6月7日の朝日新聞オピニオン欄「「頑張る」と言う前に」、大川清丈・帝京大学教授の「能力平等観、報われぬ社会」から。
・・・「頑張る」の辞書的な意味には、忍耐と努力の要素があります。ここには、誰でもやればできるという「能力平等観」が関係しています。生まれつきの能力はあまり違わないという見方です。差があっても後から挽回でき、結果は「頑張り」次第、となります。
歴史的に見てみましょう。日本は明治期以降、立身出世の時代になります。たとえ生まれが貧しくても、頑張れば上に行けるようになりました。さらに戦後は焼け野原で、皆が平等に貧しかった。平等も、「頑張り」を生む一つの条件になります。不平等だとあまり頑張る気がしませんが、平等だと頑張る気になる。当時は食糧難という困難の共通体験があり、何とかして貧しさから脱却したい、おなかいっぱい食べたいという、国民共通の目標もあった。平等、共通体験、共通目標によって、「頑張り」が広がったと私は見ています。
指摘したいのは、「頑張り」は社会的なものでもあるということです。立身出世の時代でも、同級生や仲間同士で切磋琢磨していました。1人で頑張るよりも、頑張れ、頑張ろうと共に努力したのです。
そんな「頑張り」は高度経済成長期に浸透していきます。会社のために頑張ればそれだけ年収が増える時代だったのです。その流れが変わったのはバブル期でしょう。ぬれ手であわのように金もうけができると、まじめに働いても馬鹿を見ると感じます。さらにバブル崩壊後、今度は頑張っても報われなくなった。いわゆる格差社会です。ますます「頑張り」の基盤が掘り崩されていきます。
1995年の阪神・淡路大震災では「がんばろう神戸」が合言葉となりましたが、被災者に「頑張れ」は心ない言葉だ、とも言われるようになりました。97年ごろから三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券などが経営破綻する中、「頑張らない」というスローガンが出てきます。2000年には鎌田實さんの著書「がんばらない」もヒットしました。当時の「スローライフ」、令和の「親ガチャ」にも通じる流れでしょう。
とはいえ、「頑張り」という言葉は、今でもしぶとく残っていると思います。「頑張ります」など、皆があいさつのように言い、一種の空気を読むような言葉としても使われ続けています。これだけ価値観が多様化しても、社会を辛うじてつなぎとめる言葉の一つと考えられるかもしれません・・・