カテゴリーアーカイブ:著作

連載「公共を創る」116回

2022年5月13日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第116回「家族と個人の衝突」が、発行されました。これまで国家の役割と考えられてこなかったのですが、個人が一人で引き受けるのも困難な分野として、幸福感について議論しています。現代社会と国家は、生きる意味や善い生き方、そして死の意味も教えてくれません。
また、これまで家族は個人の城と考えられてきましたが、家庭内虐待など家族が個人の自由と衝突する場合があります。これを国家として放置するのか、介入するのかが問題になります。

さて、第113回からここまで、政府が個人や家庭に介入するのはどのような場合なのかを議論してきました。要約すると、次のようになります。
・引きこもり、若者無業者、うつ病や自殺の増加といった孤独・孤立問題は、従来の社会保障制度では救えないこと。行政は、まだ効果的な手法を持っていないこと。
・近代憲法は自由権と社会権を「発明」してきましたが、本人の自立を支援する手法や孤立を救うための社会的包摂は、近代憲法が想定する権利・義務の中には位置付けておらず、社会が放っておくと国家が動かない可能性があること。
・自立支援に際しては、プライバシー権(個人の秘密と自己決定権)に対し、本人の了解なしに行政や他人がどこまで関与してよいのかが問題となること。
・個人と家族の利害が対立する場合があること。家庭内での問題は外から発見しにくいこと。
・個人や家族の悩みについて、行政がすべて応えてくれるわけではないこと。他方で宗教や親の教えが希薄になり、心の悩みに答えてくれる人がいないこと。
・個人の悩みと行政の守備範囲の間には「空白地帯」があること。

「公共を創る」連載3年

2022年4月25日   岡本全勝

連載「公共を創る」が、2019年4月25日から掲載を始めて3年になりました。すなわち、これから4年目に入るということです。最初の頃は毎週木曜日に、最近は毎月3回木曜日の掲載です。115回になりました。よく続いたものです。お付き合いいただいた読者の方々に感謝します。

何でこんなに続いたのか、何を書いたらこんなに長くなるかを、目次を見て振り返りました。
1年目は、この連載を書こうと考えた発端になった、東日本大震災で考えたこと(第1章)と、以前から考えていた公私二元論の限界(第2章)を書きました。
2年目は、私たちと行政に転換を迫っている、社会の変化を説明しました(第3章)。発展途上時代が終わり、明治以来の追いつき型社会が終わり、日本人の多くが農村で稲作をしていた長い弥生時代が終わりました。
3年目は、その社会の課題の変化が生んでいる、政府の役割変更を説明しています(第4章)。現在も、その続きを書いています。

構成は、ほぼ当初考えたとおりになっています。これまでも考えてきたことですし、拙著『東日本大震災 復興が日本を変える』の第4章にその骨格は書いてあります。それでお気楽に考えていたのですが、分量が膨らみました。読み物とするために、具体事例や私の考えをより詳しく書いているからです。また、若い人が知らないであろう昔の話を書いているからです。
最初は半年くらいかなと思っていたのが、2年目からはその倍の分量(期間)になっています。あと半年くらいかかりますかね。

連載「公共を創る」115回

2022年4月22日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第115回「個人の自由への介入」が、発行されました。引き続き、政府による個人の生活への介入について説明します。

道徳の授業は、個人の内面に関わることです。子どもを一人前の大人にするためには、他者と共に生きていく規範や生命などの重要性を教える必要があります。「国家は個人の内面に立ち入らない」とは、言っておられません。問題は、どのような場合にどこまで介入できるかです。そしてそれが国民の議論になっているかです。国会ではどの程度議論されているでしょうか。
政府による個人の自由の制約の話に戻ると、私事の自己決定をどこまで制約できるかという問題になります。安楽死を認めるのか、お酒やスマホ中毒を防ぐように介入するのか・・・。「放っておいてくれ」という人に、どこまでお節介を焼くことができるのでしょうか。

そして成熟社会になって、少し違った次元の問題が出てきました。幸福感と生きる意味をどのように生み出せばよいかです。「それは個人の問題だ」ともいえますが、多くの人が悩むようになると、政府として国民に生きがいや幸福を追求する条件を整えることが必要になってきました。このような議論が、国会や論壇でなされていないのです。

次回掲載は、5月12日号です。連休をはさむので、既にゲラになっています。これで連休は一安心なのですが、その続きの執筆に追われています。

コメントライナー寄稿第3回

2022年4月19日   岡本全勝

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第3回「コロナ禍をコロナ成果に」が配信されました。今回は、コロナ禍によって私たちはどのようなことを学んだか、何を教訓にすべきかについて書きました。

人や組織は、困難を乗り越えることで強くなっていきます。自然災害については、阪神・淡路大震災と東日本大震災でたくさんのことを学び、対応力を強化してきました。
今回のコロナ禍にあっても、うまく対応できたこと、まずかったこと、隠れていた問題が見えたことなどがありました。
在宅勤務やオンライン会議が一気に普及したことは、思わぬ効果です。以前から言われていたのですが、機器が整備され、遠慮なく在宅勤務ができるようになりました。一方で、病床があるのに患者が受け入れられないという欠陥も分かりました。

このような経験と問題点については、各分野で検証が始まっています。今回、私が指摘したのは、全体像、司令塔の検証です。緊急時に動員できる資源(人、物、能力)には限界があります。また、感染予防のための行動制限と社会活動の継続は、相矛盾しています。両方同時には成り立たず、またどちらか一方を取るわけにはいきません。「ちゅうちょなくすべての対策を直ちに打つようにすべての担当者に指示」してはいけないのです。東日本大震災での私の経験を踏まえて、提言しました。
次の災害に備えて、コロナ禍を「コロナ成果」にしなければなりません。