「連載「公共を創る」」カテゴリーアーカイブ

連載「公共を創る」第125回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第125回「社会参加政策のあり方―スウェーデンとドイツ」が、発行されました。社会参加の意識を議論しています。

前号で紹介したスウェーデンの政治教育のために、若者・市民社会庁が作った副教材「政治について話そう!」には、学校において中立を保ちながら政治を教えるためにはどうしたらよいか、どうしたら騒動を起こさずに安全な討論会を実施できるかといった実践的な事項も書かれています。「学校は価値中立にはなり得ない」こと、すなわち社会の中にある多様な価値観をすべて公平に扱うことはできないと断言しています。翻って日本の状況を考えてみると、学校だけでなく、家庭などでも政治の話、特に意見対立がある争点については触れないようにすることが多いようです。

同国には若者を社会参加に誘う場として、若者団体のほかに「ユースセンター」「若者の家」という余暇活動施設があります。中学・高校生世代が誰でも自由に出入りできます。そこは、学校でも家庭でもない「第三の居場所」として機能しています。

スウェーデンで積極的な若者政策が国政において取られ、発展してきたのは、ここ30年のことです。経済成長を遂げて成熟社会の段階に入った頃から、人生の選択肢が増え、「良く生きる」ことが単純明快なものでなくなりました。かつては多くの人にとって「家庭→学校→就職→家庭を持つ」という単線的だった人生が、そうではなくなったのです。このことから生じる人生への不安や悩みが、学校から社会に出ようとして選択しなければならない立場にある若者に集中するようになりました。

1981年の政府報告書は「若者が、商品やサービスの消費者になっているだけでなく、自分自身の人生においても『消費者』になってしまい、結果として自身の人生を自分で決めることができなくなっている」と述べています。そこから、社会の発展に必要な彼らを、社会と政治に参加するようにさせることに踏み出したのです。

連載「公共を創る」執筆状況

恒例の、連載原稿執筆状況報告です。
8月18日号の締めきりが近づいたので、執筆を急ぎ、また右筆にも急いでもらって、完成させました。なんとか、締めきりに間に合いました。先週と先々週は、ほかの原稿執筆があり、また講演もあったので、執筆時間が取れなかったことが原因です。でも、それって、いつものことなのですよね。

ところが、次の締めきりが、1週間後にやってきます。
夏の間に書きためて、貯金をしたいのですが。別の原稿もあるし、暑いとそんなに気力が続かないし・・・。8月末には、同じことを言っていると思います。

ところで、森鴎外の死後100年とのことで、報道で鴎外が取り上げられています。陸軍に勤め、軍医総監・医務局長まで出世しました。その間に、あれだけの名作を残しているのです。すごい人ですね。明治の人には、すごい人がたくさんおられます。

連載「公共を創る」第124回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第124回「社会参加の意識─諸外国との比較」が、発行されました。国民の政府や政治に対する意識の次に、社会参加の意識を議論します。

日本人は「思いやりの心」「助け合いの心」が高いと言われるのに、日本人の人助け指数は世界で最下位です。矛盾しているように見えますが、これまでの本稿の議論を踏まえると、次のように説明できるでしょう。
日本人は他者への思いやりが強いといわれますが、それは知っている人や身内の人に対するものであり、見知らぬ人への思いやりは他国に比べ弱いと考えられます。また公共心が強いといわれますが、それは決められたことを守るという方向性で発揮され、公共のために自己の判断で積極的に行動することは少なく、特に見知らぬ人たちとの関係づくりは不得手です。私はこれを受動的集団主義であり、能動的集団主義ではないと表現しています

日本人の高い公共意識は、身内で成り立っていた「ムラ社会」を前提としたものであり、都会に出て来て他者と共存する場合には公共意識を発揮する経験が少なく、そのような行動は不得手だと考えられます。また中間集団への参加も少なくなっています。

この問題にどう対処するか。スウェーデンでは国民全体、また若者の投票率が極めて高いこと(約8割。日本の若者はその半分程度)を紹介しました。

連載「公共を創る」第123回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第123回「政治参加の現状─主権者教育と地方自治」が、発行されました。国民の政府や政治に対する意識を議論しています。

民主主義国家における国民は、政府や政治に関して、政府を「信頼や失望」で評価する受動的な意識とともに、自分たちの意見を提案するなど政府を支え、必要に応じて変えていくという能動的な意識も持つことができます。ところが、日本では政治参加の意識が低く、行動も少ないのです。どのようにすれば、政治参加を増やすことができるか。
その一つが学校教育ですが、学校では民主主義の制度は学びますが、「政治的中立性」の名の下に、政治には深く立ち入らないようです。

もう一つは、地方自治です。「地方自治は民主主義の学校」とは、イギリスの政治家ジェームズ・ブライスの言葉です。その元となったのは、フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』です。彼は、民主主義の三つの学校を指摘しています。自由の小学校としての地方自治、法的精神の学校としての陪審(裁判参加)、共同精神の学校としてのアソシアシオン(結社)です。

連載「公共を創る」第122回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第122回「行政と官僚ー信頼回復への道筋」が、発行されました。
行政への不信についての説明を続けます。
国民が行政に何を期待するかによって、行政への信頼そのものも変わります。官僚への国民の信頼の低下は、官僚機構が国民の期待に答えていないことともに、国民が官僚機構に「間違った期待」をしている面もあるようです。

すなわち、経済発展を進める時代には、官が民を指導することに効果がありました。しかし、成熟社会になった今では、官が民を指導することは効果的ではありません。国民が統治の客体という意識から主体であるということへの転換が必要であり、官僚主導から政治主導への転換です。
行政手法としては、例えば1990年代と2000年代に進められた、事前調整型から事後監視型への転換です。行政による民間活動への不透明な指導や事前調整をやめ、規制の規則を明確にして民間の自由な活動に委ねます。違反した場合や紛争が生じた場合は当事者の反論を可能にした上で、裁決や裁判など第三者を含めた公正な手続きの下で決着をつけます。行政の任務を、透明な手続きにのっとって規制の規則を定め、それへの違反を監視することに転換しようとしたものです。

例えば金融界では1990年代半ばから金融ビッグバンと呼ばれる自由化が進められました。ところが、金融機関は新しい仕組みへの移行に戸惑いました。時あたかもバブル経済の崩壊を受け、苦境に陥った金融機関がたくさんありましたが、もはや護送船団方式による救済は受けることができませんでした。長期信用を担っていた銀行をはじめ、幾つもの金融機関が倒産することになりました。

報道機関や政治家、国民による官僚たたきの中には、今なお官僚主導を期待し、それができないことへの不満があるようにも思えます。事前調整から事後監視へという改革が、行政の改革以上に国民の意識と行動の改革であることが、まだ十分に理解されていないように思えます。

今回の改革は、明治維新、戦後改革に並ぶ「第三の改革」「第三の開国」とも呼ばれます。日本が経済力で世界の先進国となったのですが、それがはじけて停滞したのが平成時代でした。30年かけても、まだ改革の道筋が立っていません。それは、前二回の改革が指導者たちが手本を輸入することで達成できたのに対し、今回の改革は国民の意識と行動を変えるものだからです。