カテゴリーアーカイブ:社会の見方

合理的な人間ばかりではない、経済学の限界

2018年12月20日   岡本全勝

12月18日の日経新聞オピニオン欄「揺らぐ世界情勢 打開策は」。

前田裕之・編集委員が、次のような問題提起をします。
「市場経済は多くの人を豊かにするが、金融危機、経済格差、環境破壊といった副作用を伴う。恩恵より副作用の方が大きいと感じる人が増え、資本主義や市場への批判が強まっている。別のシステムが見当たらない中でどうすればよいのか」

それに対する、岩井克人・国際基督教大学特別招聘教授の発言から。
・・・――経済学は問題の解決策を提示できないのですか。
「人間は合理的に行動するという仮説を立て、その自己利益追求が社会にとって良い結果をもたらすようなインセンティブ(誘因)の設定を考えるのが、主流派経済学の基本。それを基礎にしてミクロ経済学では契約理論やゲーム理論が発達し、さらには、人間は無限の未来に関しても合理的に予想できると仮定し、その予想が現在の行動のインセンティブを左右する視点を入れたマクロ経済学を生み、ともに一定の成果を生んだ。経済学の手法は政治学、社会学、法学などに広がった。ところが、経済学の方法論を極限まで進めた結果、従来の方法論では解決できない問題が逆に浮き彫りになった」

――その限界とは。
「ミクロ経済学は、すべての人間関係を契約関係として理論化してきた。2人のインセンティブが両立する関係だからだ。だが、社会には契約が不可能な関係が無数にある。老人の世話をする後見人、患者を手術する医者、法人としての会社を経営する取締役など、仕事を信頼によって任せざるを得ない関係であり、後者に忠実義務を課さなければ機能しない。ここでは自己利益を前提とする契約理論は有害ですらある。環境問題も、現在と将来の世代が契約を結べないから解決が困難なのだ」・・・

エスカレーターは歩かない

2018年12月17日   岡本全勝

エスカレーターの乗り方が、変わってきました。
いつの頃からか、右側(関西では左側)を空けて、急いでいる人を通すようになりました。私も、『新地方自治入門』(2003年)では、「このようなマナーは、これから定着するのでしょう」と書きました。
ところが、右側は空いているのに、左にエスカレーターを待つ長い列ができていることがあります。これは無駄ですよね。しかし、「急いでいる人がいるといけない」「右に立ったら、歩いて登らなければいけない」と思う人が多いようです。

最近は、「エスカレーターは歩かず、2列に並んで乗りましょう」と勧めているようです。NHKニュース。「マナーの作り方

それぞれの国のかたち

2018年12月15日   岡本全勝

12月7日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「道徳観と切り離された報酬額 「常識」あっての市場競争」に次のような発言が載っています。

・・・倫理観や道徳観念は国や地域によって少しずつ異なっている。一般論としていえば、米国では、自由競争、自己責任、法の尊重(逆にいえば法に触れなければよい)、能力主義、数値主義などが大きな価値を持って受け入れられる。しかし、日本ではそうではない。協調性やある程度の平等性、相互的な信頼性などが価値になる。

だが米国流の価値をグローバル・スタンダードとみなした時、グローバル競争は、日本の価値観や道徳観とは必ずしも合致しなくなる。しかしそれでよいではないか。もともとグローバル・スタンダードなどという確かなものはないのだ。あるのは、それぞれの国の社会に堆積(たいせき)された価値観、つまり「常識」であり、そこには明示はされないものの、緩やかな道徳観念がある。企業も市場経済も、この「われわれの常識」に基づいているはずなのである・・・

そうですね。アメリカは、先住民を追い出して、新しく町をつくりました。その際に、自己責任、自由競争、契約などが、共通認識になりました。自治体も、企業をつくる時と同様に、住民たちが規則を定めてつくったのです。連邦政府もそうです。大統領と訳しますが、原語はPresidentで、社長や会長と同じです。参考「契約社会と帰属社会2」

私は、このような各国の社会を支える国民の共通認識を「この国のかたち」と呼んでいます。この言葉は、司馬遼太郎さんの言葉ですが、なかなかに奥深い言葉です。憲法にも法律にも書かれていないのですが、それぞれの国(国民の多く)が持っている共通観念です。国柄とも呼んで良いでしょう。
かつては、文化人類学などで、各国の社会の特色が比較されました。「タテ社会の人間関係」もその代表です。特に西欧と比べた際の日本の特殊性が取り上げられました。日本文化論です。ムラ社会論や日本軍の特殊性もその列にいます。

道徳のほかに、宗教や習俗なども、この国のかたちを支えています。公共政策を考える際に、これは大きな要素だと考えています。社会的共通資本、関係資本であり、文化資本です。
この国のかたちも、時代とともに変わります。そして、自然体に放置するのではなく、良い方向に持って行くことも、私たちの責任です。
国と同様に、会社には社風があり、地域や家庭にもそれぞれに気質があります。

東京名所、東京キャラクターストリート

2018年12月13日   岡本全勝

東京キャラクターストリート」ってご存じですか。東京駅八重洲北口地下一階にある、お店が並んでいる通りです。リンク先のホームページを見て頂くとわかります。

テレビ局のマスコットキャラクター(NHKのどーもくんなど)や、ポケモン、ハローキティ、リラックマ、プリキュアなどなど。子供や若い人が見たら、絶対に喜ぶお店です。それらが、一か所に並んでいるのです。すごい数です。子供さんを連れて行ったら、数時間は動かないでしょうね、笑い。

私は、日本橋や八重洲で異業種交流会に出席したあと、丸ノ内線に乗るために、東京駅の地下通路を通るのですが、その途中に、この通りがあります。大人でも、楽しめますよ。東京の新名所の一つです。

グローバル化とグローバリズムの違い

2018年12月12日   岡本全勝

12月7日の日経新聞オピニオン欄に、クラウス・シュワブ世界経済フォーラム会長の「グローバル化、関与と想像力を」が載っていました。

「第2次世界大戦後、国際社会は一丸となって共通の将来の構築を目指した。現在、再び同様のことが必要になっている。
2008年の金融危機後の景気回復はもたつき、まだら模様だった。社会のかなりの人々が政治や政治家に対してだけでなく、グローバル化と経済システム全体に不満を抱き、怒りを募らせる。不安といら立ちが広がる時代には、ポピュリズム(大衆迎合主義)が人々を引きつける」
として、その次の段落で次のような趣旨を述べておられます。

すなわち、グローバル化とグローバリズムは、異なる概念である。
グローバル化は、技術や思考、人々、製品の移動が進む「現象」であること。
他方、グローバリズムは、国益よりも、ネオリベラリズム(新自由主義)的な世界秩序を優先する「イデオロギー」であること。

原文をお読みください。