カテゴリーアーカイブ:社会

インターネット・プラットフォーマー、情報操作の危険

2022年7月26日   岡本全勝

7月8日の読売新聞「岐路の資本主義」、村井純・慶応大教授の「デジタル時代の情報危機」から。

・・・インターネットを使うようになって30〜40年たったが、最初は学術界やネットを作った人間のためのものだった。その頃はごくわずかな人しか使っていなかった。当時から「(次世代のネットとされる)ウェブ3」や「(ネット上の仮想空間)メタバース」のような構想はあったが、利用者が少なかったので夢物語だった。
今はほとんどの人がネットを使うようになった。ネットはメディアの役割も担うようになり、そこに近づきつつある。現在は米グーグルの検索サービスや巨大IT企業のSNSが媒介して情報を届けたり、利用者と双方向のコミュニケーションができたりしている。
サービス上では、誹謗中傷やフェイク(偽)ニュースなどが流通しているという課題があるが、過渡期だと思う。
プラットフォーマーは、利用者の要望に沿って対応する。それはやるべきことだし、実際に自主的に進めてきた。
しかし、もう一つのアプローチとして、私たちが新たに何を作るべきかを考えないといけない。本質的には、情報の提供者と受益者(利用者)がどういう関係にあるべきかを追求していくことが一番大事だ・・・

・・・こうしたネットの課題を解決するのに、行き着くところは国際標準化だ。コンテンツと広告の関係に課題を感じる人たちが参加し、プラットフォームの構造を変える標準化の議論を進める必要がある。
こうしたネット上の標準化に向けては、日本企業の参加意識が薄かった。ネットは地球全体で一つの空間なので、日本が自分のこととして参加すべきだし、同じように考えている世界中の人と力を合わせた方が良い。プラットフォームの今のあり方に問題があるとすれば、標準化に参加するべきだ。現状に問題意識を持っている人はいっぱいいるので、そういう人たちと手を組んで、直していかなければならない・・・
・・・標準化に向けては、日本だけのガラパゴスではなくて、世界中で受け入れられることを念頭におく必要がある。
私は50年後のネットはどうなるか、というような会議に参加することが多い。参加者はみんな、信頼や倫理が大事だと言う。信頼と倫理で質の高い文化を持つ日本に対する期待はすごく大きい。日本人が精度の高いサービスやシステムを作ることや、災害時に助け合うことが知られているからだ。
私は日本でなければできない可能性があると楽観的に考えているし、日本が貢献すべき領域だと思う。この議論はあちこちで熟しているので、関係者で合意ができればそう遠くないうちに先に進むだろう。3〜5年で新しい世界ができても全然不思議ではない。

過去のインターネットの発展には、常に複数の岐路があり、修正しながら進んできた。地上がインターネットで覆われ、すべての人が使うという、理想として掲げてきたことはすべて実現している。衛星でインターネットがつながるようになり、山の奥まであらゆることがデジタルデータを通じた「知」として合成されていく。そのときに、情報に対する考え方が大きく発展するのではないか。
私たちは自分の考え方や生き方を守りつつ、発展していくことから目をそらさず、言いたいことを言い、問題があれば解決策を提案し一緒にやる。こういうことができる雰囲気ができていくのが、これからの社会ではないかと思う・・・

落第のない日本

2022年7月24日   岡本全勝

7月8日の日経新聞1面「成長の未来図 知で越える危機」「異能が呼ぶ革新、果実に ギフテッド封じる平等主義」は、飛び級がないことを指摘した記事です。
各国の15歳時点での在席する学年が割合が図で示されています(経済協力開発機構調べ)。日本は、飛び級がないのに対し、各国では標準より上の学年に在籍する生徒が結構な割合でいます。

ところで、私が注目したのは、その逆の場合です。本来の学年より下の学年に在籍する生徒です。「落第」などです。日本は、この生徒もいませんが、外国には結構いるのです。
でも、すべての小中学生が、きちんとその学年に学ぶことを身につけることができるか。授業が成り立たない荒れた学校や、先生の言うことを聞かない生徒もいます。それでも、全員進級進学できるのです。おかしいですよね。学校からすると、面倒なことはせずに、早く出ていって欲しいのでしょうね。
ここにも、きれい事ですませる「教育現場」が現れていると思います。

舞田敏彦「飛び級、落第を許さない日本の「横並び」主義が生む教育の形骸化」(ニューズウィーク日本版2021年1月6日)

学校教育ベルトコンベア型システムの弊害

2022年7月23日   岡本全勝

7月5日の日経新聞教育欄、苫野一徳・熊本大学准教授の「学校の存在意義 自由を尊重、経験積む場に」から。

・・・私自身、これまで長らく、公教育の誕生以来ほとんど変わることのなかった教育システムを大きく転換する必要を訴えてきた。すなわち「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来合いの問いと答えを勉強する」システムの転換である。
この約150年間続いてきたベルトコンベヤー型のシステムこそが、いわゆる「落ちこぼれ」やその反対の「吹きこぼれ」、不登校やいじめなど様々な問題の元凶になっているのだ。
みんなで同じことを同じペースで勉強していれば、それについていけない子が構造的に生み出される。自分のペースで自分に合った学び方で学んでいれば、落ちこぼれることなどなかったかもしれないのに。
「同じ年生まれの人たちだけからなる集団」は、学校のほかにはおそらくほとんど存在しない・・・その意味で「誰もが、いつでも誰とでも学べる社会」の実現は、確かに目指すべき近未来の教育のビジョンである。私たちは必ずしも、みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で学ぶ必要はないのだ・・・

・・・人類は、1万年以上の長きにわたって、凄惨な命の奪い合いや、ごく一部の人が大多数の人々を支配する時代を生きてきた。今日の民主主義は、そのような歴史を何とか終わらせるために、最近になってようやく登場したアイデアである。
もし、人類が平和に、自由に生きたいと願うのならば、私たちはまず、お互いの自由を認め合う必要がある。そして、一部の支配者ではなく、対等な市民たちの手によって共に社会を築いていくほかにない。
これを「自由の相互承認」の原理という。現代の民主主義の最も根幹をなす考えであり、人類史上最も偉大な発明の一つであるといっていい。実際、人類の多くは今日、政治的・社会的自由を手に入れ、そして意外かもしれないが、この2~3世紀を通して戦争は確実に減少したのだ。
この「自由の相互承認」を実現するための、最も重要な制度。それこそが学校教育にほかならない。お互いの自由を尊重し、この社会を共につくり合うこと。学校は本来このことをこそ、子どもたちに教える場でなければならないのだ・・・

変な人たち、男性社員編

2022年7月11日   岡本全勝

今回もまた、このホームページで定番のお話しです。

電車の中や駅で、変なおじさんやお兄さんを見かけます。この夏は例年にまして暑いです。なのに、黒や紺の背広上下を着て、汗をかいている人です。
暑い夏に、黒の背広はやめませんか。上着を着たいなら、もっと涼しいのがあるでしょう。あるいは、上着をやめてシャツだけにしませんか。ネクタイは締めないのだし(中には、ネクタイをしている人がおられますが、何か事情があるのでしょうね)。

私は夏は、薄い青色やネズミ色系の上着にしています。シャツは青の縦縞模様が多いです。ボタンダウンで、ネクタイをしません。
後輩たちが黒の背広で来たら、「君たちが貧乏でスーツをたくさん持っていないことは分かるけど、夏に黒はやめてくれ。夏用の上着を持っていないなら、黒の上着を着てくるなよ」(笑い)と忠告します。

女性がさまざまなおしゃれをしているのに、男の人はなぜこんな暑い格好をしているのですかね。「熱帯地方」の日本に、黒の背広上下は罪です。

気配り破壊器

2022年7月10日   岡本全勝

変な人たち、地下鉄編」の続きにもなります。
混み合った車両に、無言で人を押しのけて乗ってくる人。その多くは、スマホを操作しながら、前の人に声をかけることなく、乗り込んできます。周囲の人に気配りができない人たちです。そんなに、スマホが重要なのですかね。それとも押し入る際に、ばつが悪くスマホを見ているのですかね。
周囲を見渡して、混雑した場所を避ける、通路を確保することはできませんか。混み合っているときは一声かける、「お願いします」とか。

私は、スマホを「猫背・近眼製造器」「脳力低下装置」「時間泥棒」と呼んでいますが、「周りが見えない人製造器」「気配り破壊器」という名称も加えましょう。
新技術は、悪いことも普及させます。「スマホ使用による脳の低下」「現代社会の時間泥棒」「テレビとスマホ、低俗?の程度」「スマホの副作用