カテゴリーアーカイブ:人生の達人

テレワーク、人との交わりの意義

2020年7月15日   岡本全勝

朝日新聞のウエッブ「論座」7月13日配信、花田吉隆・元防衛大学校教授の「テレワークにより気付かされた「接触」と「空間」の本当の意味」から。

・・・テレワークの技術がなかった時代、我々は何でもかんでもオフィスに持ち込み、その中で処理しようとした。人をかき集め、オフィスに入れ、仕事をさせれば何かが生み出される。それが当たり前と考えていた。
テレワークの技術が生まれ、実は、その中にテレワークで代用できるものが多くあることを知った。つまり、何でもかんでも「オフィスの中に詰め込む」必要はなくなっていた。これまでオフィスの中で行っていたデスクワークから、オフィスを拠点に行う外勤の営業まで、テレワークで代替できることを知った。しかし、そのことは、「オフィスの中に詰め込む」ものがなくなったことを意味しない。オフィスの意味は依然失われていない。何が依然「オフィスの中に詰め込まれる」べきものか。つまり、オフィスの役割は何か。オフィスの意味を「洗い直し」オフィスを「純化」する必要がある。換言すれば「接触」の本当の意味は何か。

つい先ごろ、英国でパブが再開された。パブは英国文化と切っても切れない。フランス人がカフェを愛するように英国人はパブに深い郷愁を感じる。人々は、何カ月にも及ぶパブ閉鎖の解禁を待ち焦がれるようにしてパブに押し寄せ、ジョッキを口に運んだ。ここでパブは単なる飲み屋ではない。馴染みが集まり談笑し、ともに笑い悲しみ、意見を戦わせることにこそパブの持つ意味がある。人はそこで自らの存在の認知を得るのだ。パブで談笑しながら、自らの存在を他人に確認してもらう。この側面なしに人間は存在しえない。
フランスで、長く介護施設の面会が禁止された。それが解禁になった時、施設居住の高齢者が面会に来た家族と、アクリル板に顔と顔を擦り付けるようにして再会を喜び涙する映像が流れた。実に、我々は「接触」なしでは生きていけない

・・・こういう人の「感情面」に接触の意味があることは疑いない。もう一つ、重要なのは「知的な面」だ。
人は、集まり「接触」を繰り返しながら、何かを発見し、新たなことに気付いていく。「接触」は「創造性」の発揮になくてはならない場だ。オフィスが持つ意味として、この機能が失われることはあるまい。人は集まり物理的空間を共有することにより、新たなインスピレーションを得る。それが創造性を刺激し新たな製品開発につながる。「実空間」に人が集まることが重要なのだ。今の時代、企業はスタッフの創造性を高め企業を生まれ変わらせてこそ生き残りがある。これまで通りの企業形態でやっていける時代は終わった。この意味の実空間はテレワークでは代替できない。
もしそうだとすればオフィスの「個室」が持つ意味は低下しても、「大部屋」が持つ意味は逆に高まろう。いわば、オフィスの「レセプション会場化」だ。人が、オフィスに集まり、自由に考えを交換し刺激し合う中に新たな創造が生まれる。そういう「知的創造」の場としてのオフィスの意味が今後、再確認されていくのではないか・・・

やさしい日本語ニュース

2020年7月5日   岡本全勝

6月29日の朝日新聞夕刊「凄腕しごとにん」は、山屋頼子さん「やさしい日本語にしたニュース、約3千本」でした。
NHKのウエッブサイトの「やさしい にほんごの ニュース」の担当者です。ニュース原稿を、1年ほど日本語を学んだ人でもわかるぐらいのやさしい日本語に書き換えます。

コツは3つあるとのこと。
1 文章を短くする。
2 伝えたいことを最初に言う。
3 書き換えたものを客観視する。
特に、英語などのシンプルな構文に書き換えられるかを考えると効果的だとおっしゃいます。
これらは、「明るい公務員講座」でお教えしたことですね。

在宅勤務手当

2020年6月30日   岡本全勝

コロナウイルス対策で、在宅勤務が推奨されました。その長所と欠点がいくつか上げられています。今日は少し変わった視点から。
在宅勤務は通勤が不要で楽なのですが、多くの場合自宅が勤務場所になります。パソコンと通信回線があれば、多くの仕事は片付きます。

問題の一つは、自宅に「執務場所」がないことです。職場と同じくらいの広さの空間と机を持っている人は、少ないのではありませんか。学生時代は勉強部屋を持っていても、社会人になってから書斎や執務部屋を持っている人は、都会では多くはないでしょう。
豊かになった日本の弱点の一つは、住宅の狭さです。もちろん、田舎では広い家にすんでいる人も多いですが。多くの社員は、自宅の食卓や居間でパソコンを広げているのではないでしょうか。そして、そこには家族が入ってきます。

日本には、社宅や住宅手当という制度、通勤手当という制度があります。それを考えれば、在宅勤務をする社員に「執務空間を確保する手当」は考えられませんかね。
会社は、本社や事業所で、社員が執務する空間・机などを提供しています。それが、部分的に不要になります。在宅勤務は、その分を社員が自宅で無償で提供しているのです。
本当は、独立した執務空間を自宅に作れれば良いですが、それは難しいでしょう。すると、喫茶店など執務に使える空間を借りる費用と考えるのです。

『ランスへの帰郷』

2020年6月29日   岡本全勝

ディディエ・エリボン著『ランスへの帰郷』(2020年、みすず書房)を読みました。本屋で見つけ、読んでみようという気になりました。著者のエリボン氏は全く知らないし、みすず書房の西欧哲学・思想関係の本は難しくて、遠慮しているのですが。この本は、フランスの哲学者の自伝でもあるので、読めるかなと考えたのです。フランスとドイツでベストセラーだそうです。いくつか書評も出ています。

帯に「労働者階級の出身であると明かすのは、ゲイであるということを告白するより難しかった」とあります。この本の内容を、良く表しています。著者の二つの苦悩、それが彼を作ったのですが、その過程が語られています。
下層労働者の家に生まれ、高等教育に進むことは、家族や地域から離脱することでした。恵まれた家庭の学校の友達に劣等感を持ちつつ、彼らに反発したり迎合しつつ、勉強を続けます。そして、家族とは疎遠になります。というより、彼は切り捨てます。既存知識人たちに反発することで、大学教授になることはできず、新聞界で名声を上げていきます。彼はそれについても、やりたくなかったけど、食べるために必要だったと語ります。
ゲイであることについても、社会から差別を受けます。社会との葛藤を乗り越えていきます。
その二つの、社会との葛藤、自己との葛藤が、描かれています。それが個人の独白でなく、フランス社会の課題と重ね合わされて語られます。そこが、哲学者、社会学者としての分析となります。フランスの哲学界、知識人たちが、1970年ごろまでいかにマルクス主義にとりつかれていたかもわかります。ゲイについては、私はわかりませんが。だから、フランスで読まれたのでしょう。

ランスは、パリから東北に100キロあまりの都市です。フジタ画伯の礼拝堂もあります。そんなに田舎と思えないのですが、フランスはパリ一極集中が極端です。パリでなければ、まっとう高等教育を受けることができないと書かれています。著者は早熟、そして頭脳明晰なので、凡庸な教師に飽き足らなかったのです。

私も、奈良の田舎から東京に出て、大学で学び官僚になりました。親やふるさとから離れて別の世界で生きた点では、同様です。著者とは2歳違いで、ほぼ同年代です。このような著名人と一緒にすると叱られそうですが、私の半生と少し重ね合わせて読みました。
フランスの階級差別の厳しさ、社会的上昇の難しさには、厳しいものがあるようです。ブルデューが、生まれた家による「文化資本」の違いを指摘するのがわかります。

日本では明治以来、勉強ができて野心のある若者は、東京や各地の旧制高校、後に大学を目指しました。学資の問題はありましたが、家庭の出自は問題にされませんでした。確かに田舎者は、上流階級の子どものようにはクラッシック音楽を知らず、教養も低く話し言葉も粗野でしたが。だからといって、露骨な差別はないと思います。
また、家族と疎遠になることもなく、田舎の人たちは東京での出世を褒めてくれました。日本には「故郷に錦を飾る」という言葉もあります。
社会的上昇がかなり実現できたのです。「一億総中流意識」は、そのような社会背景もあって実現したものでしょう。

翻訳もこなれています。フランスの哲学に通じていない人のために、丹念に注がついています。フランス哲学の門外漢でも、読みやすいです。

福島勤務再開

2020年6月22日   岡本全勝

コロナウイルスでの移動制限が緩和され、今日から、福島での勤務を再開しました。久しぶりの福島は、新鮮さがあります。
新幹線の車窓からは、雨に煙る関東平野、緑の山々、稲の苗が育って一面青々とした田んぼなど、懐かしい風景を見ることができました。
今日は早速、被災地へ。山の緑の中に、ヤマボウシの白い花がきれいでした。

2か月半、会ってなかった人たちに会うと、何かしら懐かしいです。電子メール、電話、テレビ会議では、やりとりしていたのですが、実際に会うのは違います。

久しぶりの出張で、持っていくもの、ホテルでの行動など、かつては身体で覚えていたことを思い出しつつ、やっています。事務所の入り口の暗証番号を忘れていたり・・・暮らしの型を取り戻すには、少々時間がかかりそうです。