カテゴリーアーカイブ:人生の達人

国会答弁案作り

2012年11月16日   岡本全勝

今日、国会が解散されました。国会答弁案作りも、しばらく休業です。国会班の皆さん、ご苦労様でした。さて、いつかこのホームページに載せようと、下書きしてあった文章を載せましょう。
国会での質問が出たとき、答弁案の作成をいやがる職員がいます。私には、理解しにくいことです。
私は、国会答弁案の作成が、大好きです。審議が予定されている前日の午後には、国会班のところに顔を出して、「質問はまだ出ないの?」と催促します。
まず、質問が出ることが、うれしいです。私たちが取り組んでいる仕事に、国会が興味を持っているのです。
私たちの仕事は、「人知れず、ひっそりと」「世間を離れて、秘密裏に」という仕事ではありません。日本社会を相手にしているのですから、国民や世間の人にわかってもらって「なんぼ」です。取り上げてもらうということは、私たちの仕事が、それだけ認知されているということです。
かつて課長補佐の時に、「国会質問の数に応じて、各課に職員と予算を配分すべきだ」と、極端な主張をしていました(苦笑)。
もちろん、国会質問は、ほめていただくことは少なく、お叱りを受けることの方が多いです。そこはつらいですが、私たちがやっていることが誤解されているなら、訂正できる良い機会です。
もし、議員の指摘が正しければ、是正する良い機会です。変更や改革をいやがる関係者に対して、「いや~、国会でも指摘されまして。是正しておかないと、次の国会でもたないのですわ・・」と、説得できます。
また、夜遅くに質問が出てきたり、どの省庁が書くのか割り振りでもめて深夜になることを考えれば、早く質問が分かって、早く書いて寝る方がうれしいです。
この項続く。

職員の反論

2012年11月12日   岡本全勝

今朝、出勤すると、週末の金曜夜から日曜日までの間に、20通ほどのメールが届いていました。その中に、仕事の報告のメールに続いて、同一職員から「お詫びのメール」が来ていました。その趣旨は、「先ほど、仕事のメールを送りました。休日出てきたことについて、大目に見てください。今後、作業がますます忙しくなるので、今のうちにできることは片付けておきたいのです」とのことでした。
私が日頃、職員に「できる限り休日出勤するな」と言っていること、また夜遅いメールや休日のメールには「そんな時間に働いているのか」と返信するので、彼が先手を打ったということです(苦笑)。
彼らの仕事への取り組み姿勢に、頭が下がります。申し訳ありません。

責任者の発言

2012年10月10日   岡本全勝

ある人との会話。組織の責任者、特に選ばれてなる人は、どうあるべきか。
なる前には、「私はこれをしたい」と言う。
なったら、「これはできるが、それはできない」と言う。
やめたら、「これをした」と言う。
そうありたいですね。

いつの間にか9月が過ぎました

2012年10月1日   岡本全勝

今日は、10月1日。また、私の了解なしに、9月が過ぎました(笑い)。この1月間に、何をしたか。それを考えて、反省しています。先月も、同じことを書きました(9月3日の記事)。
手帳を見ると、いろんなことをしているのですが。中学の時に、先生が朝礼でおっしゃった言葉が、今も焼き付いています。「酔生夢死」です。「明るい係長講座」でも書いたので、詳しくはそちらをご覧ください。
「何をしたか」は、会議の回数や出張の回数ではなく、忙しさでもなく、「何を達成したか」で計られるべきです。もちろん、今直ちに結果が出ないものもあります。種をまいていることも、多いです。でも、12月には、「今年は、これをした」と、書きたいですね。
時々、「何になった」(あるポストに昇進した)ことを成果に誇る人がいます。でも、それはあなたにとって成果でも、組織や社会にとっては成果ではありません。「である」ことでなく、「すること」「したこと」で計りましょう。
「であることとすること」は、もちろん、丸山真男先生の『日本の思想』(岩波新書)の名文です。

閑話休題、来賓の胸のリボン

2012年9月16日   岡本全勝

式典や集会の際に、来賓の胸にリボン(赤や白の花の形をしていて、足が生えたような徽章)をつけることがあります。私は、以前から、この風習は変だと思っています。
若い頃、知事の代理で式典に出席すると、大きなバラか菊の形をしたリボンを胸につけてもらい、「偉くなったようで」うれしかったです。でも、あるときから、「これは、何のためにあるのか」、疑問に思うようになりました。
安全ピンで服に刺す場合は落ちないのですが、短いプラスチックの定規が刺してあって、これを胸ポケットに刺して留めるものもあります。これって、お辞儀をして前屈みになると、落ちるのですよね。
また、そんなに偉くもないのに、大きなリボンをつけるのが恥ずかしくなりました。それで、リボンをつけるのがいやになって、受付で拒否するようになりました。すると、主催者側の人に、しかられるのです。「つけてもらわないと、困ります」「皆さん、つけておられます」と。でも、これでは、理屈になりません。
そして、あるとき、気がつきました。「胸のリボンは、来賓のためにあるのではない。主催者側の職員が、来賓の個体識別が付かないので、リボンで識別しているのだ」と。
天皇陛下が、リボンをつけておられるのを、見たことがありません。宮中の儀式でも、たぶん誰もつけないのでしょう。勲章はつけますが。服装のルールを書いた本には、どのように載っているのでしょうか。
特に、リボン(花の大きさ)に大中小とランクが付いているのも、いやですねえ。特大をつけてもらって喜ぶのは、子供じみていてい。もっとも、それを喜ぶ人がいるから、この風習は続いているのでしょう。よって、そのような方が、より大きなリボンをおつけになることを、私は否定しません。でも、私は、恥ずかしいのです(失礼があったら、お詫びします)。
それ以来、私は胸にリボンをつけることを、拒否しています。ただし、入場券代わりにみんながつけるリボンは、拒否しません。これは、重要な機能を果たしていますから。そのような場合は、大きなバラの花ではなく、ごく簡単なもので、全員共通です。