朝日新聞1月29日オピニオン欄、柳原三佳さん(ノンフィクション作家)の発言「車の保険、組員排除は危険」から。
・・自動車保険の約款に、暴力団員と契約しないという条項を加える損保会社が増えています。任意保険に入らないままハンドルを握る組員に事故を起こされたらどうなるのか。被害者救済という観点から、多くの問題があると言わざるを得ません・・
例えば信号待ちで停車中、無保険の組員に追突されてしまったとします・・このケースでは、被害者が直接、保険を使えず自腹を切ることになる組員と交渉することになりますが、それがいかに困難であるかは明白です・・
損保会社が、暴力団による保険金詐欺を防ぎたいという事情も、悪質な運転で事故を引き起こすような組員に保険金を支払いたくないという気持ちも理解できますが、被害者救済のためにも、対人・対物といった賠償保険だけは引き受けるべきです。保険から暴力団を徹底的に排除するのであれば、その前に、組員に免許を与えない、車を売らない、車検も通さないという取り組みをすべきでしょう。順序が逆です・・
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政治評論の役割、3
御厨貴著『馬場恒吾の面目』の続きです。もう一つ興味深かった指摘を紹介します。
・・『危機の20年』―これは高名な歴史学者E・H・カーによる戦間期20年を扱った名著の題名である。カーの命名の仕方にあやかれば、1931年の満州事変の勃発に始まり、1955年の55年体制の成立に至る四半世紀こそ、20世紀の日本にとって「戦争」による危機と変革の構造を含んだ一つの時代であった。
「危機の25年」―満州事変に始まり、5・15事件、2・26事件という国内騒乱を経験し、日中戦争そして日米戦争に突入する。敗戦の後はアメリカ軍による占領改革を経て、復興の最中に55年体制の成立を見る・・(p16)
なるほど、そうですね。私たちは、1945年(昭和20年)の敗戦で、日本の歴史を大きく区切ります。戦後改革で、日本の政治、経済と社会は、大きく変わりました。しかし、御厨先生が指摘されるように、日本の政治、日本人はどのように国の進むべき道を選んだかという視点からは、1945年で分けられるのではなく、戦前の政党政治が終わった1931年から、次に戦後の政党政治が安定した1955年までを一区切りとしてみることが重要です。目から鱗でした。
ある日を境に、前の時代(政治体制)が、次の時代に代わるわけではありません。前の時代が倒れた後に、新しい時代を作る過程・苦しみがあります。それは、明治維新も同じでした。江戸幕府が倒れてから、明治国家が軌道に乗るまで、結構な時間がかかっています。どの時点をもって軌道に乗ったかは意見が分かれるでしょうが、西南戦争までで10年、明治憲法までが23年です。
すると、第3の開国と呼ばれる、現在の改革はどうでしょうか。例えば、1991年バブル崩壊を起点とすると、それから既に23年が経ちます。政治改革、規制改革などが進行中です。この間の行政改革を、単にスリム化ではなく、行政のあり方、さらには国家のあり方の改革として、分析を試みたことがあります。「行政改革の現在位置」(年報『公共政策学』第5号p37、2011年)。時間ができたら、じっくりと考えてみましょう。
政府と与党
次のようなニュースが載っていました。NHK1月21日。
・・自民党の総務会は、政府の日本経済再生本部が決定した経済の成長戦略の実行計画案について、「政府から事前の説明が一切なかった」として、政府側が求めていた21日の了承を見送りました・・
ニクソンとキッシンジャー外交、2
現実主義というと、現実にとらわれ、現状を所与のものと考える、と思ってしまいます。すると、何も変えることができません。
そうではなく、理想は直ちには実現できないが、各国の利害が錯綜するなかで、少しずつ理想に近づける・自国の利益を進めるというのが、ここに言う現実主義です。そこでは、現実に流されるのではなく、何ができるかを想像し、策を打っていきます。その反対は、想像力がなく、現実に流され、その場限りの取り繕いをする「その場主義」でしょうか(反省)。
彼らの現実主義は、想像力を持って、かつ現実的な対策を打つという、能動的なものです。理想主義と同様に、理想は持っています。違いは、できることから行うのか、できないことを言うのかの違いでしょう。
政治を、可能性の空間と考えるか、決められたこと・運命と考えるかの違いです。「政治とは可能性の技術である」とは、ドイツの大宰相ビスマルクの言葉です。そのためには、想像力の大きさと、打つ手の確実さが必要です。これは、大政治(ハイ・ポリティクス)に限らず、どの世界も同じでしょう。
さて、本書は、新書版の分量で、ソ連との戦略兵器削減条約、米中和解、ベトナムからの撤退という大きな外交戦略を分析しています。その結果、わかりやすいですが、生々しさまでは書けていないようです。
ところで、二人三脚で進められたニクソン・キッシンジャー外交ですが、2人はかならずしも仲が良かったわけではありません。これについては、カール・バーンスタイン、ボブ・ウッドワード著『最後の日々―続・大統領の陰謀』を紹介しました(2013年3月20日の記事)。
ニクソンとキッシンジャー外交
大嶽秀夫先生の『ニクソンとキッシンジャー 現実主義外交とは何か』(2013年、中公新書)を紹介します。
私は若いとき、ニクソン外交、特に米中和解(1971年)を見て、これはすごいと感心しました。当時は、キッシンジャーがやっているものだと、思っていたのですが。
その後、ニクソンは、ウォーターゲート事件で失脚します。しかし、ニクソン著『指導者とは』を読んで、さらに感心しました。拙著『明るい係長講座』で、『指導者とは』を引用したこともあります。なお、『指導者とは』は、文春学藝ライブラリー文庫で、復刊されました。
ニクソンとキッシンジャーが展開した現実主義外交の内容は、本書を読んでいただくとして。当時、米ソ対立・共産主義対資本主義という構図でとらえられていた国際政治構造を、米ソ中の対立構造に変えたのです。これには、世界中がびっくりしました。誰にも知らせない秘密外交が、その衝撃を大きく演出しました。
国際政治でいうと、その後、1989年のベルリンの壁の崩壊と共産主義の崩壊も、予想していなかったので、びっくりしました。
ところが、このように、現実の世界では、予想もしていないこと、できっこないと信じていることが、起きるのです。もちろん、そこにはそれを仕掛ける人がいて、それを成り立たせるだけの経済政治社会条件がある(後でわかる)のですが。
また、2人は、泥沼のベトナム戦争から撤退します。これには、相手(北ベトナムや南ベトナムなど)のほかに、国内対策も困難な要素でした。それを、どのように乗り越えていったか。2人の作戦を、読んでください。
この項続く。