岡本全勝 のすべての投稿

被災地の復興・核は産業

被災地では進度は違いますが、復旧が進み復興に取り組んでいます。現地を見て、また市町村長や役場の幹部とお話ししていて、次のようなことを考えていました。

早い段階から、何人かの市町村長さんたちは、「復興の鍵は産業だ」と指摘しておられました。「道路や住宅を復旧しても、働く場所がないと、人は戻ってこない。町は成り立たない」ということです。
三陸地方の過疎地域や、長野県の中山間地域。ここでは、限界集落に近いところもあります。地域を支える産業もなく、後継者がいないのです。現在住んでいる人たちは高齢者が多く、自給できるだけの農業となにがしかの兼業、そして年金で生活しておられます。
「なだらかに人口減少が続いていたのが、今回の災害を機に一気に減少し、集落がなくなるところもあるだろう」とおっしゃった首長もおられます。
阪神淡路大震災の時の神戸市やその近辺とは、経済・産業の条件が違います。もちろん、漁業の盛んな地域は、港と船が戻れば復興するでしょう。仙台平野も、企業が戻ってくれば復興します。しかし、過疎地域、中山間地域では、徐々に進行していた地域の衰退が、浮き彫りにされたのです。

ここで明らかになるのは、道路や住宅などインフラを復旧しただけでは、町は復興しないということです。暮らしの中心には労働があり、街の賑わいの基礎には産業があるのです。その上に、教育や社会福祉といった安心があります。住民が戻らないことには、町の将来像や行政サービスを議論できません。

1950年代から、国策によるエネルギーの転換により、炭坑が閉鎖され離職者が大量に出ました。1960年代に、雇用促進事業団が、この人たちのために再就職の世話をしました。阪神地方などに住宅を造り、移ってもらいました。当時は高度成長期であり、働く場がたくさんあって、これで失業者を吸収できたのです。もちろん、個々人には多くの苦労があったでしょうが。
現在では、労働集約型の組み立て工場はアジアとの競争にさらされ、地方への工場誘致は難しくなっています。どのようにして地域の雇用を確保するか。自治体にとっての大きな課題が、被災地では顕在化しているのです。自治体関係者だけでなく、私たち行政関係者、学者、有識者、政治家、そして産業界・企業家のヴィジョンが問われているのでしょう。

原発事故関係市町村長との意見交換会

今日は、福島県庁で、原発事故関係12市町村長との、意見交換会でした。国からは片山総務大臣、平野内閣副大臣、松下経産副大臣ほか、関係府省の職員が出席しました。これらの市町村は、住民が区域外に避難を余儀なくされ、また役場も引っ越しているところも多いです。大変なご苦労をおかけしています。
元の市町村を離れた住民は、住民票を移せば新しい市町村の住民になりますが、移さない限りは「旅行者」と同じです。多くの住民は、元の市町村に帰る意向なので、住民票は元の市町村のままです。そこで、行政サービスが問題になります。学校は、新しい市町村で「分校」をつくれば、元の市町村の学校ですが、そうでない場合は受け入れ先の市町村立学校に入ってもらいます。そのほか、福祉サービスはどうするかなど、課題はたくさんあります。全国に散らばった住民に、書類や町の広報を郵送するだけでも、多額の経費と手間がかかります。
住民サービスを低下させないために、また元の市町村とのつながりを保つために、どのような運用や制度改正、法律が必要かを検討するためです。この機会に、そのほかの要望や意見も頂きました。原発事故による避難は、まだ帰る見通しが立たないので、地震・津波による避難とは違った条件にあります。

会議は正午過ぎに終わったので、二本松市と郡山市に移転している町役場を視察して、町長や課長から注文を頂いてきました。山のように仕事があるので、ほかの市町村から職員に応援に来てもらっています。これは重要な戦力になっています。
現地でお話を聞くと、東京で考えていてはわからない、いろんな課題があります。職員も避難生活をしているので、避難所や仮設役場で寝泊まりしています。この方たちにも、休息を取ってもらう必要があります。

今日の日記・支援本部での一日

朝、8時過ぎに出勤。この仕事に就いた最初のころは7時過ぎに出勤していたので、最近は遅くなりました。霞ヶ関では、これでも早いようです。でも、世間ではこれは遅い方ですよね。例によって、職員が昨夜のうちに作って、机の上に置いてくれた書類に目を通し、加筆。静かな時間帯に、これからの課題を検討。次々と出勤してくる職員を捕まえては、「あれ、どうなっている?」と確認。

9:30から、毎日の事務局班長会議。みんなで、しなければならない仕事を確認します。また、今日は金曜日なので、事務局の課題を更新しました。事務局内だけでなく、政府部内、自治体関係者にこれらの情報を知ってもらうことが、これからの取組に効果的だと考えています。
11:00から、大臣らと事務局幹部が集まって、定例の「運営会議」。いくつもの報告と課題の指摘があり、50分もかかりました。まあ、いつものことですが。松本大臣、片山大臣、仙石副長官、平野副大臣、松下副大臣、それぞれ論客ですから、最も緊張する時間です。その場で回答できないものは、宿題にしてもらって終了。
12:00から、官邸で各府省連絡会議。今日は総理出席で、公務員の給与削減の指示が出ました。その後、被災者支援の議題に。大臣や副長官からの指摘があり、引き続き各府省次官から進捗状況の報告。私は、途中から弁当を開いて、食べながら聞いていました。

13:00過ぎに終わり、道路をはさんだ内閣府庁舎に戻りました。そこで、もらったばかりの宿題を、職員に「転送」。
その後、若手職員(シャンポリオンS1くん、S2くん)を誘って、内閣府前の道路の草引きに。毎朝通る道ばた(官邸前交差点から内閣府庁舎まで約20メートル)の雑草が伸びているので、草引きをしたかったのです。一人では恥ずかしいので、シャンポリオンさん二人を誘って、決行。昨日する予定が、雨で今日に延期しました。
歩道のアスファルトや敷石の隙間に生えるだけあって、手強いです。引っ張っても葉っぱだけちぎれて、根っこは抜けないのが多いです。アザミはトゲだらけで、3人ともギブアップ。靴で踏んだらトゲが取れて、抜くことができました。3人で、うろ覚えの岡本真夜の「トゥモロー」を口ずさみながら。「・・アスファルトに咲く花のように♪♪・・これは強いわ」と。3人で、レジ袋5つに満杯になりました。

仕事場に戻ると、「ちょっと良いですか」という、M、E、M参事官の「波状攻撃」を受けつつも、次々と指示を出して「撃退」。別途、ゲリラ的に攻撃に来る、Y、F参事官の「あれ、どないしますねん」という攻撃には、たじろぎつつも「あんたの案は何や」と「反撃」し、その案を採用して「防戦」。
16:30から、午後の班長会議。17:00から副大臣の記者会見同席。その後、記者さんの質問に受け答え。
明日4日は、福島市で、原発事故関係市町村長との意見交換会。6日は、仙台市で宮城県内市町村への説明会。さらに11日からは、岩手、宮城両県で市町村との復旧復興に向けての意見交換会です。

帰ろうと思ったら、H参事官が最後の攻撃に来ました。「次長が急がせるので、次のようにしたいのですが。できれば今日中に・・」。そこで、私も電話をかけることに。時間外を承知で、いくつかの市役所の秘書課に電話をしました。金曜夕方に電話するのと、月曜の朝では、2日違いますよね。

19:00から都内某所で、事務局を卒業した中堅幹部職員の慰労会。一時120人いた職員は、現在40人まで縮小しました。苦労をかけた職員に、お礼を言いつつ、反省すべき点を聞くのが目的です。
みんな、お世辞半分で「大変だったけど、勉強になりました」と言ってくれるのが、嬉しいです。
以上、今日の日記です(小学生みたい。笑い)。

日本社会型雇用とリスク意識

リスク論を勉強する過程で、山岸俊男、メアリー・ブリントン著『リスクに背を向ける日本人』(2010年、講談社現代新書)が、参考になりました。いくつか紹介します(この仕事に就く前に読んで、放ってありました。忘れないように書いておきます)。

雇用の安心には二つの形がある。一つは終身雇用型、もう一つは再雇用のチャンスがあること。すなわち、日本での雇用の安心は、企業に就職し定年まで雇用が保障されることで、雇用の安定とは、首を切らないこと。雇用不安は非正規雇用が増えるからで、正規雇用にして簡単に首を切れないようにすることが安心。他方、北欧は、会社にしがみつくのではなく、失業者に訓練の機会を与えて、より生産性の高い産業で再雇用されるように支援するやり方。

アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッター教授が唱えた「ウイークタイズ(弱い結びつき)」。家族や親しい友人などに代表されるストロングタイズ(強い結びつき)から得られる情報は、つながっている人たちの輪が限られているので、すでに自分も知っている情報と変わり映えがしない。しかし、それほど親しくない知人からは、自分が知らない情報を得られる可能性が高い。

「空気が読めない」=KYという言葉が流行った。これは、自分の意見を発信することで、まわりの人たちを変えていこうという発想がないことを意味いしている。まわりの人たちを変えていこうというんじゃなく、まわりの人たちから受け入れられているかどうかにだけに目が向いてしまっている。場の空気を乱さないよう、まわりの人たちが何を考えているのかを予想して、そうした考えに自分を合わせるためのコミュニケーションに気をとられてしまう。
終身雇用制が確立している日本では、今の会社を首になった人は、別の会社では簡単に雇ってもらえない。だから、今の会社の仲間や上役から嫌われないようにするのが、無難な行動原理。とりあえずそういう行動をとると、本当に欲しいものを手に入れることができなくなるコストがあるが、まわりの人からつまはじきにされるというもっと大きなコストは避けることができる。アメリカ人にとっては、今まわりにいる人に嫌われても、別のチャンスがあるから、自分の意見を主張する。
アメリカにも「空気の支配」はある。ケネディ大統領の最初で最大の失敗であるキューバのピッグス湾上陸作戦。CIAの甘い見通しをもとにした強硬意見がその場の「空気」を作りだし、冷静な判断が抑えられてしまった。

科学技術と政治決定

日経新聞連載「科学技術の役割ー原発事故に学ぶ」。6月1日は、田中耕一さん(島津製作所、ノーベル賞受賞者)でした。
・・東日本大震災が発生した3月11日以来、科学技術に携わる者として、もっと貢献できることがあったのではないかと悔やむ思いの一方で、科学技術にはまだやるべきことがたくさんあると痛感した。津波や地震のメカニズムはもちろんのこと、自然にはわからないことが数多くある。宇宙や地球の内部は当然、人間の内部ですら科学はその一部しか解き明かしていない。
にもかかわらず、我々にはもう学ぶべきことはないという過信や傲慢さがあったのではないか。地震や原発事故は、やるべきことがまだまだたくさんあることを示した。日本の科学技術はダメだと落ち込むよりも、新たな課題を与えられたと受け止め、再出発の起点にすべきだと考える・・
福島第1原発事故の背景には、技術への過信があったと思える。そもそも「絶対安全」な技術はあり得ない。「想定外」の大津波と表現されたが、わかったところだけが想定できるわけで、それをもとに大丈夫と言っていただけだ。
ただ、「絶対安全」といわなければならない雰囲気があったのかもしれない・・
原発の過酷事故が起きる可能性はないことが前提となるから、事故発生時の対策を考える必要はないという思考停止状態になってしまう・・
筆者は、日本の科学技術の問題点を指摘するよりも、今回の震災や原発事故を、科学技術が前に進むきっかけにすることが重要だと考える・・