岡本全勝 のすべての投稿

日本社会の変化

9日の日経新聞は、新成人の大学生千人へのアンケートを載せていました。15年前と比べ日本が良くなったと答えた人は47%、悪くなったが49%でした。15年後の日本が良くなっていると予想したのは50%、悪くなるが47%です。日本が国際社会で尊敬される努力をするべきだという人が79%、そう思わないが9%です。
日本が世界に誇れることは、アニメなどのサブカルチャーが73%、伝統文化や芸能が58%、ハイテク技術力が58%、食文化が51%です。一方、教育システムは5%、政治システムは1%、官僚機構は1%でした。この先、日本を変えたい人が65%、変えたいと思わないが16%です。変えたいのは、教育が52%、政治が51%、国際関係が46%です。(1月9日)
昨日の記事を読んで、記者さんの反応です。
「昨日のHPは、コメント抜きでしたね。読めば、『岡本の言いたいことはわかるだろう』と言うことでしょうが」
「日本が誇れるものの下位三つが、教育システム・政治システム・官僚機構というのは、驚きですが、納得します。10年前だったら、政治は二流としても、教育と官僚は世界に誇ることでした」
「大学生は、これらを実際には検証していないでしょうから、新聞をはじめとするマスコミから得た知識でしょう。でも、そう思っているという事実は、重いですね」
「この中で、教育は実体験あるものです。でも、有効な改革案を打ち出してない。文科省は補助金配りより、こういう課題にエネルギーを注がないのですかね」(1月10日)
11日の朝日新聞オピニオン欄に、小熊英二さんのインタビュー「ナショナリズムの今」が載っていました。
「近年、経済の停滞とともにナショナリズムが台頭した」と言われるが、そうではない。80年代以前も、「日本的経営は優れている」「日本人は勤勉な民族だ」という「日本人論」という形で、ナショナリズムが表現された。90年代以降は経済が停滞し、そういう表現が成り立たなくなって、歴史認識や靖国問題に焦点が移った。つまり、ナショナリズムが台頭したというより、表現形態が変わった。
質的変化は起きている。戦前の農村・小工場などの中間共同体、経済成長期の企業・労組・商工会といった中間共同体が壊れた。そこで、大衆社会型のナショナリズムの基盤ができた。欧米諸国で起きたことを、20年遅れで経験している。
日本の保守には、思想的な核がない。明治維新以来、政府主導で文明開化が進められたから。日本の保守政党は、何を保守してきたか。保守論者も、「左派嫌い」だっただけ。
近年日本で台頭しているのは、ナショナリズムというより、不安を抱えた人々が群れ集うポピュリズムである。(5月13日)
15日の日経新聞経済教室では、スティーブン・ヴォーゲル教授が「バブル不況乗り越えた日本経済、新しい改革モデル誕生」を書いておられました。長期不況を乗り切り、日本経済は大きく改革をした。従来と比べ、選別が進み、企業は社員や取引先を厳しく選ぶようになった。また、差別化が進み、単一の日本型モデルはなくなった。外国人や外国企業に対し、オープンになった。
しかしそれは、アメリカ型の自由市場経済とは異なる、調整型市場経済である。アメリカ型は、労働・資本・製品市場において、スピードとコスト合理化を身上とする。それに対し日本は、継続的な改善を得意とし、長期投資がしやすい。効果が疑問なアメリ型経営手法をもてはやす風潮は、気がかりだ。(5月16日)
17日の日経新聞連載「人口減と生きる」は、「次代のアジアどう描く」でした。日中韓3か国の25~44歳100人へのアンケート結果が、興味深かったです。
日本と密接な関係を築くべきだと考えている人は、中国では100人中たった1人、韓国も8人です。中国では緊密でありたい国は、ロシアが29人、アメリカが23人です。韓国では、中国が53人、アメリカが19人です。日本では、中国とアメリカが26人、韓国が17人です。
30年後に、自国の経済的地位が高まると考えている人は、中国では97人、韓国では76人に対し、日本は21人でした。自国を年齢で表すと、中国は28.8歳、韓国31歳に対し、日本は41.7歳です。若くて上り坂の中韓に対し、成熟した自画像を描く日本となっています。自分で、このあとは下り坂だと考えていては、実際より早く老け込んでしまいますよ。
一方、今後アジアとの結びつきが強まると考えている人は、中国では90%、韓国が74%に対し、日本では54%です。労働力の移動が自由になると考える人は、中国が60%、韓国が42%に対し、日本では22%でしかありません。アジアに対し門戸を閉ざす、内向きな性格も表れています。(5月17日)
5月22日朝日新聞夕刊、清水克雄編集委員「思想の言葉で読む21世紀論」から。
「地球が狭くなり、情報や人の移動が活発になる一方で、目に見えない不安感や喪失感が人々の間に広がっているといわれる。『その理由は、グローバル化の時代には精神的な異郷化が避けられないからなのです』とジャンリュック・ナンシー氏(フランス・ストラスブール大名誉教授)は強調する。・・・ナンシー氏が問題にするのも、都市への人口の集中や移民の増加などの目に見える変化だけではない。同じ土地にとどまっていても居心地の悪さを感じるほど世界全体の風景は大きく変わってしまった。そのために故郷喪失のような悲しみや、あてどのない思いが世界中に広がっているのが現実だ」
「古い『くに』が崩れ、宙づりにされたような不安に人間が直面した時代は過去にもあったという。・・その不安や喪失感の中から新しい宗教や価値観が生まれた。・・だから現代の異郷化も大規模な文明の転換を予告しているはずだという・・・」

2006.05.27-28

今日は、砂原庸介君の結婚式にお招きをいただき、行ってきました。新郎は、私が東大に教えに行っていたときに、塾頭をつとめてくれました。東大の山本泰先生(社会学)や内山融先生(政治学)、一橋の林正義先生(財政学)、大阪市立大学の北村亘先生(政治学)らと、同じテーブルでした。最初の挨拶をさせてもらったあとは、先生方といろんな話、普段霞ヶ関ではできない話をしてきました。他流試合はおもしろく、ためになります。
夕方からは、地方財政学会に参加しました。もっとも、議論は終わっていて、懇親会と2次会です。今年も、たくさんの参加者があったようです。学者だけでなく、実務家も参加しています。これまた、いろんな話を聞けて、ためになります。皆さん、地方財政改革の行方に関心があり、心配しておられます。
何人もの方から、質問というか、ご叱正を受けました。「進む三位一体改革ーその評価と課題」の続きはまだですか。「地方交付税-仕組と機能」の改訂版はいつ出るのですか。「明るい係長講座」を早く出版してください、などなど。すみません。「進む三位一体改革」の続編は、月刊「地方財務」6月末発行号に載せるべく、がんばっています。

2006.05.25

一橋大学政策大学院での講義は順調に進み、6回目、第3章に入りました。三位一体改革から見た行政の問題点を終え、日本の行政の成功と失敗の総論に入っています。第3章の講義(5月25日、6月1日)は、拙著新地方自治入門-行政の現在と未来」第1章と第6章を読むと、理解しやすいと思います。

三位一体改革71

(地方交付税という言葉)
財政再建議論で、「地方交付税」がよく出てきます。何か複雑だという印象で、分かりにくいものだというラベルが貼られています。そんなに難しいものではないのですが。もう一つ、これらの議論が混乱するのは、「地方交付税」という言葉を、いくつもの意味に使うからです。
①地方財政計画の仕組みを指して使われる場合
「交付税は、地方団体の財源不足を補う仕組みである」と言われる場合は、交付税とは「地方財政計画」と、計画による財源保障を指しているようです。地方財政計画によって、地方団体全体(マクロ)の収支が合うかどうかを判定し、不足するときは主に交付税で穴埋めします。
すなわち、この場合は、地方財政計画による、地方団体全体の財源保障の仕組みを指しています。
「地方の歳出が多いので、あるいはムダがあるので交付税を減らすべきである」と言われる場合も、この意味だと思います。
②各地方団体へ配分する仕組みを指す場合
これは、地方交付税の算定を指して言う場合です。この場合は、個別団体に対する財源保障の仕組みを指しています。「算定方法が複雑だ」とか、「不交付団体が少ない」と言う場合は、これを指しているようです。
③地方交付税総額を指す場合
上の2つが、仕組みを指しているのに対し、金額を意味する場ありもあります。
まず、総額を指す場合があります。この場合にも、二通りあります。一つは、国の一般会計歳出に計上される金額。もう一つは、地方団体が受け取る総額です。国の特別会計で加算する場合があるので、二通りの数字があります。
なお、このほかに、国税5税の一定割合が、最も狭義の交付税総額です。この金額に特例が加算され、前者の総額になります。最も広い意味では、交付税の身代わりである臨時財政特例債を含めて、交付税総額と言う場合があります。
④各団体への交付額を指す場合
これは、各団体が受け取る額です。
⑤財政需要額を指す場合
交付税を計算する場合は、全団体の場合も各団体の場合も、地方団体が必要とする額(基準財政需要額)を決め、そこから入るであろう税収など(基準財政収入額)を差し引いて、交付税必要額を算出します。しかし、この場合の財政需要額を、交付税という場合があります。「交付税措置がある」というのは、これです。
この場合、ある事業に交付税措置があっても、不交付団体は交付税が配分されません。
また、「地方債に交付税措置がある」という場合は、マクロでは地方財政計画歳入に計上された地方債は、その元利償還金が後年度に地方財政計画歳出に計上されます。その意味で、交付税措置があります。地方債はその年度は歳入ですが、実質的な財源ではなく前借りですから、その償還金の財源を手当てしないと財源手当になりません。
一方、それぞれの団体が発行した地方債に、個別に交付税措置があるかどうかは、これとは別です。多くの場合、その意味での交付税措置はありません。発行した額に従って交付税配分額を増やすと、地方団体は地方債を発行した方が交付税を多く配分してもらえることになるからです。地方財政計画歳出に計上され、各団体に地方債発行額に応じて配分していない元利償還金は、人口や面積で配分しています。(5月18・19日)
22日の朝日新聞社説は「交付税改革 分権進めて『共有税』に 」でした。「地方交付税といわれて、ピンと来る人がどれだけいるだろうか。『そんな税金を納めていたかな』といった反応が一般的かもしれない。その交付税に注目が集まっている。政府の歳出・歳入一体改革のなかで、財務省などが大規模な削減を唱えているからだ。交付税制度が果たしている役割を考えると、『まず削減ありき』の議論は乱暴すぎる。税源も権限も自治体に移し、その結果として交付税が抑えられる。そうした分権の手順を踏むのでなければ、国のツケを回すだけに終わる」
「昨年までの三位一体改革では、三本柱の一つとして交付税に関しても5兆円余が削られた。しかし、政府内部には、さらに切り込む意見が根強い。たとえば、財政制度等審議会は『5税の法定率引き下げ』を唱える。自治体はむだ遣いが多く、まだまだ絞れる。そんな地方への不信が根底にあるようだ。 だが、自治体の仕事の大部分は、政府の法令などで決まっている。国が権限を握ったまま交付税だけを削れば、貧しい自治体ほど身動きが取れなくなる」
「交付税改革は金額の話だけでは済まない。めざすべき地域社会の姿を描き、その実現を支える仕組みであるべきだ」。 (5月22日)
21世紀臨調が、「日本の将来と国・地方のあり方に関する国会議員・知事・市長緊急アンケート」の調査結果を公表しました。以下、抜粋です。詳しくは、原文をご覧ください。
「中央集権型から地方分権型に国のかたちを大きく転換することが簡素で効率的な行財政システムを構築し、財政規律を確立する道だという意見もあるが、どう思うか」という質問には、知事79.5%、市長64.9%が「そう思う」と回答。国会議員は46.4%が賛成、51.2%が「一概に言えない」と回答。
「三位一体改革の目的について、国と地方との間でどの程度の合意が形成されていると思うか」については、国会議員51.5%、知事86.4%、市長58.8%が、国と地方の間でしっかりとした合意は形成されてこなかったと回答。
三位一体改革の決着内容を現時点でどう評価しているかについては、国会議員は52.8%が「評価している」、43.6%が「評価していない」。知事の63.7%、市長の44.8%が「評価していない」と回答。
「地方分権改革はポスト小泉内閣の最重要課題の一つか」については、国会議員の82.7%、知事の95.5%、市長87.7%が「そう思う」と回答。
税源配分を国と地方の最終支出の実態に即した形に見直していくため、地方への更なる税源移譲が必要かどうかは、国会議員79.4%、知事95.5%、市長92.7%がそう思う(必要)と回答。また、第2期改革でもさらなる国庫補助負担金を廃止すべきかどうかを質問したところ、国会議員の79.7%、知事の72.7%、市長の75.3%が「そう思う」と回答。
「国と地方の協議の場」は今後どうあるべきかを質問したところ、国会議員の43.9%が「法制化などさらに制度として確立すべきだ」と回答、43.3%が「現在の協議の場をこれまで同様に継続すべきだ」と回答。「今後、協議の場は必要なし」と回答した議員は1名にすぎない。
これについてのコメントです。
佐々木毅 21世紀臨調共同代表(前東大総長)
政治システム全体にとって地方分権改革の持つ意味合いについて、国会議員と首長との間で基本的に共通の認識があることが分かった点が何よりも興味深い。また、これまでの三位一体改革の成果についてはなお不十分であり、今後も最重要課題であるという点についても概ね共通の理解が見られた。地方交付税などの扱いや地方の行財政改革の進捗状態については相違が見られるが、これは立つ位置の違いに帰せられよう。厳しい財政状況の中で中央・地方両政府が共倒れ的に衰弱し、弱体化するのを防ぐためには早急に中央・地方政府の役割を明確にする作業を基礎とした大胆な改革が必要である。そのためには先ず公務員制度改革を含め中央政府のあり方について政治がもっと積極的な構想力を発揮することが不可欠であり、問題解決を中央・地方の綱引きに任せていることの限界を改めてはっきり認識することから新たに出発し直すべきである。
西尾 勝 21世紀臨調共同代表(東京市政調査会理事長)
1)三位一体改革関係の設問に対する回答では、知事の回答と国会議員および市長の回答との間にかなりの開きがある。この改革に賭けた知事たちの熱意と真剣さ、そしてその帰結に対する失意の深さに比べ、国会議員および市長の態度はまだ多分に傍観者的である。
2)知事および市長の約半数は第2期三位一体改革の遂行を当面の最優先課題としているのに対して、国会議員では早くも三位一体改革と道州制論議とが混線し始めていて、当面の改革の道筋についてのコンセンサスが崩れて来てしまっている。憂慮すべき事態である。
3)知事および市長の回答と国会議員の回答の間に大きな落差があるものは、地方行革の進捗度合の評価、地方交付税問題、国と地方の協議の場の法制化等々少なくないが、なかでも地方議会・地方議員の改革を必要とする国会議員が88.8%にも達していることは目を引く(知事では54.5%、市長では75.7%)。これを政党別にみると、民主党96.4%、自民党85.7%、公明党81.3%で、地方議員を後援会組織の中核にしている自民党国会議員においてさえ、地方議会・地方議員を見る目は冷たい。国会議員と地方議員の間で率直な徹底討論が行われるべきではないか。
4)ローカル・マニフェスト運動の効果については知事および市長よりもむしろ国会議員の方が高く評価していて、首長選挙におけるビラの頒布解禁に賛成する比率も国会議員の方が高く、70.6%に達していることは、マニフェスト選挙の普及と発展に希望を抱かせる。
(5月22日)