5月3日の日経新聞が、「PKO犠牲30年で慰霊式 カンボジア殉職の高田警視」を伝えていました。
・・・国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の文民警察官として派遣され、国連平和維持活動(PKO)に従事した岡山県警警視の高田晴行さん(当時33)が1993年に殉職してから4日で30年になるのに合わせ、在カンボジア日本大使館関係者らによる「慰霊の集い」が2日、首都プノンペンで開かれた・・・
私にとっても、忘れることのできない出来事です。「柳井俊二さん、カンボジアPKO」「当時の写真」
帰国したあとも、緊張が続きました。12日早朝、成田空港に到着して、村田大臣はパトカーの先導で首相官邸に急ぎ、宮沢総理と河野官房長官に報告しました。赤信号の交差点にサイレンを鳴らして入り、助手席の警護官が身を乗り出してほかの車を制止するという経験をしました。
12日には、地方交付税法質疑の参議院本会議が開かれました。本題ではないカンボジア出張の件が質問されました。これは、事前に質問通告があったので用意された答弁案に基づき、総理と村田大臣が答弁されました。ところが、野党の質問者は答弁に納得せず紛糾し、大臣はいったん退席して改めて答弁することになりました。本会議場の後ろの部屋で関係者が集まり、答弁ぶりを検討しました。
「第126回国会参議院本会議 平成5年5月12日議事録」
「議長(原文兵衛君) 自治大臣の答弁については、後刻協議することとし、次に進みます。」013
「武田節子君 ・・・自治大臣と文民警察官との会見で警察官の方々から、何人死ねば帰されるのですかとか、現地の実情が理解されていない等々の発言があったと伝えられておりますが、この点、正確な御報告を求めたいと思います・・・」036
「国務大臣(村田敬次郎君) 先ほど来の質問は、文民警察官の十三人の方から、何人死ねたら帰るのかという質問があったというお尋ねであろうかと思います。私は、その質問はなかったと申し上げます。(拍手)」041