9月11日の日経新聞経済教室、清水順子・学習院大学教授の「プラザ合意から40年、日独の通貨環境で貿易に明暗」から。
・・・戦後の日本は1971年のニクソン・ショックに始まり、米国主導の方向転換により大きな為替変動に見舞われてきた。同じ敗戦国として工業化にまい進し、同様の試練を乗り越えてきたドイツと比較して、日本の経常収支構造は85年のプラザ合意後の40年間に大きな違いが生じた。原因は何だったのか。両者の歩みを比較し、今後の日本が取るべき道を考えたい。
図表の上部に貿易関連データの日独比較を示した。貿易収支額は85年時点で日本がドイツに勝っていたが、2024年は日本が赤字なのに対してドイツは黒字を維持する。その主因は輸出額に如実に表れている。日本の輸出額はこの間に4倍になったが、ドイツは9倍以上に拡大した。
もちろん、日本企業はこの間に海外生産比率を上げ、第1次所得収支で経常収支黒字を維持するという、国際収支の発展段階説における「成熟した債権国」に移行した。だが結果として23年に日本はドイツに名目GDP(国内総生産)で抜かれ、産業空洞化が改めて浮き彫りになっている。
この差を生んだ理由の一つが通貨を取り巻く環境の違いである。欧州は独マルク中心の為替市場で、ドルよりもマルク相場に対して欧州通貨が安定的に推移する為替協調体制が1980年代から確立されてきた。
それに対して、日本はアジアで唯一のハードカレンシー(国際通貨)として、対先進国通貨のみならず、中国をはじめとするアジア通貨に対しても激しい為替変動を繰り返してきた。
さらにドイツは1992〜93年の欧州通貨危機を乗り越え、99年にユーロ統合を成し遂げた。翻って日本では90年代に円の国際化の機運が高まり、アジア通貨危機(97〜98年)後には域内通貨間の安定のためのドル・ユーロ・円の3通貨バスケット制を提案したものの、結局何もなしえなかった。
この違いは、2008年のリーマン・ショック以降の両通貨の動向に大きな影響を与えた。日本は12年末にアベノミクスが開始されるまで、歴史的な円高局面を余儀なくされた。対してドイツはその後の欧州財政危機でも、自国通貨高に悩まされることはなかった・・・
・・・また、ドイツの輸出における自国通貨建て比率は全期間を通じて8割と、日本(4割未満)の倍以上。域内輸出比率も高く、ユーロ域内の貿易をほぼユーロ建てで行えるドイツに対して、日本企業はアジア域内の貿易ですらドル建てが円建てのシェアを上回る。
アジア域内で円が使われない理由の一つはサプライチェーン(供給網)における企業内貿易を米ドルに統一するという日本企業の合理的判断ではあるが、アジア企業にとっては円の為替相場変動が激しいことが主因とされる。輸出のドル建て比率が高い日本は「日本経済にとっては円安が望ましい」という円安信仰を掲げてきたが、貿易赤字に転落した今、円安が日本経済にもたらすデメリットは無視できなくなっている。
さらに、直接投資動向の違いもある。図表下部の通り、両国とも対外直接投資のGDP比は50%前後と高い。対内直接投資は、24年末でドイツにGDP比26.5%の残高があるのに対して、日本はようやく5%台になったところである・・・