カテゴリーアーカイブ:行政

国家公務員のためのマネジメントテキスト

2021年11月21日   岡本全勝

内閣人事局が、管理職研修の教科書を作りました。「国家公務員のためのマネジメントテキスト」(11月16日公表)。「発表資料
作成の趣旨は、発表資料に書かれているとおり。働き方改革を推進するためには、「マネジメント改革」と「業務の抜本見直し」が必要だと分かりました。そのマネジメント改革の一つです。

私の連載「公共を創る」でも指摘しているように、日本社会は先進国に追いついき、右肩上がりが終わりました。手本に向かって全員が団結して進むという形が、成熟社会にそぐわなくなりました。
振り返ってみると、企業でも官庁でも、管理職研修は本格的・系統的に行われてきませんでした。「先輩のやり方を見て覚える」でした。また、かつての職場は、大卒は幹部候補、高卒と中卒は基幹要員、女性は補助という3経路で人事を管理していました。これも、進学率の向上、男女共同参画の進展で、成り立たなくなりました。
21世になってそれが顕在化し、企業でも官庁でも管理職のあり方が再検討されるようになったのです。管理職に管理職の仕事をさせるのです。
職場慣行も、メンバーシップ型からジョブ型への移行が進められています。雇用と労働における「この国のかたち」が大きく変わろうとしてます。

内閣人事局の幹部候補研修のうち係長級と補佐級については、私が研修講師を務めたビデオ教材を作成しました。近いうちに、研修を実施するようです。

メルケル首相の評価

2021年11月20日   岡本全勝

11月11日の朝日新聞オピニオン欄「さよならメルケル」、岩間陽子・政策研究大学院大学教授の「長すぎた16年、広がったEU内格差」から。

――長すぎたとは?
「16年間という在任期間にもかかわらず、ドイツにとっても欧州にとっても新しいビジョンを打ち出せなかった。欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)という欧州の安定に欠かせない機関の改革もしなかった。欧州の自立ということを繰り返し語っても、具体策はありませんでした」
「外交で顕著だったのが中国依存です。在任期間は、中国の存在が大きくなり、米国の地位が下がっていく時期と重なります。メルケル氏が選んだのは、中国市場の拡大を利用し、自動車を中心とする既存の産業を発展させる道でした。対ロシア関係とともに、人権問題での批判があっても『対中関係は経済問題』というスタンスをとり、欧州を相対的に軽視したように思います」

――欧州で「ドイツ1強」と言われるほどになりました。
「EUではドイツが目立ってはだめなのです。経済力の強さは以前からです。西欧中心だったEUは東に加盟国を増やし、EU内の格差が広がりました。新たに加盟した東欧諸国には欧州の二級市民だという意識があります。財政危機で南北格差も拡大しました。こうした格差を埋めるEU改革に着手しないといけなかった」
「例えばユーロ危機はメルケル氏の手腕で乗り越えたと言われます。確かにギリシャの財政問題に端を発した危機で、ギリシャ救済策をドイツ国民がのめない結果になっていたらユーロはつぶれていた。その意味では『救った』と言える。一方でその後、ユーロ圏の債務共通化など機構改革を進める必要があった。豊かな北部欧州から南部への財政移転を後押ししないと同様の危機は回避できないし、加盟国の国民間の格差意識はなくならない。でもメルケル氏は欧州ではなく中ロを重視し続けました」

――どういう弊害があったのでしょうか。
「『ブリュッセル(EU)が悪い』という議論の広がりに歯止めをかけられませんでした。英国のEU離脱をめぐる国民投票(ブレグジット)が典型例です。EUからの分配金でのメリットが実際は大きくても、市民レベルではそう思えない。メルケル氏は欧州市民としての肯定的なアイデンティティーを打ち出し、機構改革の主導権を握る必要があった。EUの中核である独仏のうちマクロン仏大統領の方が積極的でした。メルケル氏は一緒に改革を進めようとしなかった」

――なぜでしょう。
「理念がないからでしょう。同じくドイツで16年間首相だったコールは欧州統合を大事にしました。ドイツ統一の父ですがドイツ第一主義ではない。EUとNATOをきちんと機能させることを優先し、対米関係も大事にしました」

――2011年の東日本大震災後のドイツの脱原発、難民危機の際の「受け入れ」表明に理念はなかったのですか。
「むしろ風見鶏的だったと私は思います。一般人の感覚には敏感でした。『難民の受け入れ』は、その後人数の抑制という変更を余儀なくされました。脱原発も、中期エネルギー計画などに基づいた判断ではありません。メルケル氏が率いるキリスト教民主同盟(CDU)は長年、産業・科学立国を掲げ、原発推進派でした。路線を転換するなら相応の計画と見通しを示す必要があったと思います」

――メルケル後にはどういう課題が残っていますか。
「21世紀の欧州の未来像を描くことだと思います。EU市民の共感を得続けるには、皆がわくわくするような夢が必要です。80~90年代の欧州は統一市場、統一通貨という考えの下、実験的な試みが次々となされました。冷戦終結からすでに30年。ドイツにも欧州にも、新しいビジョンが必要です」

参考「メルケル首相評伝

公務員の2年での異動慣行の起源

2021年11月17日   岡本全勝

人事院月報」2021年11月号に、清水 唯一朗・慶應義塾大学総合政策学部教授の「魅力ある公務に進化するために」が載っています。そこに、次のような指摘があります。

・・・他方、政官関係の構造が大きく変化した中央省庁再編から二〇年が過ぎた。それ以後に採用された公務員は全体の四割に及ぶ。 つまり、 半数近い公務員が、 上から降ってくる案件を打ち返す、省庁再編後に顕著となった受身の政治―行政関係のなかで育ってきたことになる。それ以前に採用された者も、キャリアの大半をこの時代のなかで過ごしてきた。
主体性のなくなった組織ほど、苦しいものはない。シュリンクした地方銀行が主体性を失い、その存在意義を問われるまで追い込まれたように(橋本、二〇一六) 、公務も主体性を失い、されるがままに迷走を続けるのだろうか・・・

また、次のような記述もあります。
・・・現在広く定着している二年単位での異動の淵源について、同僚に尋ねられて調べたことがある。それは日清戦争のとき、つまり今から一二五年前に作られた制度であった(小熊、二〇一九) 。
しかも、 驚くべきことはその理由である。当初は五年を昇進・異動の目途としていたのが、日清戦争による業務量の爆発的な拡大に合わせて行政機構を拡大したため、昇進を早める必要が生じた。その結果、五年から三年、二年と短縮された。もちろん、一度短くしたものが再び長くはならない。
それから長い年月が経った。非常事態の行政需要に対応するための緊急避難策であったはずの二年ルールがなぜか命脈を保っている・・・

私も常々、公務員の短期異動を疑問に思い、改善を主張しています。かつては、上級職はさまざまな仕事を経験させて幹部にする、他方でその他の職員は特定の場所で専門家に育てるという方針があったのだと考えていました。しかし、2年程度で異動を繰り返していては、専門性を持たない職員が育ちます。この点は、民間企業の人たちが不思議に思う点です。その起源が明治時代の緊急措置であったとは、知りませんでした。小熊先生の本も読んでいたのですが。

改めて探してみると、小熊英二著『日本社会のしくみ』(2019年、講談社現代新書)の288ページに出ていました。ただしそこには、高等官の給与制度が理由として挙げられています。
1886年の高等官等俸給令では、5年以上勤務しなければ、より上位の官に昇進できないことを定めていました。その後3年に緩和された後、1895年の改正で2年になりました。背景には、日清戦争による行政の拡大と、帝大卒業生の無試験特権回復を求めての試験ボイコットがありその待遇改善のためと書かれています。
現在では、給与と異動とは連動していないので、この理由では説明できません。

若手官僚が、「このままでは技能を磨くことができない」と嘆く一方で、定期異動の時期になるとそわそわし、異動を望むのでは、技能を磨くことはできません。

日本政治、改革の時代と改革疲れ

2021年11月13日   岡本全勝

11月2日の朝日新聞オピニオン欄「選挙戦が示したもの」、境家史郎・東大教授の「ネオ55年体制 立憲は変われるか」から。

・・・衆院選は「政権選択選挙」とされます。特に今回は、与野党一騎打ちの構図となった小選挙区が多くなったため、自民党と民主党の2大政党が張り合っていた頃の政治状況に戻ったとの高揚感が、野党陣営にみなぎっていたようです。
しかし有権者が今回示した民意は、政権与党の「勝ちすぎ」を嫌ったものではあっても、政権交代を求めるものではなかったと言えます。歴史的には、2大政党がしのぎを削る状態に進んでいるのではなく、「ネオ55年体制」と呼ぶべき政治状況が続いていると見ています・・・

・・・1990年代から2000年代にかけて、日本政治は「改革の時代」でした。国際環境の変化や、経済の悪化、災害の発生といった社会不安の高まりから、様々な面で旧体制の変革が模索された時代です。そうした時代や風潮の波に乗ったのが民主党で、改革路線を打ち出した小泉政権の後、旧態依然たるイメージの短命政権が続いたこともあり、09年に民主党政権が誕生しました。
ところが、小泉政権期の「改革疲れ」と民主党政権の挫折によって、改革競争は政治の焦点から外れていきました。代わりに浮上したのは、防衛政策や憲法改正といったイデオロギー的争点です。この対立軸上で自民党と社会党が対峙したのが55年体制期で、その意味からも、日本政治は「改革の時代」を経て、「ネオ55年体制」とも言うべき局面に入ったと言えると思います・・・

地元へ戻らない若い女性

2021年11月11日   岡本全勝

11月3日の朝日新聞に「地方創生旗振れど、若い女性は東京へ」が載っていました。

・・・地方で人口の減少が続いている。政府や自治体が「地方創生」の旗を振ってみても、若い女性らが地元を離れて東京圏に向かう流れに歯止めはかからない。なぜなのか・・・
・・・東京圏(1都3県)に向かって東北などの他の地域から転出したり、いったん転出した後に地元に戻ったりした全国の18~29歳の女性約2300人を対象に研究センターは昨年、調査を実施した。その結果、地元を離れる理由で最も多かったのは「やりたい仕事や、やりがいのある仕事が地方では見つからない」。全体の6割近くを占めた・・・

・・・しかし、地元を離れて東京圏などへ向かう人の流れは止まらない。総務省の住民基本台帳の人口移動報告によると、14~20年の合計で県外への転出者が転入者を上回った道府県は40に上る。
とりわけ流出が目立つのは女性だ。転出者から転入者を引いた「転出超過」を男女別にみると、女性の超過が男性を上回る道県は36あった。年齢別で見ると地元を離れるタイミングは20代前半が目立つ。人口動態に詳しいニッセイ基礎研究所の天野馨南子さんは、20代前半の移動は就職に伴うものが多いとみている。「地方の働く現場で男女の格差が是正されなければ、地方から東京圏への人口流出の問題は解消しない」と話す。
若い女性が地方から流出する傾向に歯止めがかからなければ、次世代を担う子どもの減少につながり、地域社会の維持が難しくなりかねない・・・

この話は、東日本大震災の被災地とその周辺地域でも聞きました。「消防団は最近の男女の比率はどれくらいですか」と聞いたら、「若い女性はいない。戻ってこないので、勧誘しようにもできない」という話もありました。若い男性が戻っても、結婚相手がいないのです。都会へのあこがれが生んだ、社会現象です。