カテゴリーアーカイブ:社会の見方

「理不尽な進化」競争でなく不運で滅びる

2021年4月19日   岡本全勝

吉川浩満著「理不尽な進化 ――遺伝子と運のあいだ 」(2021年、ちくま文庫)が勉強になりました。進化論を扱っていますが、進化論を素材とした、学問(科学)のあり方といったら良いでしょうか。1冊の本にいくつもの論点、それもかなり深遠な論点が含まれていて、紹介するのは難しいのです。2冊か3冊に分けた方が、著者の主張がわかりやすかったでしょう。

これまで、地上に現れた生物種のうち、99.9%が絶滅したと推測されています。適者生存の進化論は、環境に適合した生物だけが生き残ると説明しますが、ではなぜ、99.9%もの種が現れて消えていったのか。種が絶滅する型には、3種類あります。
1 競争に負ける。これは適者生存の考えに一番沿っています。
2 絨毯爆撃に遭う。巨大隕石の衝突です。
3 理不尽。環境に適合したのに、その環境が突然変わってしまった。2の隕石衝突に近いのですが、隕石衝突で「支配者だった」恐竜たちは滅んだのに、「日陰者」だったほ乳類の祖先は生き延びたのです。たまたま生き延び、支配者たちがいなくなった世界で発展します。そしてこの「理不尽」が、重要な役割を担っていたのです。
進化論の言う「自然選択」は、環境に適合した生物だけが生き残る。生き残った生物が環境に適合していた。それでは同語反復ではないか。その通りなのです。

私たちは、進化論の適者生存を、人間社会にも適用します。「競争に勝ち残るために、改革しなければならない」というようにです。しかし、「理不尽な絶滅」を理解すると、このような適用は正確ではありません。「強者生存」「優勝劣敗」も、進化論では間違いです。でも、よく使いますよね。
その背景は、「キリンは高いところの木の葉を食べるために首が長くなった」というような、生物はある目的に向かって前進的に変わっていくという「発展論的進化論」に、私たちは陥りがちで、惹かれるからです。

ところで、進化論には、2つの原則があります。「生命の樹(共通祖先説)」と「自然淘汰説」です。でも、生命の樹の方は、余り認識されていません。

グールドの「ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語」(1993年、早川書房)を読んだときの、驚きとわくわく感は、今でも覚えています。奇妙奇天烈な形をした動物には、驚きました。4月18日のNHK「ダーウィンが来た」でも、アノマロカリスを取り上げていました。この項続く

新型コロナウイルス感染症の影響、クリーニング屋

2021年4月18日   岡本全勝

先日、クリーニング屋に、冬物を出しに行きました。寒さが戻ったりするので、小分けにしてです。
お店には1人ずつしか入れないので、数人の客が店の外で待っています。
私の番が来て、「結構、はやっていますね」と聞いたら、「いえ、ダメなのです」と。在宅勤務が続くので、ワイシャツやスーツが持ち込まれないのだそうです。
「コートは着るでしょう」と聞くと、「いえ、コートもきっちりしたものは出てきません。ふだん着るようなものばかりです」との返事でした。
新型コロナウイルス感染症は、こんな影響もあるのですね。

ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか

2021年4月13日   岡本全勝

高松平蔵著「ドイツの学校にはなぜ『部活』がないのかー非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間 」(2020年、晃洋書房)が、勉強になりました。
欧米のスポーツクラブが、地域の人たちによって支えられ、社交の場であることは有名です。この本はドイツの町を例に、スポーツクラブが地域の人たちに支えられ、地域の人たちの自慢であることを紹介しています。
学校のクラブ活動がないことは、分かりやすい象徴です。それは広い社会的背景に支えられているので、そこだけを切り取って輸入するわけにはいきません。

明治以来の学校体育、そして競技体育が、日本にスポーツを輸入し、根づかせました。プロスポーツも、広がりました。これもまた、発展途上国に効率的な、体育や競技の普及方法だったのです。しかし、それは学校内に閉じたスポーツでした。地域の人が参加するスポーツとは違います。クラブハウスが、あちらでは地域の人が集まる社交場なのに対し、日本のゴルフハウスは同好の士だけの、場合によっては接待の場です。

プロサッカー(Jリーグ)が、地域に根ざした競技団体を目指しています。イギリスやドイツのように、100年かけて地域の団体(NPO)を作ってきた社会とは、背景が違います。
住民が参加する地域の非営利団体(NPO)は、日本が輸入しなかった、また輸入できない活動かもしれません。連載「公共を創る」で、地域での住民のつながり、居場所作りを考えているので、勉強になりました。
この項続く

戦後民主主義の罪、4

2021年4月12日   岡本全勝

戦後民主主義の罪、3」の続きです。

3 憲法の神格化
もう一つ加えておきましょう。憲法の神格化です。「憲法を守れ」という主張は、憲法を神棚に祀る神様にしてしまいました。ここには、いくつかの問題が含まれています。
(1)棚ぼた
一つは、自分たちでつくったものではない、そして自分たちで努力しないということです。
憲法は、国民が勝ち取ったものではなく、占領軍に与えられたものです。出自がなんであれ、良いものを取り入れることは良いことです。ただし、努力せずに手に入れたので、民主主義は努力しなくてもできると思ってしまいました。「棚ぼた」は、努力の必要性を忘れさせる副作用がありました。平和主義を唱えつつ、その努力はしないことも、ここにつながります。

(2)変えない
それは、今あるものを守るという思想につながりました。新しい課題があっても、それに取り組まないのです。その思想は、憲法を不磨の大典にしてしまいました。成文憲法では、日本国憲法が最古になっています。制定は最古ではないのですが、条文が変わっていない点では世界で最も古いのです。

(3)西欧が基準
憲法を与えてくれたのは西欧であり、ものごとの基準は西欧だという意識です。これは、戦後民主主義だけの罪ではありませんが、戦後民主主義が助長した面もあります。その背景に、明治以来、西欧をお手本にして追いつこうとした「この国のかたち」があります。
革新勢力と呼ばれた人たちは、「進歩的文化人」とも重なっていました。かれらは、欧米に留学し、その輸入に努めました。後進国日本を、先進国に引き上げました。その功績は大きいです。しかし、追いついた後も、その考え方を変えることができませんでした。
西欧を向いていることは、国内の問題を拾い上げないことにつながります。学者は西欧に留学します。しかし、国内の問題には取り組みません。憲法学者は、ハンセン病患者への差別を拾い上げませんでした。参考「憲法を機能させる、その2

(4)国民は客体
「憲法を守れ」という主張は、国民が憲法を作りかえていくことを阻害します。国民は、憲法を作る主体ではなく、憲法に守られる客体になります。
また、政府と国民を、対立する関係にとらえます。政府の間違いを批判するのは良いことですが、批判だけでは、自分たちが主権者であることを忘れてしまいます。

4 「革新勢力」の罪
戦後民主主義を唱え、擁護した人や勢力の問題は、戦後民主主義が定着した後に、次なる課題に取り組まなかったことです。
新憲法が定着し、戦前に戻らなかったことは、大きな成果です。しかし、新憲法が定着した後も、「憲法を守れ」と言い続けたことで、「保守勢力」になってしまったのです。そして、ここに述べたような問題に、頬被りしてしまったのです。社会の課題を切り拓く革新勢力にならず、国民からも支持を失ったのです。
たぶん1960年代半ば、遅くとも1970年には、新しい方向に転換すべきだったのでしょう。それは、1960年安保闘争と1970年の安保闘争との違い、国民の参加と関心度に表れています。
これを乗り越えるには、「輸入業」から自分で考える研究者になること、西欧の言論より日本の課題に取り組むことでしょう。批判と反対だけでなく、改革案を提示することでしょう。
厳しいことを書きましたが、民主主義が日本に定着したことを高く評価しつつ、次なる発展への課題を整理しました。これは、戦後民主主義や革新勢力だけの責任ではありません。

産業としての文化芸術

2021年4月11日   岡本全勝

4月9日の日経新聞文化欄「コロナ時代の芸術 不要不急とよばれて」、第5回は「文化は単なる娯楽か 見取り図なき支援策からの脱却を」でした。
コロナ下で、文化芸術関係者や関係産業が、苦境に陥っています。飲食店や旅行業などと同じようにです。

政府も苦境を救うために、支援金を用意しました。ところが、必要なときに届かなかったらしいのです。
欧米諸国との比較もされています。どの国でも「文化芸術は主要な産業として認められている」のに対し、日本では「産業として分析してこなかった」との指摘があります。
文化芸術は、欧米から輸入するものであり、好きな人が楽しむ趣味だと思われていたからでしょうか。

コロナウイルスは、飲食店、旅行業などとともに、文化芸術にたくさんの人が従事していて、大きな産業であることを明らかにしました。受け手とともに、送り手がいるのです。