カテゴリー別アーカイブ: 報道機関

事実の一部だけを報道する

今朝7月15日の産経新聞に、興味深い記事が載っていました。「閣議決定、地方の「支持」鮮明 「反対・慎重」意見書案38議会が否決」です。
・・集団的自衛権の行使を容認する政府の閣議決定に対し、47都道府県議会と20政令市議会のうち、今年に入って38議会が閣議決定に反対・慎重な対応を求める意見書案や請願を否決、不採択としていたことが14日、分かった。意見書の可決は5議会にとどまり、半数以上の議会で政府への支持が表明された格好だ・・
興味深いのは、記事の後段です。
・・集団的自衛権の行使容認に反対・慎重な地方議会については、一部のメディアが今月1日の閣議決定前に盛んに取り上げ、「地方議会で異論相次ぐ」(6月30日放送のNHKニュース)、「地方黙っていない」(毎日新聞6月28日付朝刊)と報じていた。ただ否決した議会の数には触れていなかった・・
う~ん、事実だとすると、かなり意図的な報道ですね。

政策より政局に関心があるメディア

7月13日の朝日新聞、「日曜に想う」、星浩・特別編集委員の「野党よ、再編ゲームより論戦を」から。
・・ところで、政界再編騒ぎのたびに、メディアの報道ぶりを考えさせられる。あまりも大げさに取り上げる傾向があるからだ。みんなの党の山内康一国会対策委員長からこんな体験を聞いた。
民主党や維新の若手議員と安全保障問題の勉強会を続けている。毎回5人から10人が参加。取材する記者はほとんどいなかった。ところが昨年秋、突然、36人の野党議員が顔をそろえた。多くのテレビカメラや取材記者が殺到した。どうやら、維新の議員が「野党再編に向けた会合が開かれる」とメディアにささやいたことで、騒ぎになったらしい。
「野党議員の政策勉強だと関心は持たれないが、再編となると、がぜん注目される。メディアの体質がよく見えました」と山内氏は苦笑いする。メディア側は、純粋な勉強会だと分かった後は取材に来ていないそうだ・・

メディア界の焼き畑農業

7月13日の朝日新聞広告欄のインタビュー「仕事力。手嶋龍一が語る仕事、第3回」から。手嶋さんは元NHK記者です。このホームページでは、『1991年日本の敗北』(1993年、新潮社)の著者として紹介しています2008年1月11日
・・メディアの世界は大きな出来事が向こうから押し寄せてきます。まじめな若者ほど全力を出し切ってニュースに立ち向かう。早朝から深夜までデスクの指示を真に受けて働き詰めです。これではくたびれるだけでなく、知的にも油が切れてしまう。そう「メディア界の焼き畑農業」なのです。でも日本では、干からびると早速前線から放り出してしまう。ジャーナリストがこれほど若くして現場を離れる国は見たことがありません・・
このインタビューには、湾岸戦争開戦前夜、ブッシュ大統領に同行してサウジアラビアに行った際の、ワシントン・ポスト記者の働きぶりも載っています。お読みください。

偏った報道、媚びる発言。復興の真実を伝えて欲しい

復興庁の職員が、災害に関する国際会議に出席して、東日本大震災からの復興状況を発表しました。彼の帰国報告から。
出席者(海外の研究者)の発言、「日本の報道からは、復興が遅れているという印象しか持っていなかった。日本政府がこれほどしっかり復興に取り組んでいるとは、知らなかった」。
日本人研究者の発言「インドネシアでは、3年で住宅が復旧した。日本はようやく着工した程度で、遅い」に対して、インドネシアの研究者は、「住民が自ら周辺の木材を使って家を元通りにしただけ。日本のように、防潮堤や高台移転などの安全対策をしっかり議論した上で住宅を再建していく方が、時間はかかるが賢明だ」と発言しました。
日本のマスコミの偏った報道は、困ったものです。マスコミの人と議論すると、「遅れている点を指摘することが、マスコミの使命」とおっしゃいます。そのような役割はあるでしょう。しかし、進んでいることも取り上げないと、偏った情報は、間違った情報になります。
また、この研究者の自虐趣味も、良くないですね。外国人に媚びを売るのも、悪い癖です。そうすることで、相手国を賞賛しているとでも思っているのでしょうか。学問や研究の世界で媚びを売っても、評価されないでしょう。
インドネシアの津波からの復興への取り組みの方が、日本政府の取り組みより優れていると、本気で考えているのでしょうか。もちろん、インドネシア政府も、復旧に力を入れています。しかし、日本のインフラや住宅の復旧は、技術と言い予算と言い、世界最高級のものです。

新聞は社会参加を育てる。中央か地域か

5月18日の読売新聞、廣瀬英治・ニューヨーク支局長の「米新聞、地域密着の道へ」から。
・・経営的には収入の多くを広告に頼るため、景気の変動を受けやすい。2008年のリーマン・ショックでも廃刊が相次ぎ、米新聞協会によると、日刊紙の数は2009年には1387紙と、2007年から35紙も減った。
新聞が公益を担うとすれば、廃刊で新聞が減った都市では市民の社会参加にも影響が出るはず―。米ポートランド州立大学(オレゴン州)のリー・シェーカー准教授(33)は今年、国勢調査を基に2008年と2009年で市民の社会参加にどんな変化があったか、全米の主要都市を比較した。
「公的な役員を引き受けたか」や「何かのボイコットに加わったか」など5項目の参加率を調べたところ、2008年に地元2紙中1紙が廃刊したコロラド州デンバー市とワシントン州シアトル市は、それぞれ4項目と2項目で大きな落ち込みがあった。
両市と規模などが似た8都市を見ると、大きな落ち込みは1都市の1項目を除いて見つからなかったことから、シェーカー氏は「新聞廃刊の影響が明らかだ」と結論づけている。新メディアが台頭しているが「紙で配られる新聞ほどには情報が届かないし、特に地域ニュースの発信源は今でも新聞」なのだという。
米国の新聞にそんな「公益」があったとしても、経営の難しさは変わらない。その中で、後年「あれが転換点だった」と言われるかもしれない動きがある。
米新聞協会の最新の統計(2012年)をみると、全体の発行部数が減り続ける一方で、日刊紙の数は前年より45紙も増え、ほぼ2007年並の1427紙に回復したのだ。どの新刊紙も、小さな地域紙として新しい役割を見つけようとしているようだ・・
この背景には、日本とアメリカとの新聞事情の違いがあると思います。日本では、大部数を発行する全国紙が主要な地位を占めています。一方、アメリカでは小さな地域紙が多いのです。日本では、1面は東京の中央政治と全国経済ニュースが占め、他のページでも多くは中央からの配信記事です。市町村での暮らしの近くのニュースは、載らないのです。
このことによる「意識の中央集権」について、拙著『新地方自治入門』p317以下で指摘しました。さらにここで指摘されているように、意識の中央集権だけでなく、地域での社会参加・政治参加をも育てないという弊害を生んでいるのだと思います。
どちらが良いとは、簡単にいえません。しかし、この新聞の状況が、国民の意識を作り再生産します。私は、他人に任せることができる中央の情報を「消費」するより、地域の情報に「参画」することほうが大切だと思います。しかし、参画はしんどくて、消費は楽です。この意識や習慣を変えることは、大変な作業です。