カテゴリーアーカイブ:社会の見方

舗と舘

2018年3月30日   岡本全勝

「舗」と「舘」の左側の違いって、不思議だと思いませんか。「舘」は、土がひっくり返っています。舎は土で、捨などもそうです。
私は社会人になってから、「舘」という字を名字や地名で見て、「書き間違いではないか」、あるいは「その家やその土地だけの特殊な漢字だ」と早合点していました。学校でも、習いませんでしたよね。
気になっていたので、肝冷齋先生に教えを請いました。おおむね、次のような答えです。

これらの漢字の左側の字形(康煕字典で整理された「部首」ではないので「字形」というしかありません)は、本来「余」の下に「口」がある、という文字なので、「舘」の左側が「正しい」ようです。
ただし、和風の俗字として「土」を使った字形があって、当用漢字を定める際にこちらが当用漢字の正字としてとられた、という経緯だそうです。現代では「舎」は建物の意味でしか使わないので、「土」のほうがわかりやすい、と文部省の関係者が決めたのでしょう。
「舘」は、「館」が正字に選ばれたので直されてません。

トニー・ジャット著『記憶の山荘』

2018年3月28日   岡本全勝

トニー・ジャット著『記憶の山荘 私の戦後史』(2011年、みすず書房)を読みました。著者は、『ヨーロッパ戦後史』で有名です。読みたいと思いつつ、大部な本なので先送りしています。どのような人が書いたのか、気がかりだったので、『記憶の山荘』を見つけて、読みました。

この本は回想録ですが、体験、それもいくつかの物から記憶が広がります。プルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌのようにです。
1948年、ロンドンのユダヤ人家庭に生まれます。物資の乏しかったイギリスの戦後生活から、話が始まります。奨学金を得てケンブリッジ大学へ。ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で教鞭を執った後、ニューヨーク大学に移り、アメリカで暮らします。
ヨーロッパ戦後史を書くには、西側だけでなく東側の知識も必要です。その背景が、この本を読むとわかります。

晩年、筋萎縮性側索硬化症にかかり、『記憶の山荘』は、人工呼吸器をつけ、口述筆記されたとのことです。
碩学の回想録、エッセイを、寝る前の布団で読むのは、至福の時です。先達の経験、苦労、考えたことを、(すみません)寝転びながら読めるのです。もちろん、翻訳の場合は、訳文がこなれている必要はあります。

原発政策の検証記事

2018年3月27日   岡本全勝

朝日新聞連載「平成経済」に、大月規義・編集委員が「原発支配の底流」を連載しています。
3月18日「爆発事故の最中、「再稼働考えて」」、25日「事故隠し、安全神話のため

会社にしろ役所にしろ、失敗したことを検証し、さらには公表することをためらいます。しかし、将来に同じ過ちを繰り返さないために、また同様の失敗を防ぐためにも、失敗の検証は重要です。第二次世界大戦での、日本軍とアメリカ軍との違いとしても、よく指摘されます。
当事者たちは、恥をかくことや処分されることを恐れて、自らは話さず、書いて残さないでしょう。しかし、ほおかむりをしていると、失敗は繰り返されます。また、その場はやり過ごせても、結局はその組織への信頼を失うことになります。私は、この後者の方が、大きな問題だと思います。

このような検証記事は、重要だと思います。公表された事実だけでも、これだけのことが書けるのです。
一つには、事故当時の混乱した事実の中から、問題点を洗い出すことです(18日の記事)。
またもう一つには、日々の出来事、この場合は原発の事故隠しを並べることで、その構造が見えてきます。毎日「消費される」ニュースでは、忘れられることです(25日の記事)。

大山健太郎・アイリスグループ会長、需要を生みだす。

2018年3月3日   岡本全勝

今日は、福島県郡山市へ。一つお祝い会に顔を出した後、福島相双復興推進機構が主催した「復興シンポジウム」で大山健太郎・アイリスグループ会長のお話を聞いてきました。
勉強になりました。「モノをつくって売る」(プロダクトアウト)から「市場のニーズに合わせる」(マーケットイン)へ、そして「消費者の要求を創り出す」(ユーザーイン)へと変身して、アイリスグループを育ててこられたことがよくわかりました。園芸用品もペット用品も、これまでになかった商品、愛好家が欲しがる商品を開発してこられました。
このページでも紹介している「低温精米」のお話しもありました。生産者や販売者の立場、これまでの考えにとらわれていると、出てこない商品です。今は、3大コンビニチェーンの全国のお店で、売られているとのことです。「アイリスの生鮮米

「帰還しないと決めた人がいるので、元の状態には戻らない。どのようにして新しい町をつくるかだ」という指摘も、適確です。

社会は変わる、葬式と墓の変化

2018年3月1日   岡本全勝

2月22日の日経新聞「ポスト平成の未来学」は、「空中に生前の姿 会話も」です。お墓の形が変わりつつあります。記事では、技術を使って個人の姿が浮かび上がるものなど、新しい形が紹介されています。
・・・墓は家族のあり方とともに変化してきた。「○○家」の墓石を立てるようになったのは家制度が普及した明治時代。核家族や単身世帯が増え、墓の継承が難しい現代では、法的に議論のある散骨すら選択する人も。葬儀は身内のみの「家族葬」や儀式をしない「直葬」が広がる。東京大学の瓜生大輔助教(34)は「技術や家族の変化を背景に、弔いは今後一層パーソナライズ(個人化)する」と推測・・・

宗教心の希薄化だけでなく、家制度が変わり、子どもの数が減り、また故郷に戻らない子どもが増えるなどのよって、お墓を維持することが難しくなっています。

お葬式の形も変化しています。私の子どもの頃は、近所総出で葬式をしました。勤めてからは、職場のOBのお葬式が、組織を上げて行われました。
しかし、田舎でも葬祭場で葬式をするようになりました。職場のOBも長寿でなくなられるので、現役諸君は個人を直接知らず、また知人も退職しているので連絡が来ません。組織を上げてのお葬式でなく、家族葬になります。
「「家から個へ」変化する弔いの形