カテゴリー別アーカイブ: 報道機関

質問、再質問

NHKのウエッブニュース「城の石垣 半数以上が「修復必要」」(5月14日)。内容とは異なりますが、質問のあり方について考えました。

・・・NHKは「日本城郭協会」が選んだ日本100名城と続日本100名城を対象にことし3月、アンケート調査を行いました。
石垣のない城などを除く169の城について、管理している地元自治体などに用紙を送り、このうち73%に当たる124の団体から有効な回答を得ました。

はじめに城の石垣に関して日常的な観察や管理を行っているか尋ねたところ、92%に当たる114の団体が「行っている」と答えました。
「行っている」と答えた団体に頻度や実効性について問いかけると、「おおむねできている」が77と多数を占める一方で、「十分にできている」は5か所にとどまり、「あまりできていない」は32と、3割近くに及んでいました。
また、「現在、修復を要する被害や劣化は見られるか」と尋ねたところ、57%に当たる71の団体が「見られる」と答えました・・・

日常的な観察や管理を聞くと、9割が「行っている」と答えます。しかし、頻度と実効性を聞くと、3割はできていません。
これは、参考になります。ほかの問題でも、応用できます。「やっていますか?」と聞くと、「やっています」と答える場合があります。しかし、「では、どの程度やっていますか」を具体的に聞くと、形だけとか、実効的でないことがばれます。この質問は、具体的に聞く必要があります。「よくやっている」「ある程度やっている」といった、曖昧、主観的な選択肢では、意味がありません。

記者会見を見ていても、型どおりの質問をして、型どおりの回答があり、それで終わる、他の質問に移る場合があります。見ていて、残念な気持ちになります。「もっと、突っ込んでくれよ」と。
想定問答を準備している方も、再質問、再々質問を想定しています。突っ込みが足りないと、物足りないです。
その質問で何を聞きたいのか。それを考えて、質問と再質問を組み立ててもらいたいです。
余談ながら。事件や事故が起きたときに、質問に対し「詳細を把握していないので答えられない」「訴状を受け取っていないのでコメントできない」という答えがあります。ぜひ、数日後に、「その後どうですか」と聞いてほしいです。

ニュースと現実と

毎日、新しいニュース(同語反復ですね)が、伝えられます。私たちはそれを見て、世の中の動きを理解します。もっとも、それが世の中のすべてだとか、主流だと思うと間違いです。珍しいからニュースになるので、現実社会はそうではありません。
一つは、現実より先を走っている新しい動きだから、ニュースになっています。ということは、現実はそうではないということです。
もう一つ、その先端的な動きが、その後に主流になるか。そうなるとは限りません。多くの試行錯誤の中で、生き残るのはわずかです。多くの試みは、失敗となって消えていきます。
まあ、子供たちが「みんなが持っているから買って」というみんなは、3人から4人だそうですが。

1月25日の日経新聞オピニオン欄、中山淳史・コメンテーターの「GAFAに負けない稼ぎ方 世界の「分断」が追い風にも」に、興味深い例が載っていました。

・・・例えば、東芝だ。今後力を入れる事業の一つにPOS(販売時点情報管理)レジがあるという。「デス・バイ・アマゾン(アマゾン・ドット・コムによる死)」と言われる時代に今さらPOSか、という指摘もあろうが、現場はそう単純ではない。
小売業界では、インターネットを通じてモノが消費される比率のことを「EC(電子商取引)化率」と呼ぶが、日本のそれは現在、5.7%。米国でも約1割しかなく、リアルな世界の市場の方が経済規模は圧倒的に大きい。
東芝のPOS事業の販売シェアは国内が6割、海外が3割だ。POSを握る同社には楽天やヤフーのほか、アマゾンより多くの消費者データが集まってくる可能性がある。うまく使えば、巨額投資を伴わずにリアルの世界の消費経済を束ねるプラットフォーマーにもなれるチャンスだ・・・

1割の動きだから、ニュースになるのですね。このあと、それが過半数を超えるのか、それとも少数にとどまるのか。そして、どちらを商機ととらえるのか。

新聞記者が語る金融危機の現場体験

朝日新聞夕刊連載「平成とは」に、原真人・編集委員が「金融危機」を書いておられます。1997年の金融危機の話です。
経験のない事態に、金融関係者も記者たちもとまどう様子が、ありありと書かれています。1月22日の「絶対書かないで」。

また、24日の「「ご解約ですか」に寒け」は、別の面から興味深いです。公的資金投入に反対だった社論を、方向転換する。「空気の支配」と「責任ある対応」を、考えさせられる場面です。朝日新聞編集局という知性の集団にあってもです。
・・・事ここに至って事態の深刻さがのみ込めた。「このままでは日本経済は恐慌状態になる」
何をどう報じるか。危機を抱えて年が明け、経済部長やデスク、論説委員、一線の記者らが集まって議論した。政府が検討していた銀行救済への税金投入をどう考えるかが最大のテーマだった。
金融機関への公的資金の投入は不人気政策だ。6850億円を投入した2年前の「住専問題」が尾を引き、新聞各紙はどこも銀行救済に厳しい論調だった。朝日新聞の論説委員室も、反対論を掲げた社説を何本も書いていた。
取り付けを実際に見ていた私は「今は税金をつぎ込んででもパニックを止めないと」と主張した。だが論説委員たちは納得しない。らちが明かないとみた経済部長が私に言った。「それなら君が、私はこう考えるという解説記事を自分で書けばいい」
数日後「公的資金投入は『投資』」という署名記事が載った・・・

『論壇の戦後史』

奥武則著『増補 論壇の戦後史』(2018年、平凡社ライブラリー)を読みました。元本は、2007年に平凡社新書で出ています。
主に、終戦直後から1960年安保まで、月刊誌『世界』を中心に、「論壇が輝いていた時代」を扱っています。主役は、清水幾太郎、丸山真男さんです。簡潔にまとまっていて、その時代を知らない人には、勉強になります。いろいろと考えたり思い出しながら読みました。

その後、進歩的知識人の地位が低下し、『世界』や論壇も地盤沈下します。
私が大学に入ったのは、1973年。その後の時代です。とはいえ、まだ、大学生(インテリ)なら、新聞は朝日新聞、週刊誌は『朝日ジャーナル』、月刊誌は『世界』を読むべきだという風潮がありました。
その後、新聞は日経新聞、週刊誌は『エコノミスト』(この2つは就職用にという意味もありました)、月刊誌は『諸君』に代わりました。政治の時代から経済の時代になったことを、反映していたのでしょう。

私は、次のような問題意識を持って、論壇を考えています。
・日本において、なぜ戦後一時期に、進歩的文化人・知識人がもてはやされ、論壇が輝いていたのか。そして、なぜその後、論壇にそのような活性化はないのか。
・西欧で吹き荒れているポピュリズムは、意見の違う集団が意見を戦わすのではなく、それぞれの陣地にこもって、支持者とだけ会話しています。会話が成り立たない。この状態を、どのように打破するのか。
・これからの日本社会を考える際に、オピニオンリーダーの役割は何か。マスコミや政党の役割は?
・そのような議論を戦わせる場はどこか。雑誌や新聞の役割は?SNSは便利ですが、冷静な意見の交換にはなりにくいようです。

またの機会に、続きを書きましょう。

仲間うちの投稿

9月5日の朝日新聞連載「平成とは」「仲間うちの投稿欄、部数増」から。
・・・大島さんは近くに本社がある産経新聞社が発行する保守系の論壇誌「正論」の元編集長だ。新聞の記者などを経て編集長に就任したのは1990(平成2)年。冷戦が終わって米ソ対立という大テーマが後退。苦戦を強いられたオピニオン誌をどう活性化させるか大島さんは真剣に考えていた・・・
・・・まず目をつけたのが、雑誌の最後にあった1ページの読者投稿欄だ。届いた投書を読んでいると「読者の書くものが面白いことに気づいた。その知恵をもっと拝借しようと思った」。
「読者の指定席」と名づけて投稿欄を6ページに増やしたのを皮切りに、93年には投稿に編集者が一言感想を添える欄「編集者へ 編集者から」を新設。2000年には読者の疑問に編集者や他の読者が答える「ハイ、せいろん調査室です」も追加した。「自国の歴史と先祖に誇りを持って生きるのはすばらしいことですね」「国旗を購入したいがどこにも売っていない。日の丸は簡単に手に入りません」……。次々と舞い込む封書やはがきを紙袋いっぱいに詰め込み、自宅に持ち帰って目を通した・・・
興味深い発言もあります。
・・・異論にも耳を傾けようと「朝日新聞的な意見」を載せたこともあったが、読者は「それは、他で読めばいい」と反発した・・・

・・・最近では敵を探そうとする流れも強固になっている、とメディアコンサルタントの境治さんはいう。データ会社を通じ、在京キー局の情報番組などを調べたところ、森友学園問題や日大アメフト部のタックル問題など一つの話題を集中的に伝える傾向が、ここ数年で強まっているのを確認したという。
「『悪役』が誰かわかりやすい話題が好まれる。常にたたける相手を探し、徹底的に打ちのめす傾向が社会的に強まっているのではないか」
水島久光・東海大教授(メディア論)は、平成は人々が「味方集め」に奔走した30年だったとみる。「SNSの『いいね!』もそうだが、誰かからの評価を求めてさまよう人々であふれ、ネットを中心にその傾向が加速している」・・・

他者との対話を拒否し、身内だけで盛り上がる。寛容性が低くなり、排他性が高まっています。以前からその傾向はあったのでしょうが、インターネットの発達がその拡散を助長します。
あわせて、多くの人は「話を聞いて欲しい」「意見を言いたい」。しかし、「反論されるのは嫌だ」「いいねと言って欲しい」。「私は正しい。あの人たちは間違っている」のです。友人、家族、職場でも同じです。