえども吾おそれざらんや。自ら反りて縮(なお)ければ千万人といえども吾往かん」と。
「縮」は「直」なり、と注があります。
「自分で反省してみて正しくないと思えば、相手が粗末な服を着た庶民であっても、わたしはおそれおののかざるを得ない。自分で反省してみて正しいと思えば、相手が千万人いても、わたしは立ち向かうだろう。」
「大日本史」以来の清麻呂像を前提にすれば、中国歴代の諫官の伝統(例えば、漢の成帝に諌言して、退出を命じても宮廷の欄干につかまって離れようとせず、ついに欄干を折ってしまって「折檻」の語源になった朱雲、唐の太宗皇帝にたびたび直諫した魏徴)に沿って、清麻呂はまさに、「千万人といえども吾往かん」の人といえましょう。