1月23日の日経新聞「アジア跳ぶ、現地ルポ」に、ミャンマーの首都ネピドーの丸紅出張所長の話が紹介されていました。ネピドーは旧の首都ヤンゴンから300キロメートル離れ、密林を切り開いてできた町です。住んでいる日本人は、もう一人の職員と合わせ2人だそうです。
安全な町なのですが、居住困難度は最も高いと判定されました。理由は、孤立感と医療水準の低さだそうです。周りに、日本人どころか外国人がいない。ミャンマーの政府高官も、週末はヤンゴンに戻ります。空港はあるのですが、国際線が就航していません。万が一、重病になっても医療設備の整った近隣国に駆け込むことも難しいのです。気候の他、風土病や食糧事情が悪い国での生活は大変だと知っていましたが、「孤立感と医療水準」の2つは、なるほどと思います。
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新しい社会のリスク、セルフネグレクト
1月22日の日経新聞夕刊に、セルフネグレクトの記事が載っていました。アメリカで生まれた概念で、「高齢者が通常1人の人として、生活において当然行うべき行為を行わない、あるいは能力がないことから、自己の心身の安全や健康が脅かされる状態に陥ること」だそうです。
内閣府の経済社会総合研究所の調査では、自治体の地域包括支援センターや民生委員が把握している件数は、7,394件です。これをもとに推計すると、全国では約1万人のセルフネグレクト状態の高齢者がいることになります。
高齢者が一人住まいになると、自分の生活に関して意欲や能力が低下して、無頓着になります。家の中が散らかり、ゴミ屋敷にもなります。各自治体が、ゴミ屋敷対策に乗り出していますが、このような高齢者を支えないと、ゴミ問題は繰り返されるだけです。
一方、「監視社会になってはいけない」という指摘もあります。自己決定権を、他人が邪魔をしてはいけないのです。しかし、健康や判断能力が低下している場合は、後見人制度など、支えが必要でしょう。意識がしっかりしていて、「放っておいてくれ」という人をどうするか。これは難題です。
孤独な社会での、新しいリスクです。この調査は、昨年1月に公表されているようです。よい調査をしてくださっていたのですね。かつて経済企画庁に「国民生活局」があったのですが、なくなってしましました。私がこのホームページで取り上げているように、「生活の安心」を所管する部局が、国にも自治体にも必要です。
自殺者減少
1月18日付の各紙が、2012年の年間の自殺者が3万人を下回ったことを、伝えていました。2011年に比べ、約9%の減少です。1998年に3万人を超えてからなので、14年間3万人を超えていました。このHPでも、毎年、紹介していました。まだまだ、多いことに変わりはありません。自殺は理由が単純ではなく、対策は難しいです。そして、お金とブルドーザーがあればできるものではありません。人と人とのつながりであり、継続した関わりが必要です。
自殺は、社会の状況を反映した指標です。結婚しない人や子どもを作らない人が増えていることも、若者が社会に対する信頼を失っているからだと思います。どのような社会を作るか。私たちの努力が、問われています。
国際的な社会のリスク
1月9日の日経新聞夕刊が、世界経済フォーラム(ダボス会議)が「2013年版グローバル・リスク」をまとめたことを、伝えていました。
この報告書では、経済、環境、地政学、社会、科学の5分野で、それぞれリスク要因を挙げて、その影響の大きさと可能性を数字で表しています。リスク要因としては、慢性的財政赤字、所得格差、地球温暖化、気候変動への対応、テロ、国際ガバナンスの失敗、水や食糧不足、高齢化、宗教対立、重要システムの故障、サイバー攻撃などが挙げられています(報告書p4)。
個人のリスクは各人が予防し、さらに共助や公助で救います。国家内のリスクは、各国政府が責任を持ちます。国境を越えたリスクを、どう予防し管理するか。
そこには、気候変動や伝染病といったそもそも国境のないリスク、テロやサイバー攻撃のように国境を越えるリスク、戦争のように国家が起こすリスク、財政危機や金融危機のように他国に影響を与えるリスク、食糧不足や高齢化といった各国に共通するリスクがあります。そして、科学技術の進歩と経済のグローバル化が、各国を相互依存させ、リスクを拡散しやすくしています。
連載「社会のリスクの変化と行政の役割」では、国際的リスク管理は、ひとまず対象外にしたのですが。
地域包括ケア
第6回復興推進委員会の議論の中で、高橋紘士先生の「地域包括ケア」についてのお話が、勉強になりました。詳しくは資料(特にp2~6)を見ていただくとして、私が理解したことは次の通りです。
「地域」ということは、施設に入れて社会から切り離すのではなく、地域でみんなと一緒に支え合うことです。施設に入れてしまうと、社会から排除し、本人もやる気がなくなってぼけます。集中・排除型でなく、分散・溶け込み型です。
「包括」ということは、介護だけでなく、医療、そしてその前の保健・予防が一体となって支援することです。
さらにその際には、介護保険、病院、医療保険、検診といった「制度による支援」だけでなく、「その下」にインフォーマルな支援が必要です。先生がおっしゃったのは、「公的な制度が成り立つ前提には、親密性が必要である」「公助の前に、互助・共助が必要」ということでした。
互助はどのようにして作るかという点について、「互助は作るものではなく、生まれるものである。生まれるように誘導することだ」という発言にも、納得しました。
ところで、地域包括ケアの趣旨は、介護保険法に定められています。いずれ、「地域包括ケア法」あるいは「基本法」が必要なのでしょうね。
第5条第3項 国及び地方公共団体は、被保険者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、保険給付に係る保健医療サービス及び福祉サービスに関する施策、要介護状態等となることの予防又は要介護状態等の軽減若しくは悪化の防止のための施策並びに地域における自立した日常生活の支援のための施策を、医療及び居住に関する施策との有機的な連携を図りつつ包括的に推進するよう努めなければならない。