カテゴリーアーカイブ:社会の見方

池上 俊一 著『情熱でたどるスペイン史』

2019年9月26日   岡本全勝

池上 俊一 著『情熱でたどるスペイン史』 (2019年、岩波ジュニア新書) を読みました。
私は、ローマ帝国の属領、イスラム支配、レコンキスタ、植民地帝国、フランコ独裁などの知識しかなく、スペインの通史を読んだことがなかったので、とても勉強になりました。お勧めです。
「ジュニア」と銘打っているので、中高生向けと思いますが、大人が読んでも十分に役に立ちます。というか、中高生には少々難しいかもしれません。

先生の著書「××でたどる○○史」には、このほかにフランス、イタリア、ドイツ、イギリスがあり、これで5か国目です。
イタリアがパスタ、フランスがお菓子、イギリスが王様、ドイツが森と山と川です。この切り口は、それぞれに「なるほどなあ」と思います。もちろん、一つの切り口でその国の歴史、文化、社会を紹介することはできませんが。わかりやすいです。
では、日本を紹介するとしたら、何を切り口にしますかね。天皇、和食、仏教と神道、島国・・・。

参考『ドイツの自然がつくったドイツ人』『パスタでたどるイタリア史

国際政治史研究、冷戦後をどう見るか

2019年9月25日   岡本全勝

東京財団政策研究所、「政治外交検証研究会レポート ―政治外交史研究を読み解く」、細谷 雄一教授の「国際政治史研究の動向」から。

・・・今回は「近年の通史にどのような傾向が見られるのか」という問題意識から、以下3冊を取り上げてお話したいと思います・・・この3冊の通史に共通することとして、ポスト冷戦時代についての記述の分量が非常に多いことが挙げられます。私が大学生のころは、基本的には20世紀まで、つまり冷戦史を中心に歴史を学んでいたと思いますが、今の大学生は21世紀に生まれ、20世紀を知りません。冷戦どころか90年代も知らない世代がいま大学生として国際政治を学んでいるわけです。

そのような学生の問題関心は、当然ながら平成とほぼ重なる冷戦後30年がどのような時代であったのかという点に向かっていきます。例えばモーリス・ヴァイス『戦後国際関係史』では、全体の半分が冷戦後の記述です。冷戦後すでに30年が経過しており、第二次世界大戦終結から冷戦終結までが40~45年ですから、「戦後+冷戦時代」と「冷戦後の時代」が徐々に同じ長さになってきており、当然といえば当然かもしれませんが、問題となるのは、この冷戦後の時代をどう位置付けるかということであり、恐らくそれが重要な意味を持つのだろうと思います・・・

・・・ポスト冷戦期は、ソ連という帝国が崩壊したことでアメリカ一極となりましたが、その後アメリカがイラク戦争、アフガニスタン戦争によって国力を浪費し、2008年のリーマン・ショック以降さらに世界から後退していくことによって、アメリカが超大国としてのリーダーシップを失い、一極が零極、無極となりました。つまり現在は無極の時代なのだろうと思います。無極の時代とは、覇権安定論の理論で言えば混乱の時代だと言えます。このような時代をみて、ヴァイスはポスト冷戦期の時代を「混迷の時代」と位置付けたのではないでしょうか。

では、具体的に何が問題なのか。これについて、ヴァイスは必ずしも同書で明確に主張しているわけではありません。ただし、フランス的な視野から言えば、望ましい国際秩序とは多極である、つまり「ヨーロッパ協調(Concert of Europe)」なのです。
5大国によって勢力均衡と協調が図られた19世紀のウィーン体制は、このヨーロッパ協調の理想的なイメージであり、このイメージを基に、第一次世界大戦および第二次世界大戦の戦後処理が進められ、さらにはこれが国連安保理における常任理事国、いわゆる「P5」として帰結します。結局のところ国連P5の大国間協調による安定は、実現しませんでした・・・

・・・ポスト冷戦期の時代に対する3冊の描き方の相違を以上にみましたが、つづいてこの3冊の本に共通するもう一つの特徴についても触れたいと思います。それは、「西洋中心主義の相対化の模索」です。
ここで「模索」と言いましたのは、ヴァイス先生にしても、あるいは板橋さんや有賀先生にしても、そもそもアカデミックなトレーニングとしては、やはり欧米中心の国際政治史をこれまで学んできたのだろうと思います。それをいわば「接ぎ木」のように、力技で他の地域も加えていく。現代の国際政治を論じるためには、構造自体の見方を変えなければいけないので、やはり非常に難しいところがあると思うのです・・・

日本の社会の仕組みを変える

2019年9月22日   岡本全勝

NHKウエッブニュースの、小熊英二さん「もうもたない!? 社会のしくみを変えるには」が参考になります。画面で読むには少々長く、私は紙に印刷して読んでいます。

・・・2019年7月に出版した本では、終身雇用や年功序列といった雇用慣行をはじめとした日本社会の構造を、雇用、教育、福祉の観点から横断的に分析し、解き明かしています。小熊さんは、「今の社会は、1970年代の仕組みのままで、もうもたなくなっている」といいます・・・

・・・「どのポジションから見るかによって、全然見え方の違う30年」だったと思いますね。日本社会の約26%に当たる、大企業の正社員や官庁勤めの人から見れば、「変わらなかった時代」。ただ、それ以外の人たちにとってみれば、かなり大きな変化があった時代だと思います。
最近書いた『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』という本で、私は現代日本での生き方を「大企業型」「地元型」「残余型」の3つの類型に分けて説明しました。
「大企業型」は、毎年、賃金が年功序列で上がっていく人たち。大学を出て大企業の正社員や官僚になった人などが代表です。「地元型」は、地元にとどまっている人。地元の学校を卒業して、農業や自営業、地方公務員、建設業などで働いている人が多いです。「大企業型」は、所得は多いものの、長時間労働や通勤時間が長く、地域社会につながりが薄い人が多い。「地元型」は、所得は比較的少ないものの、地域コミュニティーを担い、持ち家や田んぼがあったり、人間関係が豊かだったりします。
ただ、平成の時代に増加してきたのが、所得も低く、人間関係も希薄という「残余型」。都市部の非正規労働者などがその象徴です。

これらの3つの類型を先行研究などをもとに2017年のデータで推計したところ、「大企業型」が約26%、「地元型」が約36%、「残余型」が約38%となりました。
このうち「大企業型」の割合は1982年から2017年までほとんど変化がなかったのです。日本社会の約26%にあたる「大企業型」の人たちの雇用形態や働き方は70年代初めに完成した「社会のしくみ」です。平成は、大枠で言えば、国際環境が大きく変わる中で、この「社会のしくみ」を無理にもたせてきた時代だったと言えると思います・・・

・・・70年代後半から80年代は、日本は、いわば今の中国みたいな位置にありました。つまり、世界の工場です。しかも当時は東西冷戦のさなかでしたから西側陣営の工場です。冷戦が終わると、その日本の地位は失われていくことになりました・・・

・・・日本は近代化が遅かった国だったので、先進国に比べてソーシャルキャピタル(地域のつながりや人間関係)がとても豊かでした。だから、行政は方針だけは出すけれども、地域のことは地域で、業界のことは業界でやってくださいという、そういう姿勢でやってきたからでしょう。
これまでの日本は、非常に安上がりな国家だったと思います。地域社会の力にあぐらをかいて、行政職員を増やさないでやってきた。なんでそんな安上がりな国家が築けたかと言えば、遅れて近代化したがゆえに、地域社会の関係が多かったからだと思います。自治会長か中学校の先生に聞けば、その地域のどこの家族が貧困であるか、おおかたわかる。つい最近までそういう社会でした。
ところが、それがもたなくなってきました。地域社会を支えていた自営業の人々、具体的には町内会や自治会や商店会を担ってきた人々が、高齢化するか、非正規雇用に移動している。そうなれば、地域のつながりは希薄になります。そうなると、行政が自治会や業界団体に方針を示しても、地域の末端や業界の末端まで、それが行きわたらなくなりました。私は、基本的には、他の先進国の基準程度には、公務員を増やさないとこれからもたないと思います・・・

私は、連載「公共を創る」で、同じような趣旨で、日本社会の変化とその対応に遅れている行政や日本人の意識を指摘しています。平成時代が、その曲がり角でした。10月から掲載される「第1章3(4)変貌した社会への対応」が、この小熊さんの主張と重なります。

公衆の場でのスマホ操作、両耳イヤホン

2019年9月22日   岡本全勝

丸ノ内線の新しい決まり」の続きです。

このページでも何度か書いていますが、歩きながらのスマホの操作、電車の出入り口でのスマホの操作は、やめて欲しいです。出入り口で仁王立ちで操作をされると、他の人が通れません。「歩きスマホを禁止する

日本は「おもてなしの国」という説がありますが、とんでもありません。周囲への気配りができない人が多いのです。自分が通路をふさいでいること、乗り降りの邪魔をしていること、背中の鞄が邪魔になっていることに、全く気がついていません。

最近、さらに困ったことが増えました。両耳をイヤホンでふさいでいる人です。
オーディオ会社が、「このイヤホンで、通勤途上もあなた一人の世界になることができます」という趣旨の宣伝をしています。
とんでもない主張です。自宅なり、喫茶店なり、電車でも指定席なら、一人の世界に閉じこもってください。でも、公衆の通路で、自分だけの世界に浸っては困るのです。

しかも、緊急の要件を処理しているなら、周囲も理解するでしょう。でも、多くの人は、ゲーム、ドラマ、漫画、サイトのサーフィンのようです。「公衆の場で、そんなことをしては恥ずかしい」というしつけの世界です。親が教えることができないので、世間みんなで教える必要があります。

ミネルヴァ書房「日本評伝選」シリーズ

2019年9月21日   岡本全勝

先日、ミネルヴァ書房の「日本評伝選」の新聞の全面広告が出ていました。200巻になったそうです。
取り上げられている200人(+数人。1巻で親子など数人が取り上げられているものもあるので)を見て、いろいろ考えました。「この人は取り上げられて、あの人は取り上げられていないなあ」とか。やや意外な人も載っています。しかし、日本の政治・経済・文化を語るという観点からは、もっと取り上げてほしい人もいます。それは、これからの続刊に期待しましょう。
それにしても、「この人の伝記を1冊にするだけ、記録が残っていたんだ」と驚くこともあります。

9月16日の読売新聞文化欄には、「「日本評伝選」200巻 ミネルヴァ書房・杉田啓三社長…「半永久的に続ける覚悟」」が載っていました。
・・・それまで単発での刊行が主だった歴史評伝をシリーズ化した狙いは、「より幅広い視点から日本史を捉え直す好機が到来していたから」だった。
冷戦が終結した1990年代以降、研究者の間では特定のイデオロギーに基づく歴史観を見直す動きが出ていた。そこでそれぞれ歴史学と比較文学の泰斗である上横手雅敬、芳賀徹両氏を監修委員に迎え、「私たちの直接の先人について、この人間知を学びなおそうという試み」(「刊行の趣意」から)がスタート。杉田社長も自ら企画に関わった。
シリーズの一番の魅力は、取り上げる人物と著者の組み合わせにある。一般読者の興味・関心に応えるため、「著者には外国の研究者も起用し、固定観念にとらわれない切り口をお願いした」。
政治家、学者から芸術家、外国人まで幅広いラインアップにこだわりを詰め込んだ・・・

吉川弘文館に「人物叢書」があります。こちらは約300冊ほど出ているようです。