カテゴリーアーカイブ:社会の見方

元気な町工場

2016年8月12日   岡本全勝

朝日新聞夕刊が、「真夏の町工場をたどって」という連載をしています。ご覧になっている方も多いでしょう。町工場が独自の技術で、存在感を示している例です。
8月8日は、クレーン屋さん、従業員10人の「日興工機」の話です。電車の点検が行われる車両基地で使われているクレーン。それを作り、保守している会社です。何が起きても、すぐ対応しなくてはならない。だから、会社丸ごと夏休みをとることなど許されないと考えていた社長と専務の親子が、1週間の全社員一斉の夏休みをとることにしました。
・・・親子は「全社夏休み」を決心した。それには、仕事を減らす必要がある。2人は大口の取引先に出向いて、事情を話した。取引中止も覚悟した。先方はいった。「上司に『日興工機を離すな』と厳命されています。ご事情にあわせます」・・・
良い企画ですね。このような事例を取り上げ、中小企業と日本を元気にしてください。官庁の記者クラブで取材していては、日本の経済はわかりません。

謝罪文化、パフォーマンス?

2016年8月1日   岡本全勝

7月29日の朝日新聞オピニオン欄「それって不謹慎ですか」、マッド・アマノさんの発言から。
・・・日本には謝罪文化っていうのがある。企業が不祥事を起こすと、記者会見で幹部たちが雁首そろえて謝る、あれだよ。薬害事件で、突然、製薬会社の幹部数人が、一斉に額が床につくほど土下座した。これには本当に驚いた。
謝らないことには、世間が収まらない。「まず謝っちゃおう」というパフォーマンス、儀式だね。これで人々は留飲を下げるわけだ。でも謝ったからといって自らの責任を認めたわけではない。こんな目くらまし、僕は納得いかないよ。
こういう下地があるから「不謹慎だ」と批判されると、すぐ謝っちゃうんじゃないの。攻める方もおもしろがってやる。どちらも理詰めでは論争しない。これは日本人が最も不得意なんだ。
アメリカに10年ほど家族と住んでいたことがある。謝罪会見なんて一切、見たことない。とにかく交通事故でも謝ったらだめ、と友人からよく言われた・・・
・・・私ですか? 外では謝らないけどね、家では妻や息子にいつも謝っています。謝らないと収拾がつかなくなる。だから家庭の平和のためにね・・・

人手をかけるほど悪くなる文章、サラリーマンジャーナリストの限界

2016年8月1日   岡本全勝

朝日新聞7月28日論壇時評、小熊英二さんの「メディアの萎縮 まずい報道、連帯で脱せ」から。落語の「目黒のサンマ」を紹介したあと。
・・・こんな話をするのは、昨今の報道に、これに通ずる傾向があるからだ。たしかに「間違い」はない。人手も予算もかけている。しかし「まずい」のだ。
ときどき、へたに人手や時間をかけるより、少人数で素早く作った方が、シャープな番組や記事ができることがある。「どこからも文句が出ないように」という姿勢でチェックを重ねたりすると、それこそ脂と骨を全部抜いたような報道になったりするからだ。この問題は、組織が大きくなると起こりやすい・・・
ええ、国会答弁案も、作成過程でたくさんの人の手が入ると、問題はないけれど何を言いたいのか分からない文章になります。
このあと、次のようなもっと重要な指摘が書かれています。
・・・大手の方が保身的だという傾向はもちろんある。だが国連人権理事会特別報告者として来日したデービッド・ケイは別の原因を指摘する。それは「連帯」と「独立」の欠如である。
ケイはいう。日本では「ジャーナリスト間での仲間意識が感じられません」。主要メディアは自社の特権を守るため、独立系メディアを記者クラブから排除している。そこにはジャーナリストどうしが連帯する仕組みがない。連帯意識がないから、ミスを犯すと、他の記者や他の新聞社から攻撃をあびる。彼らは連帯して権威と闘うよりも、それぞれが権威に頼ることを選びがちとなってしまう。
つまり連帯がないから、独立もできない。この傾向は、大手としての権威に頼っていたメディアの方が強いだろう・・・

マナーの作り方、国民性の変化。エスカレーター

2016年7月26日   岡本全勝

7月20日の朝日新聞夕刊「あのときそれから」は、「エスカレーター片側空け出現」でした。1980年代から、急ぐ人のために、エスカレーターの片側を空けることがマナー(礼節)になりました。関西では左側を、関東では右側を空けるようです。私も「新地方自治入門」で、「現在作られつつある習慣」と紹介しました。しかし、最近では事故防止のためなどに、空けない=2列に並ぶことが推奨されています。興味深いのは、次のようなことです。
まず、そのマナーの導入に際し、「先進国を見習え」という手法が用いられたことです。
・・・1980年代の朝日新聞をめくってみると、ロンドンの地下鉄で見られる習慣の素晴らしさを絶賛し、翻って日本では…と嘆く記事がいくつも見つかる。
「日本の都市でのふしぎな光景は、すいているエスカレーターでもほとんどが歩かぬことだ。(中略)一種の『こっけいな日本風俗』の一つであろう」(83年11月28日付)
「片側一列に立って、急いで昇降する人たちのために、かたわらを空けておく、英国などでみられるマナーは日本でもまねたいもののひとつだ」(86年8月5日付夕刊)・・・
今読むと、新聞の論調、そしてそれを受け入れた国民性に、驚きます。今このような記事を書くと、どのような反響が返ってくるでしょうか。たった30年で、こんなに変わるのですね。もっとも、この手の手法は、形を変えて使われています。

作家の山本弘さんは、次のように語っています。
・・・日本人が昔から「マナーを守る礼儀正しい民族」だったかというとそんなことはありません。歴史の本で大きな事件はわかっても、細かいことは書かれていないのが普通ですから、誤解してしまうのかもしれません。社会が一種の記憶喪失になってしまっているともいえます。
交通にかかわるマナーでいうと、駅弁の食べかすやゴミを座席の下に突っ込んでおく、などというのは当たり前でした。現代の清潔な列車からは想像もできないでしょう。僕が子どもの頃にはまだ電車の乗り降りでも、降りる人と乗る人がぶつかり合って大混乱していました・・・