カテゴリーアーカイブ:社会の見方

ネット記事のコメント欄とSNSのはかなさ

2021年5月26日   岡本全勝

先日、紹介した奥井智之先生が、講談社のウエッブサイト「現代ビジネス」に「不特定多数で「社会の敵」を叩く“祭り”が、ネット上で発生するそもそもの理由 電脳世界に広がる「儚さ」を社会学する」を書いておられます(5月22日掲載)。
ネット記事のコメント欄とSNSに、なぜ人は書き込むのか、そして議論は成り立たないのかについて、社会学から説明しておられます。

・・・ネット記事は儚(はかな)い。
それが、一定の鮮度を保って、人々の前に姿を見せるのは、ほんの一瞬である。良い記事も悪い記事も、次の瞬間には、最初から存在しなかったかのように、ネット世界から姿を消している。
もちろん、それは、アーカイヴ化されているのであろう。しかし、特定の記事を、アーカイヴ(保管庫)のなかで探すのは、特別な目的がある場合に限られる。実際、わたしは、ネット記事がどこかで引用されているのを、見たためしがない。
とどのつまり、ネット記事の寿命は、ごく短い。筆者は、その一瞬に賭けて、自らの作品を、ネット世界に投げ込むほかはない。
オンラインの先には、読者が待っている。正直言って、わたしは、その読者の実態を知らない(わたしは、このネット世界にたまさか迷い込んだ、よそ者にすぎない)。ただ、ネット記事の読者として、しばしば遭遇するのは、その記事が、読者のコメント欄で酷評されている光景である・・・

・・・そこでは、ネット記事を批評することよりも、その記事をダシにして、自らの識見を誇示することが、目的となっているように映る。批評家の小林秀雄は言った。
「批評とは竟(つい)に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」(『様々なる意匠』)
「懐疑的」であるかどうかは別にして、ネット記事のコメント欄に横溢するのは、激しい自己呈示の欲求である。
ネット記事に、コメント欄が付いているように、コメント欄にも、個々のコメントへの賛否を表明するアイコンが付いている。
わたしのよく見るサイトの場合、デフォルト(初期設定)では、賛同者の多いコメントが、コメント欄の上位に並ぶようになっている。そして、上位のコメントの内容は、おおよそ似通っている。裏を返せば、意見が分かれて、議論が交わされる光景は、まず目にしない。
そこには、コメント欄のもつ、もう1つの機能が映し出されている。それは、他の(どこのだれとも知れない)多くの読者と協調することで、自らの意見の正当性を確認することである。一言で言えば、そこには、温かい相互承認の儀礼がある。
激しい自己呈示の欲求と温かい相互承認の儀礼──。この2つは、いったい、どのように結びついているのか・・・
続きをお読みください。

閉鎖的な学校を変える

2021年5月25日   岡本全勝

5月18日の朝日新聞オピニオン欄「学校と親との距離」
・・・学校と保護者の関係が揺れている。保護者がPTA活動の負担を訴える一方、長時間労働で疲弊する学校では保護者の声に対応する余裕が奪われている。どうすればいいのか・・・

西郷孝彦・東京都世田谷区立桜丘中学前校長の発言「閉鎖性を変えるのは校長」から。
・・・いまの学校の多くには、閉鎖的な風土があります。悪い評判を立てられたくない。生徒の問題行動を見られたくない。その内向きさが保護者との距離を遠ざけています。
新しい挑戦をしようとすると「みんなと違うことをするな」と、教育委員会や近隣の学校、ときには保護者から問われ、責められる。結局は前例を踏襲し、右にならい、情報も出さないことが正解になってしまう。ただでさえ仕事量が多いなかで保護者への対応が負担になれば、精神的に追い詰められてしまいます。
そうした教員を取りまく環境の問題が根幹にはありますが、私は、まず校長が自ら保護者と接することで閉鎖性を和らげられると思います。私は直接会う機会をつくり、メールアドレスも保護者に公開しました。情報を共有しあえる関係づくりが大切です・・・

奥井智之著『宗教社会学』

2021年5月24日   岡本全勝

奥井智之著『宗教社会学  神、それは社会である』(2021年、東京大学出版会)を紹介します。
目次を見てもらうとわかるように、信仰、教団、儀礼といった、宗教になじみのある項目のほかに、経済、学問、芸術、スポーツ、性別といった、なじみの薄い項目が並んでいます。この本は、宗教学ではなく、宗教を素材にした「社会学」です。宗教を分析するのではなく、宗教を使って社会を分析するのです。

宗教は、近代社会では非合理的なものとして、影響力が低下しました。他方で、私たちの生活や社会がすべて合理的に説明できるものでもなく、説明されても納得できないこともあります。そこに、人は、神あるいは人知を越えたものを信じます。
現在の学問では、人と人のつながりを、政治(権力的関係)、経済(取引による関係)、互恵(助け合い、コミュニティ)の3つで説明します。宗教という「非合理的な関係」は、この3つの外です。しかし、芸術、スポーツなども、3つでは説明できません。
この本は、先に挙げたさまざまな項目で、私たちの生活に神が残っていることを説明します。

社会、私たちの生活の多様な面を、宗教を鍵に説明します。読んでいて途中から、「次の項目(例えばスポーツ)について、著者は、どのように議論を展開するか」を想像しながら読みました。読んで納得しつつ、「私なら、このように書くなあ」とも考えました。
「わからないことは、学問の対象としない」ことになっている現在の学問の世界で、著者の試みは、どこまで理解されるでしょうか。
読みやすく、わかりやすいです。社会学入門書にも、なっています。他方で、先生の実体験も織り込まれていて、話が身近になり、理解しやすいです。お勧めです。

外交官 杉原千畝 命のビザ 続編

2021年5月23日   岡本全勝

昨年12月に、あいおいニッセイ同和損保が、10周年記念事業として「外交官 杉原千畝 命のビザ」の動画を配信していることを紹介しました。その企画は終わったのですが、好評につき、続編を提供しています。「外交官 杉原千畝 命のビザ 続編

今回は、杉原さんの足跡を取り上げるとともに、日本全国にある杉原さんゆかりの地を訪ね、史跡や関連施設を紹介します。前回の動画も要約版(12分)で見ることができます。
第1回目は福井県「人道の港 敦賀ムゼウム」です。

デジタル時代の自己情報の所有権

2021年5月23日   岡本全勝

5月14日の読売新聞、トーマス・イルベス・エストニア前大統領の「私のデータ 私に所有権」から。
・・・エストニア人は半世紀にわたり、ソ連という警察国家で全体主義的に統制され、プライバシーを侵害された。だから、(1991年の独立後に進めた)行政のデジタル化では、透明性を確保して国民の信頼を得る必要があった。

全ての国民は健康や徴税、財産など自分に関する全てのデータの所有権を持たなければならない。具体的にはまず、誰があなたのデータを見たか知ることができなければならない。自分のサイトで、誰があなたの情報を見たのかが分かるようにする。
誰がどのデータを見れば合法的で、誰がどのデータを見れば違法になるのかも決める。例えば、私は自分の医療データを見ることができるが、医者以外の人は見られない仕組みにする。警察は私の交通違反の記録を見ることができるが、健康に関する記録は見られないようにする。

これらを保障するためには、データがどのように入手されたかが記録されていなければならない。こうした透明性の確保やデータ保護を進めるかどうかが、民主主義国家と権威主義国家の大きな違いだ・・・