カテゴリーアーカイブ:生き様

内海健くん、大佛次郎賞受賞

2020年12月15日   岡本全勝

12月15日の朝日新聞が、内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(河出書房新社)が第47回大佛次郎賞に決まったことを、大きく伝えていました。この本は、このホームページでも紹介しました。うれしいですね、友人が大きな賞をもらうのは。

・・・数学の得意な理系少年だった。高校時代は奈良市に暮らしたが、入学してほどなく生徒会が職員室を占拠、ストに入ったという。まだ政治の季節だった。三島が楯(たて)の会を率いて陸上自衛隊の市ケ谷駐屯地に立てこもったのは、その年の11月である。「時代錯誤的だという感覚は持ったと思いますが、馬鹿げたことだという風に受け取ることはできませんでした」・・・

そうなんです。奈良女子大学附属高校は、そんなところでした。内海くんはバレーボール部、私はサッカー部と生徒会活動でした。彼は医者なので、時々わからないことがあると聞きますが、まだ彼の患者にはなったことがありません。

朝日新聞インタビュー「ミスター復興が語った後悔と成果」

2020年12月10日   岡本全勝

12月10日の朝日新聞宮城県版に、私のインタビュー「ミスター復興が語った後悔と成果」が載りました。

・・・総務省の官僚だった岡本全勝さん(65)は、東日本大震災直後から政府の被災者支援策をとりまとめ、復興庁で事務次官を務めるなど、この10年近くずっと被災地にかかわってきた。9月に退任した霞が関の「ミスター復興」に聞いた。

――今回の復興政策の特徴はなんでしょう。
「国土の復旧」から「暮らしの再建」へと、政府の災害対応の守備範囲を大きく広げたこと。行政哲学の大転換だった(図参照)・・・

――異例の措置の一つが復旧・復興事業で被災自治体の財政負担をなくしたこと。その結果、過大なまちづくりや施設整備になったと指摘されています。
地方負担ゼロも、それが当たり前という空気の中で(11年秋に)決まった。私も最初そう思ったが、しばらくしてよくなかったかなと。住民が減り、かさ上げや高台移転計画が過大になっても、市町村は自己負担がないため、縮小するインセンティブがない。ある首長は「人口が減る前提では議会に話はできない」と言った。住民意向調査を繰り返すことで、計画を縮小させていった。
身の丈に合った計画にするため、5%でも負担してもらうべきだった。財政力のない市町村は率を下げ、それでももたない所は特別交付税で救済すればいい・・・

後悔というより、次に向けての教訓なのですが。
図の他に、私の「表情豊かな?」写真も数枚付いています。場所は復興庁、窓の外の背景は国会議員会館などです。

卒業記念の寄せ書き

2020年12月5日   岡本全勝

11月30日の退任の際、職員たちが見送ってくれたのですが、記念にと、手提げ袋も一つもらいました。家に帰って、開けてびっくり玉手箱です。30センチ四方ほどの色紙が、たくさん入っていました。それぞれの色紙に、5センチほどの卵形の紙がたくさん並んでいて、その卵形の一つひとつが、各人の寄せ書きなのです。

1 その数305名です。よくまあ、これだけ多くの人から集めてくれましたね。
2 現在復興庁に勤めている職員もいますが、ほとんどが、かつて一緒に働いた人たちです。各省から来ていた職員、民間から来てくれていた職員、自治体職員のほか、国会議員、知事、市町村長もおられます。地方や海外からも。失礼ながら忘れていて「そういえば、この人もいたなあ」と思い出す人も、たくさんおられます。9年間の仕事でしたから。
3 作成してくれた職員に聞くと、インターネット上に「ヨセッティ」なる寄せ書きサービスがあり、それを使ったとのことです。これをメールで関係者に送りました。あわせて、「前任者などにも転送をお願いします」として「拡散」したのだそうです。
なるほど、それで遠く地方や海外の人まで参加できたのですね。寄せ書きが自筆だけでなく、活字のものが多かったのは、スマートフォンなどから返信してくださったからでしょう。
4 その後、初期の頃に復興庁に在席し、今は霞が関を離れている人に会ったので、「あんたも書いてくれたんだね」と話しました。「いや~、霞が関界隈では、この連絡メールが飛び交っていたのではありませんか」と笑っていました。

これだけの数になると、読むだけでも大変です。そして、書かれた言葉とその方と一緒に働いた頃を思い出して、なかなか読み終わりません。
ありがとうございます。

復興庁顧問退任

2020年11月30日   岡本全勝

11月30日で、復興庁顧問を退任しました。9月半ばに、内閣官房参与、福島復興再生総局事務局長を退任し、顧問として残務整理をしていました。それにめどがついたので、退任を認めてもらいました。「執務室の片付け
役所の組織は、一人が欠けても動くようにできています。私がいなくなっても、復興政策は進みます。ただし、住民や関係者に迷惑がかからないように、円滑に業務を引き継ぐこと、業務が進むように筋道を立てておくことが、去る者の責務です。

大震災対応に従事してから、9年8か月です。また、42年半の公務員生活から卒業しました。常勤職員から非常勤職員へと、徐々に「足抜け」を進めていたのですが、やはりいささかの感慨がわいてきます。先輩たちも、それぞれに感じたことでしょうが。

まずは、健康で勤められたことを、感謝しなければなりません。また、支え導いてくださった皆さんにも、感謝しなければなりません。
そして、珍しい仕事をいくつも担当させてもらったことも、神様に感謝しなければなりません。ある人は、「50年に一度の、運の良い官僚だね」と言ってくださいました。続けて「それは、50年に一度の運の悪い官僚と言うことだけど」とも(苦笑)。それぞれの仕事で、社会の役に立てたならうれしいです。

その時々の官僚の「生態」や考えたことは、このホームページで書き連ねてきました。書いた内容は、今となっては、ほとんど覚えていないのですが。
40年間の振り返りは、おいおい整理したいと思います。ところがその前に、締めきりが迫っている連載原稿や、その他の原稿があって、当分無理ですわ。

近況報告、復興関与の仕上げ

2020年11月26日   岡本全勝

9月に内閣官房参与と福島復興再生総局事務局長を退任し、復興庁顧問として仕掛品の片付けや、現地視察を行っています。残っている課題を、首長さんたちと再確認したり、関係者に引き継いでいます。

特に津波被災地では、インフラ復旧はほぼ終わりました。現地を訪問した際には、首長さんたちと、9年前を思い出し、この9年間を振り返って、「あのときは、どこから手をつけるかわからず、がれき片付けに何年かかるか途方に暮れました」「あんなこともありましたね」「よくここまで来ました」など、一緒に感慨にふけっています。
首長さんからは「あの時、全勝さんから、助言をもらいました」「原案がダメなときに、代案を考えてもらいました」「行政ではできないことを、別の分野の人を紹介してもらいました」など、お礼を言ってもらいました。私は、ほとんど忘れていたのですが。

大震災を経験し、復興を指揮した市町村長さんたちは、皆さん良いお顔をしておられます。あの大被害を経験し、住民の時に理不尽な声にも応え、今の町を作り上げました。皆さん自信をつけ、次の課題に取り組んでおられます。主要な課題は、産業振興と人口減少対策、特に若い人に戻ってきてもらうことです。
原発被災地では、そうは行きません。まだまだ、復興途上です。しかも、放射線が相手なので、私たちの努力ではできないことも多いのです。

また、9年間の総括も始めています。その時々に考えたことを、講演会で話し、取材に答え、このホームページや雑誌、本に書き留めて残すようにしました。しかし、改めて、9年を振り返ることも必要です。マスコミや学者の方からも、そのような観点からの取材が増えています。質問の中には、私の忘れていた論点、考えていなかった視点のものもあり、勉強になります。