カテゴリーアーカイブ:人生の達人

社員は出世のために仕事をする

2018年8月16日   岡本全勝

8月16日の日経新聞私の履歴書、安斎隆さんの「バブルの予兆」 から。

・・・本店考査局考査役に就いたのは1987年5月。バブルが膨らみ始めた時期だった。考査役の仕事は、金融機関の資産と経営内容の検査(日銀では考査と呼んでいる)だ。当時は「バブル」という言葉は使っていなかったが、地価や株価が急騰する経済情勢の中で金融機関は道を踏み外していないかと目を光らせた。部下とともに金融機関への聞き取り調査を重ね、経営の実態をつかもうとした。
全国各地で、担保価値が100の案件に対して120の資金を貸し出すような事例が急増し、雨後のたけのこのように地域開発プロジェクトが生まれていた。バラ色の開発計画を合計してみると、日本の人口が何倍にも増える見込みになっている。明らかに無謀な計画だった。

金融機関の中には、過剰融資に危機感を持つ人もいたが、内部は厳しい競争社会であり、「自分はまともにやっているから内部の評価が上がらず、変なことをやっている人間の評価が上がる。無理をしてでも実績をあげよう」という声のほうが勝っていた・・・

・・・90年代にバブル経済は崩壊し、日本の金融機関は長い時間をかけて総額100兆円を超える不良債権を処理した。「宴が佳境に差し掛からんとしたときにテーブルの上の食事やワインをさっと片づけるのが中央銀行の役割」という言葉があるが、金融引き締めのタイミングを見極め、実行するのは本当に難しい・・・

自分の仕事を「おかしい」と感じても、社内の風潮に流される、出世競争に負けると思うことで、その仕事を続けてしまうことがあります。そこで、異を唱えることができるか。難しいところです。
すると、それを止める立場にある上司、幹部の責任が重くなります。もっとも、彼らの多くも「期末の評価を気にするサラリーマン」です。

神野直彦先生の人生と思想

2018年8月11日   岡本全勝

神野直彦著『経済学は悲しみを分かち合うために』(2018年、岩波書店)をお勧めします。先生から贈っていただいて、読み終えたのですが、このホームページで紹介するのが遅れました。
先生には、地方分権改革、特に税源移譲の際に、お教えを乞いました。その後、親しくしていただいています。

この本は、先生の自叙伝です。特に、先生がどのようにして財政学を志したか、そしてどのような財政学を目指したかが、書かれています。
経済学、特に財政学が客観的な分析の学ではなく、人の生活と切り離すことができないことが、よくわかります。人間を幸福にする経済であり、そのための学問であると、喝破されます。
既存の財政学・経済学とは違った学説を掲げられ、ご自身でおっしゃっているように、批判を受けられました。しかし、既存の経済学が数字や理論に走り、何のための経済学かを忘れたように、私にも思えます。

そのような部分を詳しくする、算式を詳しくするのではなく、先生は、財政学がどのようなものかについて、新しい枠組みを提示されます。すなわち、財政を、経済システム、政治システム、社会システムという三つのサブ・システムの結節点ととらえます。
私は、公共政策論で、官共私の3元論を唱えていますが、我が意を強くして、授業や著作では先生の財政学を引用しています。

先生の必ずしも順風でない人生も、語られています。回り道をされた学者人生。網膜剥離による視力の減退、これは資料を読む学者にとっては、致命的なことです。それを乗り越えられた苦労。そして、奥様への並外れた愛情(ここは私も負けました)。この項続く

省庁改革本部、減量班同窓会

2018年8月10日   岡本全勝

先日、かつての省庁改革本部の減量班の同窓会をしました。
年に数回集まっているのですが、今回は発足20周年の記念の年なので、少々豪華に(といっても、しれてます。苦笑)。

2001年に実施された省庁改革、有名なところでは省庁再編です。その作業のために、私たちが事務局に集められたのは、1998年6月でした。私が参事官として担当したのは、組織や業務の減量です。その苦労は、日経新聞夕刊コラム1月25日に「鯉が包丁を持つ」で紹介しました。

その際に、2年半にわたり、一緒に苦労してくれた職員たちです。各省だけでなく、民間企業からも集まりました。「異業種」の人たちが集まり、一緒に苦労したので、結束が固いです。
また、労をいとわない幹事がいてくれるので、20年も続いています。それぞれに出世して、すなわち、その後も省庁や企業で苦労するポストを経験しています。その近況報告を、私生活とあわせて聞くのが、楽しみです。

20年は、過ぎてしまうと、あっという間です。私は、富山県総務部長から赴任しました。当時43歳でした。若かったですね。
この会は、まだ長く続きそうです。

中沖豊・前富山県知事をしのぶ会

2018年7月29日   岡本全勝

今日7月29日は、富山市まで、中沖豊・前富山県知事をしのぶ会に行ってきました。
私が中沖知事に総務部長としてお仕えしたのは、平成6年(1994年)から平成10年(1998年)までの4年間です。私は39歳から43歳、若かったです。いろんなことを経験し、そして学びました。

特に、知事の仕事に対する姿勢は、勉強になりました。粘り強く、そして熟考されます。ええ加減なところで結論を出してしまう私には、その辛抱強さは驚きでした。
もう一つは、富山に対する責任感です。天候や農作物の出来、さらには道路脇の景観まで。すべてのことに、知事としての気配りと責任を持っておられました。それらのいくつかは、総務部長に降ってくるのですが(苦笑)。所管分野だけをやり過ごすことが多い公務員としては、「責任者とはこうあるべきだ」と勉強になりました。
当時、読売新聞社が行っていた、県民の知事支持率調査では、常にトップでした。県民の知事に寄せる信頼がわかります。

性格も仕事の仕方も全く違う私を、4年間も使ってくださいました。
総務部長を終えて、内閣の省庁改革本部に転勤したら、早速訪ねてきてくだいました。そして、私を励ますだけでなく、私の上司に「岡本君を頼みます」と頭を下げてくださいました。

ミスター新幹線という名前がつくほど、北陸新幹線整備に心血を注がれました。3年前に新幹線が開通した時は、本当にうれしそうでした。
今日も、その新幹線で東京から富山へ行き、また帰ってきました。所要2時間15分です。便利になりました。
中沖知事は、空の上から、満足して富山と新幹線を眺めておられると思います。

あきらめの儀式

2018年7月18日   岡本全勝

習い事が成就しなくても無駄ではない」の続きです。
穂村さんは、続けて恋愛というより、失恋についても書いています。

・・・恋愛に燃え上がっている友達にはどんなアドレスをしても無駄、と経験的にわかっている。もう可能性がないことが周囲の誰の目にも明らかでも、本人は決して撤退しない。
あれは一縷の望みに賭けるというよりも、むしろ完全に駄目だということを確認するための行為なんじゃないか。その儀式が済むまでは「もしかしたら」という思いを消し去って前に進むことができないのだ・・・

これも名言ですね。
うまくいかないことが見えた時、どこで撤退するか。思いを断ち切る儀式は、重要だと思います。ウジウジと引きずらないためにです。

個人にとってはそうですが、組織の場合は、そのような感情の処理に時間と費用をかけず、サッサと撤退しなければなりません。
そこが難しいのですよね。創業者が苦労した事業だ、従業員が苦労した事業だ・・・と。損切りは、なかなかできません。情に対して、理や利をどのように納得してもらうか。「あいつは冷たい奴だ」と言われても。

少し脱線します。
昭和20年春、日本の敗戦が確定的になったときに、戦艦大和が沖縄に向けて出撃します。航空機の援護なしですから、途中でアメリカ軍の餌食になり、無駄になることはわかっています。
第二艦隊の伊藤整一司令長官は、無謀な作戦に抵抗します。しかし、連合艦隊の草鹿龍之介参謀長の「一億総特攻の魁となって頂きたい」との説得で、出撃に同意します。草鹿参謀長は、伊藤長官の後輩でした。理ではなく、情で納得するのです。
その結果、大和とともに約3千人の将兵が戦死します。伊藤長官は、出撃の前に、将来ある見習士官たちを下船させました。