カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

他自治体からの被災地への職員応援

能登半島地震の被災自治体に、他の自治体から職員が支援に入っています。報道でも取り上げられています。

「能登半島地震の被災地では、少なくとも1千人超の自治体職員が全国から集まり、被災自治体の業務を支援している。派遣先は主に、「対口(たいこう)支援」の方法で割り振られた。災害が続く近年、経験の共有とともに、自治体同士がスムーズに支援し合える取り組みが進む・・・」1月26日の朝日新聞夕刊「つながり深まる自治体支援 能登へ職員派遣 全国から1千人超、国が橋渡し

「能登半島地震からの復旧に向け、被災自治体ごとに支援役の自治体を割り振る「対口(たいこう)支援」が採用されている。ペアになることで役割を明確にし、やりとりを円滑にする狙いがある。サポート体制を強化するには災害に強い人材の育成も必要になる・・・」1月29日の日経新聞「被災地と支援自治体をペアに 役割明確化

被災自治体では突然に膨大な、そして経験したことのない仕事が生まれます。被災者支援、避難所運営、がれき片付け、仮設住宅斡旋、町の復旧などなど。国も支援に入りますが、自治体事務は自治体職員が慣れています。
東日本大震災から、他の自治体が応援職員を派遣することを本格的に始めました。姉妹盟約を結んでいる自治体同士もありますが、総務省が斡旋する仕組みを作っています。「被災地方公共団体に対する人的支援の取組」。制度の解説とともに、実際の活躍風景を載せてくれると、わかりやすいのですが。

令和6年能登半島地震 こども食堂応援基金

令和6年能登半島地震 こども食堂応援基金」を紹介します。

甚大な被害が出た能登半島地震。いろんな支援がなされています。今回紹介するのは、子ども食堂応援のための募金です。
趣旨をお読みの上、賛同いただける方は参加ください。

追記
6日の夕方にこの基金を見たときは、400万円台でしたが、8日夕方には600万円に達しました。(このホームページがどの程度貢献したかはわかりませんが)ありがとうございます。便利になりました。インターネットでの募金の威力を改めて認識しました。

岡本正著『災害復興法学Ⅲ』

岡本正著『災害復興法学Ⅲ』(2023年、慶應義塾大学出版会)を紹介します。著者は、東日本大震災以来、被災者支援と被災地復興に携わった経験から、災害復興法学の分野を切り開いた第一人者です。その著作、第3弾です。
新著には、新型コロナウイルス感染症、異常気象という最新の大災害が取り上げられています。内容も分厚く、その執筆ぶりに脱帽します。

かつては災害に関する法律は、政府の側に立った災害対策基本法や災害救助法、国庫負担法などしかありませんでした。「天災だから、あきらめるしかない」という思想がありました。阪神淡路大震災や東日本大震災の経験から、被災者の生活を支援すべきだという考え方が広がりました。そして、被災者の生活を保障することが、当然のこととなったのです。
紹介文には、「災害復興法学は、医療、看護、福祉、公衆衛生、公共政策、事業継続、リスクマネジメント、メディア等の様々な分野と連携しながら、学校教育、社会教育、生涯学習、金融教育、主権者教育、消費者教育、防災教育として、あなたの傍にある」と書かれています。

被災者と向き合う市町村役場職員には、有用な本です。
著者は「法学法律学としては全く事前知識は無用であり、社会人の皆様なら全く難なく読めてしまうと思います」と言っておられます。

原発事故除染土壌の受け入れ

6月12日の朝日新聞夕刊、大月規義・編集委員の「福島から550キロの本州最北の村、除染土受け入れに揺れる」から。

・・・青森県の下北半島にある風間浦村。津軽海峡の向こうに北海道が見える、本州最北の村だ。
5月下旬、東京電力福島第一原発に近い高速道の双葉インター(福島県双葉町)から車で550キロ離れた同村を訪れた。
双葉町から出発したのは、約3カ月前のニュースがきっかけだった。風間浦の冨岡宏村長(61)が、原発事故の除染で集められた土を再利用する実証事業について、受け入れの検討を明らかにした。どんな村なのか・・・
・・・2000年代後半、東隣のむつ市との合併構想があった。大きな市にのみ込まれる警戒心から、村民は住民投票で反対した。次に、西隣の大間町などとの合併を模索した。今度は大間町に拒否された。電源開発(Jパワー)の大間原発が立つ同町は、多額の原発交付金を独占し続けたかった。
むつ市にも、原発の使用済み燃料を一時保管する施設がある。風間浦村は、原発マネーで潤う2市町に挟まれる。
冨岡村長は一昨年の村議会で「(村内に)原発関連施設などの誘致の可能性を調査する」と答弁した。それが除染土を使った実証事業の検討につながった。

除染の土砂は15年から、第一原発がある双葉、大熊両町の「中間貯蔵施設」に集められている。4月末時点で東京ドーム11個分の1347万立方メートルに達した。除染土は30年後までに福島県外に運び出し、最終処分する。2町はそれを条件に施設を受け入れた。
処分量を減らすため、環境省は「除去土壌の再生利用」を考えた。土砂を放射能の濃さでふるい分け、「1キロ当たり8千ベクレル以下」の危険性が低い土を全国の公共事業などで利用してもらう事業だ。
試算では再利用できる土は全体の約4分の3。昨年末、東京の新宿御苑や埼玉県所沢市で実証事業をしようと試みた。だが、周辺住民や自治体が反対し、計画は凍結している。約5年前は福島県の南相馬市や二本松市で検討した。そのときも地元の反対で撤回した。
唯一、実証事業を受け入れたのが福島県飯舘村だ。これには事情がある。飯舘村の帰還困難区域について、政府はほとんど避難指示を解除するつもりはなかった。困った村は、除染土の実証事業の受け入れを「交換条件」に、避難指示の解除エリアを広げた。
一方、再生できない4分の1の危険な土については、受け入れ先の議論はまったくされていない・・・

・・・一番問題なのは、お金やリスク管理だ。除染と中間貯蔵施設の建設・管理にはすでに4兆円超が投じられた。除染土を同施設に閉じ込めている今の状態から、新たに巨額の費用をかけ、遠方へ拡散させる方法が賢明なのだろうか。
実は除染を始める際、環境省は福島県内に「最終処分場」を造るつもりだった。しかし、経済産業省が急きょ「中間貯蔵施設」と言い換え、「将来は県外搬出」と付け加えた。地元の了承が得やすいと考えたためだった。だが、経産省は県外搬出の責任を負おうとせず、環境省に押しつけたままだ。

5月下旬、避難指示が解除されたばかりの飯舘村長泥地区で、田植えが始まった。地下1メートルに再生利用の除染土が埋められ、地表に普通の土が敷かれる。これまで再生土で育てた野菜や花の試験栽培では、放射能はすべて安全基準を満たした。
地元復興組合の組合長、鴫原(しぎはら)清三さん(68)は「安全なのだから、使っても大丈夫だ」と言う。避難先の福島市から、長泥地区に週に3日ほど通って農作業をする。風間浦村のこともニュースで知っていた。
「そんな遠くへ持って行かなくても……」。長泥地区でもまだ東京ドーム約2個分の土砂を入れる余地はあるという。こう語った。
「将来にツケを回す前に、自分たちの世代で問題は片付けないといけない」
原発事故の問題や責任を押しつけ合う行政の人たちに、聞いてほしい言葉だった・・・

大月記者は「その場しのぎの繰り返し」など、長期に取材していなければ書けない記事を書いています。