カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

オンライン会議の機能と限界

先の日曜日の午前中、オンライン会議に参加しました。ある学術出版について、執筆者と編集者による打ち合わせです。私も、そのうちの1章を分担しています。
この企画が昨年春に始まって以来、様々なやりとりは、電子メールでの連絡と、オンライン会議を組み合わせて行われています。執筆の際の形式などそろえるべき要素は編者から指示があり、執筆者はそれに従って分担執筆します。とはいえ、進めていくうちに、相互に調整をとらなければならないこと、統一した方がよいことが出てきます。そのための、オンライン会議でした。
執筆者が20人を超えます。この人たちが集まるのは、かなり難しいことです。各地から集まるとなると、時間もかかります。それを考えると、自宅から参加できるのは、便利なものです。

参加して、便利なものだと思いつつ、違ったことを考えていました。
参加者は、著名な学者さんたちです。久しぶりにお目にかかる方や、初めてお目にかかる方もおられます。会議が始まる前に、簡単な挨拶はできるのですが、それ以上はできません。
集まっての会議の「効用」は、そのような人たちと挨拶を交わすこと、雑談ができることです。そして、気になっていることを相談したり。親しくなるということは、そういうことですよね。場合によっては、会議後に席を移して話すこと、食事に行くこともあります。

毎年秋にニューヨークで国連総会が開かれ、都合がつく限り総理が出席されます。ところで、総会では各国の代表が入れ替わり、それぞれ主張を述べるだけです。他の国の代表はほぼ出席しておらず、各国の外交官が座って聞いています。それはそれなりに意義はあるのですが、これがどれだけの効果があるのか疑問に思うこともあります。それだけなら、ビデオでの出席と同じです。
ところが、国連総会に各国首脳が出席する意義は、本会議だけではなく、その前後に開かれるいくつもの各国首脳同士の1対1の会議が重要です。これを個別に行おうとすると、日程の調整や各国間の移動など、大変な労力が必要になります。会合に集まるというのは、そのような付随機能があるのです。

あうんの呼吸は上司の甘え

1月11日の日経新聞「私の課長時代」は、柘植一郎・伊藤忠テクノソリューションズ社長でした。

・・・「日本だけでの仕事は面白くない」という気持ちになり、商社を志望しました。
配属は紙パルプ事業で、北米やオーストラリア、北欧から原料を輸入する担当でした。93年にニューヨークが拠点の子会社に出向。米国で初めて課長になり、3人の部下を抱えます。
北米や南米から紙の原料となるパルプを調達し、日本や米国の製紙会社に売る役割でした。当時はパルプの引き合いが強く、売上高の目標達成は難しくありません。しかし異文化でのチーム運営に苦労しました。部下の米国人男性は優秀でしたが「あうんの呼吸」が全く通じません。

ある日、日本から製紙会社の経営者が来ることになり、部下に懇談の飲食店の予約を頼みました。大切な顧客で、「予算はいくらでもいい」と依頼。しかし部下は「ノーリミットなんてありえない」と口にし、困った表情を浮かべます。信頼して任せたつもりでしたが、適正な単価や食の好みなど、具体的な指示を求められました。
チームの目標設定も同じです。例えば私が「あの代理店と何が何でも取引しよう」と命じても、部下からは「なぜその企業なのか」「その新規取引でシェアは何%拡大するのか」などと質問攻めにあいます。日本人同士では少ない言葉でも、チーム一丸で目標に向かう経験が多かったです。しかし米国駐在で、それは「上司の甘えだ」と気づきました。世界の誰にでも伝わるように、明確かつ論理的な指示の方法を鍛える場になりました・・・

美人にキスしながら 安全運転ができる人間は、 キスに十分集中していない

「美人にキスしながら 安全運転ができる人間は、 キスに十分集中していない」という言葉を思い出しました。アインシュタインの言葉だそうですが、出典は明確ではないようです。私のホームページを検索したら、この話は「同時に2つのことはできない」で書いていました。
この言葉は、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という格言より、情景を思い浮かべながら、頭に入ります。もっとも私は自動車を運転しないので、このような状況にはなり得ないのですが。

私は、音楽を聴きながら勉強することができません。人間の頭は、同時に二つのことを考えることができないように、できているようです。
例えば、同時に二人の人の話を聞いて理解することはできません。あなたはできますか?
そして、気が散る場所では、難しい本も読めません。勉強にしろ仕事にしろ、難しいことを考えるには、一つのことに集中すること、その環境をつくることが必要です。また、勉強や仕事以外に難しい問題を抱えていると、頭がそちらの方に向かって、今の課題に集中できないこともあります。
集中力、その1。邪魔する要素、外部要因

文系の発想、理系の発想

実用の学と説明の学」の続きです。自らの反省でもあります。
私が大学で習った法学は、実定法の解釈学です。実際の事案に現行法令に当てはめて結論を出します。どの条文に当てはまるかです。ところが現実には、法律が想定していない事態が起きます。その場合も、なんとかして現行法令に当てはめることができないか、いろいろと屁理屈を考えるのです。
「法律に書いていないことが起きた場合は、新しい法律をつくる」という発想がありませんでした。立法学は学ばなかったのです。法律を変えずに解釈で切り抜ける代表例は、憲法9条でしょう。

「実用の学と説明の学」で、社会学の多くは分析にとどまっていて提言が少ないこと、「批評の学」にとどまって「実用の学」になっていないと批判しましたが、法学も政治学も解釈と批評にとどまっていると、同じことが言えます。

かつて「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」という発言を紹介したことがあります。「過去の分析と未来の創造と:官僚の限界

公務員が新しい事態に直面して、「法律に書いていません」「予算がありません」「前例がありません」と発言するのは、「新しいことに関わるのは面倒くさい」という性癖とともに、このような解釈学思考に染まっているからかもしれません。行政には「過去との対話」でなく「未来との対話」が重要なのです。「過去との対話と未来との対話

備える危機の3種類

災害をはじめとして、組織にはさまざまな危機が起きます。それらに、どのように備えるか。3つに分けて考えると、わかりやすいです。

その1は、経験したことがある危機です。人は一度経験すると、二度目は上手に対応できます。組織も同じですが、時間が経つと経験者がいなくなるので、その経験をどのように引き継ぐかが課題となります。

その2は、同業他社が経験した危機です。その際の対応が役に立ちます。というか「私たちには初めての経験なので・・」という言い訳は通用しません。その1の危機もその2の危機も、手順書やそれを基にした訓練が、いざというときに効果を発揮します。

その3は、まだ誰も経験したことのない危機です。いろいろと想定をしておきますが、未曾有の危機では想定外のことが起きます。その際にどれだけ想像力を働かすことができるか。ここに、力量が現れます。