カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」110回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第110回「社会意識の変化」が、発行されました。
政府による社会への介入のうち「この国のかたち」の設定として、倫理と慣習について議論してきました。今回は、社会意識を取り上げます。ここでは、私たちの行動に表れるものを慣習とし、行動に表れないものを社会意識とします。

戦後70年、特にこの半世紀で、日本社会での寛容度は大きく広がりました。かつてはミニスカートや男性の長髪は批判される身なりでしたが、現在では許容されています。これは、国民が豊かになったこと、女性が社会に進出したこと、宗教や地域での制約が弱くなったことが背景にあります。
社会意識は政府が関与しなくても、つくられ変化するものです。しかし、政府の関与が行われる場合もあります。男女共同参画や働き方改革は、夫は仕事に出かけ妻は家庭を守るという社会意識を変えようとするものです。ボランティア活動は、政府が主導したものではありませんが、阪神・淡路大震災から若者が積極的に参加するようになりました。

課題は、社会をよくする際に問題となる社会意識を、どのように変えていくかです。
その一つが、集団主義と画一的教育です。日本人の特徴と指摘される集団主義、実は受動的なものであって、能動的には参加していません。自分を大切にして世間の目を気にする、個人主義なのです。

連載「公共を創る」109回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第109回「倫理や慣習への介入」が、発行されました。
前回から、政府の役割として「この国のかたちの設定」を説明しています。今回は、差別禁止の次に、倫理や慣習への介入を取り上げます。

社会倫理を定める例として、生命倫理(何を持って死とするか、尊厳死を認めるか)、風俗の罪(わいせつや賭博)を挙げます。他方で、憲法が定めていながら、政府が積極的に行動していないこととして、第27条第1項の労働の義務があります。
これらが突然出てくることに、皆さん違和感を持つでしょう。ふだん社会倫理は議論されず、議論する仕組みがないのです。

政府の社会慣習への介入例として、公共の場での喫煙禁止、夏の軽装(クールビズ)があります。電車の駅での整列乗車やエスカレーターの片側空けは、政府でなく会社が呼びかけたものです。エスカレーターの作法は、現在では2列で立ち止まって乗るように誘導されています。

連載「公共を創る」108回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第108回「「国のかたち」の設定─平等と倫理」が、発行されました。
前回から、政府による社会(狭義)への介入を説明しています。公共秩序の形成、国民生活の向上の次に、「この国のかたちの設定」をとりあげます。

それは、倫理、慣習、国民の共通意識(社会意識)などへの関与です。これらを政府の役割として取り上げると、疑問を持つ人もいるでしょう。「内心には、国家は関与すべきではない」「慣習は、社会で自然とできるものだ」とです。
日本国憲法は、この国の基本を定めた法律です。そこでは、統治機構と人権について定めています。人権の規定は、基本的人権の尊重、幸福追求権、法の下の平等など、「社会の善悪」を規定しています。社会倫理の基本を定めているのです。

政府が行う「この国のかたち」の設定について、倫理、慣習、社会意識の順に検討します。今回は、平等、差別の禁止について考えます。憲法が法の下の平等を定めただけでは、平等は実現しません。その事例を取り上げます。

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
「2社会と政府(2)政府の社会への介入」のその2を書き上げ、右筆に手を入れてもらって、編集長に提出しました。その1は経済への介入で、12月半ばに提出しました。
その2は、社会(コミュニティ)への介入です。一気に書き上げることができず、まず3回分を提出し、これが2月掲載分になりました。ようやく残りを書き上げて提出すると3回分になり、これが3月掲載分になります。

現在書いている部分も内容が広く、参考となる書物がないので、苦労しています。締めきりに追われて、考えていることを文章にするので精一杯です。文章としては未熟です。それを、右筆が完成させてくれます。ありがたいことです。

連載「公共を創る」107回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第107回「政府とコミュニティーの関係」が、発行されました。
前回まで、政府による経済への介入を説明しました。今回からは、社会(狭義)への介入を説明します。19世紀に支配的だった近代市民社会の理論では、市場との関係と同様に、社会への政府による介入も最低限にするべきと考えられました。しかし実際には、政府はさまざまな介入をして、役割を広げてきました。

まず、公共秩序の形成と維持があります。民法が、日常生活に必須の財産関係と家族関係を規定しています。関係者間に合意があれば問題はありませんが、もめ事が起きた際の基準を決めておくのです。また、国民の安全を守り、生活の向上を目指すことは、国家の主要な役割です。
これらは、多くの人たちが政府の役割として納得するでしょうが、次に示す項目は政治学や行政学の教科書では詳しくは取り上げられません。
それは、倫理、慣習、国民の共通意識(社会意識)などへの関与です。ここでは、それらを包括して「この国のかたちの設定」と表現しましょう。

倫理は善悪の判断です。それは個人の内心の問題だから、国家は関与すべきでないという意見もあります。慣習は社会で自然とできるもの、社会意識も国民の間で共有されているものなので、政府が関与するものではないという考えもあります。
しかし、政府は、これらにも関与せざるを得ません。また、「公共を創る」という本稿の趣旨からは、これらも私たちが安心して暮らしていく上で重要な要素です。そのような主張から、これまでも「この国のかたち」について、いろんな場面で取り上げてきました。というか、「これまでの行政学や公共政策学が対象としている範囲が狭い」というのが、この連載のもう一つの趣旨なのです。