カテゴリーアーカイブ:行政

省庁改革5周年

2006年1月10日   岡本全勝
8日の読売新聞も、省庁再編5年を解説していました。「政治主導、道半ば」「ポスト小泉で逆戻り、統合効果・融和に課題」という見出しです。
「しかし、首相主導のもろさを指摘する声もある。省庁再編に伴う改革では、内閣法を改正し、閣議における首相の発議権を明確化した。次官会議で事前に了承した案件のみ取り上げる閣議の形骸化を改める狙いがあったが、『発議権の定義は明確でないが、首相自ら、閣議で需要案件を発議したケースはほとんどない』(内閣官房幹部)のが実情だ」
「省庁間の調整が難しい場合に、内閣官房か内閣府が調整を果たす政策調整システムも機能していない」
ご指摘点は、その通りでしょう。でも、私に相談してくれれば、もっと幅広い整理をしたのに。先日の整理を見てください。

省庁改革5周年

2006年1月6日   岡本全勝
今日6日で、省庁改革から5年がたちます。日経新聞は「行政効率化、道半ば」「政治主導進む」を書いていました。もう5年もたつのですね。拙著「省庁改革の現場から」では、第2章で「何が変わるか」を、第4章で「残されたこと」を整理しておきました。それに沿って、現段階での進捗状況・効果を簡単に評価しておきましょう。
(仕組みの改革について)
1 省庁再編は、円滑に進んだ(官僚は抵抗しなかった)。
2 内閣機能の強化は、特に、経済財政諮問会議が効果を発揮した。内閣官房・内閣府については、まだ評価は定まらない。
(運用の改革について)
1 政治主導については、小泉総理により、官僚主導から政治主導へ、政治家(のバラバラ)主導や党との二元主導から官邸主導へ、大きく進みつつある。
副大臣・政務官の機能については、まだ評価は定まらない。
2 縦割り行政の弊害除去については、官邸主導で改善されつつあるが、評価は定まらない。
(行政改革について)
1 スリム化については、課の数・定数削減など決められたことは進んだ。さらに、定数削減については、厳しい目標が立てられた。
2 独立行政法人化も決めた以上に進み、予想以上に非公務員化が進んだ。ただし、国費の削減効果、効率化についての評価は、まだである。
3 公務員制度改革については、いったん頓挫した。
4 省庁改革では国営とされた郵政事業が、民営化されることとなった。また、政府系金融機関の整理など、新たな大きな行政改革が進められようとしている。
5 政策評価は着実に運用されているが、これの効果はまだ定まっていない。
新たな行政改革を実行するため、再び各省から職員が、虎ノ門の第10森ビルに「招集」されています。このビルは、省庁改革の時に事務局を入れるために借り上げたのですが、その後の行革、郵政民営化、そして今回の行政改革と次々と事務局が入り、「内閣官房改革別館」になっています。

官僚の責任2

2005年12月26日   岡本全勝
19日に書いた行天豊雄さんの反省について、「地方財政対策も、同じだったんじゃないですか」と指摘を受けました。1990年代の不況期に、国は景気刺激のため、地方団体に対して、どんどん公共事業・地方単独事業をするように勧めました。もちろん財源はないので、地方債や交付税特別会計で借金をする。将来の交付税を返還財源とし、当面は利払いだけをする(地方債はちゃんと元金も返済していますが、それより大きい額の地方債を新たに発行していたので、同じようなものです)。
この場合、登場者は大蔵省と自治省でした。そして、国は、財政規律を失いました。しかし、地方はそれ以上に、自治の規律(自分の負担の範囲で仕事をする)を忘れることになったのでしょう。「これしかなかったのだ」というのが、弁明だと思います。私も同罪です。(10月21日)
古くなりましたが、日経新聞は12月5日から8日まで、「官を開く」第3部「公務員はどこへ」を連載していました。「誰でも成績優秀。ムダ放置、遠い能力主義」「身分保障の幻想。摩擦恐れリストラ封印」「未来描けぬ霞ヶ関。変化に遅れ、人材流出」など、新しい時代の公務員のあり方を論じています。
ここに見られるのは、官僚に求められることの変化とそれに応えていない官僚、官僚が特別だという考え方が通じないことなど、これまでの官僚論とは違った角度・中身の議論が進んでいることです。

審議会政治の終焉

2005年10月25日   岡本全勝
25日の朝日新聞では、「首相の下、強まる官邸主導」「省庁の審議会、埋没」を解説していました。委員がわいろをもらっていた中央社会保健医療協議会の「地位低下」は論外ですが、政治主導の政治になるなら、審議会はお役後免になるはずです。
ある分野の政策を決めることや、利害対立する政策を調整することは、本来、政治家の仕事です。それを官僚が行い(政治家が逃げ)、官僚が決めるのでは国民が納得しないので審議会の形を借りる(実質は官僚が原案を書く)、というのが審議会です。
審議会にはもう一つ、法律を施行する際に専門家が事実認定をする「審査会」というグループがあります。航空・鉄道事故調査委員会とか、恩給審査会とかです。不服審査や行政処分に関与するものです。これは審議会と名が付いていますが、審議会とは別物で、「良い審議会」です。問題となるのが、政策を審議する審議会で、これが「悪い審議会」です(詳しくは拙稿「中央省庁改革における審議会の整理」月刊『自治研究』2001年2月号、7月号をご覧下さい)。
大臣が政策を決定する際に、専門家の意見を聞くことは悪いことではありません。審議会という「権威」を借りて、責任をそこに預けてしまうことがいけないのです。専門家の意見を聞くなら、個別に聞くか、勉強会を作ればいいのです。先日、住民基本台帳の閲覧制限を議論した専門家の集まりは、審議会ではありません。専門家の意見を聞いて、政治家が決定するのです。

官僚の責任

2005年10月19日   岡本全勝
日経新聞私の履歴書、今月は、行天豊雄さんです。19日は、大蔵省課長時代の経験を書いておられました。
「そこは、不思議の国だった・・・例えば、民営化前の国鉄。赤字の国鉄には金がない。誰が金を出すかで、主計局と理財局の押し付け合いになる。『税金でキチンと処理すべきだ』と理財局がいえば、主計局は『もう税金は使えない』。結局、理財局が財政投融資の資金を出す。主計局の方は、その利子を賄うことで、折り合いがつけられた。その結果、借金はどんどん膨らんでいった。公共事業の採算は全く考慮されることなく、本来金融業務でもあるはずの財政投融資にもリスクの観念がなかった。おかしいなと思いながら、流される日々だった」
官僚の後輩である私にも、重い言葉です。