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こども食堂だけでは問題は解決しない

9月13日の朝日新聞オピニオン欄、「気まぐれ八百屋だんだん」店主・近藤博子さんの「「こども食堂」看板やめます」から。

官民が後押しし、全国で1万カ所を超えるほど広がった子ども食堂。その「名付け親」であり、13年間、東京都大田区で子ども食堂を運営してきた近藤博子さんが、この春、「こども食堂」の名前を使わないと宣言した。一体なぜ――。取材を申し込むと、こう返ってきた。「言わなければならない時期だ」

――「言わなければならない」とは、何をですか?
「『ちょっと違うんじゃないか』と、ずっと感じていたんです。13年前、食を通じて近所のちょっとしたつながりができればと思い、子ども一人でも入りやすいように『こども食堂』という名前で始めました」
「その後、驚くスピードで全国に広まりました。応援してくれる人も増えていった。おかげで寄付や支援が集まって助かった面は確かにあります。でも、増えていくことが『いいこと』なのかという疑問はずいぶん前からありました」

――たくさんの子どもたちが利用しています。「いいこと」では?
「『子どものことを心配している大人がこんなにいる』と分かったのはうれしかったですし、子ども食堂が支えになっている子どもや親も実際にいます。だからといって、子ども食堂でなんらかの問題を解決しようと考えるのはおかしい」
「数が増えるのと並行して、子ども食堂に求められる役割も増えていきました。最初は『貧困対策』です。その後、誰もが通える『居場所づくり』や『地域のプラットフォーム』とされていきます。今では『子ども食堂はみんなの食堂』です。不安を抱きながら続けてきましたが、この大きな流れから距離を置き、立ち止まって考えたいと思いました。これまで通り、週に1回食堂を開いていますが、4月から『こども食堂』の名前は使っていません」

――不安というのは?
「大事なのは子ども食堂という『活動』ではないですよね。子どもであり、子どもを育てる親こそ大事なはずです。だから、当事者が置かれている状況を改善しようという議論は不可欠です。それをせずに、子ども食堂の数や利用者を増やすことが目的になっていないでしょうか」
「『子どもの貧困』など、子ども食堂に課せられてきた子どもや社会の問題は、ずっと前から存在していました。今始まった話ではなく、そういうものに気付かなかったり『見て見ぬふり』したりしてきただけです」

――本来議論されるべき問題とは?
「就労の問題は大きいと思います。子どもと接する中で強く感じるのは、『この子たちががんばった先の社会は、ちゃんとした雇用を準備しているのか?』ということです。子どもたちは一生懸命勉強している。でも今、『がんばれば大丈夫』とは言えないですよね」
「子ども食堂を始めて間もない頃、企業のCSR(社会貢献)担当の人たちが『何か手伝いたい』とここに来たことがあります。でも私は、企業がやるべきことは子どもが大人になった時にちゃんとした仕事を準備することだと思っていました。だから『応援して欲しいのは子ども食堂ではなく、子どもたちの就労です』と伝えました」

――なぜそうした問題は「見て見ぬふり」なのでしょうか。
「その方が簡単だからですよね。根っこの問題ではなく、困っているその人個人の問題としておく方が簡単です。例えば、子どもに関わる大きな問題の一つに、教育もあると思うんです。教育格差が広がったり、不登校が増えたりしています。でも、学校の先生は余裕がない。ある小学校の先生に『どうすればいいですか』と尋ねたら、『副担任がいるだけでずいぶん違います』と言っていました。それくらいのこと、国や行政がすぐにやればいいじゃないですか。先生を十分に増やさず、『不登校が増えて困ります』『じゃあフリースクールだ』『多様な学びを認めましょう』。問題がある学校がそのままでは、おかしいですよね」
「せめて子どもや親を直接支援すればいいのに、それは『自己責任』という考え方が阻んでいるように思います。個人の責任にしておけば、社会は責任を負わずに済んで楽ですから。政治家はよく『誰ひとり取り残さない』なんて言いますが、何を言っているのでしょうか。こんな社会にしたことを反省して、すぐに手を打つべきです」

この国のかたち、外国人との共生

憲法とは、その国のかたち・基本を定めるものですが、憲法に書かれていない「この国のかたち」もたくさんあります。
私は、明治憲法と昭和憲法には、第1条の前に第0条があったと考えています。その第1項は「国民は勤勉に働き、豊かになることを目指す」で、第2項は「その際には、欧米を手本にする」です。昭和後期に豊かさを達成したことで、第2項は不要となり、第1項は代わる条文を模索中です。
このほかにも、日本語を国語とすること。男女同権と言いつつ多くの分野で男尊女卑であること。結婚すると妻は夫の姓を名乗ることなどの慣習もありました。これらは、急速に変化しつつあります。

近年問われている「この国のかたち」の一つが、定住外国人との共生です。
移民政策(労働力として外国人を受け入れる)を取らないと政府は主張していますが、実際はなし崩し的に受け入れています。問題は、彼らをどのように社会に受け入れるかです。
一方で包摂を目指す人たちがいて、他方で排斥する人がいます。このような国民の間にある対立を調整する経験を、近年の日本政治・国会はしたことがありません。1952年の独立の際の、全面講和と単独講和との対立以来かもしれません。しかしそれも「外圧」でした。

意外な問題から、この国のかたちが問われ、政治の役割が問われることになりました。日本国、日本社会をどのようにつくっていくか。結果とともにその過程も、この国のかたちです。

フィッシングメール日本に集中

9月12日の読売新聞に「フィッシング 狙われる日本 新種不審メール8割集中」が載っていました。日本人はだまされやすい「カモ」なのでしょうか。
私の携帯電話やパソコンにも、毎日たくさん来ます。利用していない銀行やクレジットカード、車を持っていないのにETCとか。有名な女優からも(笑い)。電子メールが無料で送ることができるので、犯人たちは費用を考えることなく、やたらめったら送っているのでしょうね。

・・・日本の企業・個人の情報を盗み取ろうとする「フィッシングメール」が急増している。全世界で今年確認されている新種の不審メールの8割超が日本を標的としたものであることが、セキュリティー企業の調査でわかった。これまで「言語の壁」で守られていたが、生成AI(人工知能)により自然な日本語メールが作成可能となり、格好の標的となっている。

「日本がこれほど狙われたことはない」。米メールセキュリティー大手「プルーフポイント」の増田幸美チーフエバンジェリストは、危機感をあらわにする。
同社のメールセキュリティーサービスは、全世界の電子メールの4分の1で使われている。増田さんらが同社のサービスを使う全世界のメールを調べたところ、同社にとっても未知のタイプの不審メールが1~8月に約53億通確認された。大半がフィッシングで、日本を標的にしたものは83・9%に上った。2023年(約12億通)の4・3%、24年(約14億通)の21・0%から大幅に増加し、全体数を押し上げている。
メールの内容は、偽サイトに誘導して、「マイクロソフト365」などのクラウドサービスの認証情報やクレジットカードの個人情報、インターネット上の証券口座の認証情報を入力させて盗み取ろうとするものが多いという。

急増の背景にあるのが生成AIの普及だ。
増田氏は「従来のフィッシングメールは不自然な日本語で書かれ、日本人なら簡単に気づけたが、生成AIで自然な日本語のメールが作れるようになり、見分けがつかなくなっている」と話す。日本人向けのメールやサイトを簡単に作れる「フィッシングキット」も使われているという・・・

知能指数は能力の高さを表さない

東京大学出版会の宣伝誌『UP』6月号から、高岡佑壮・東京認知行動療法センター臨床心理士の「知能検査を受ける前に」が連載されています。主旨は、「知能検査で「能力」は調べられない」です。

小学校で受けた知能検査。知能指数が高いと、頭が良いと喜びました。でも、あまり勉強ができないA君の数値が高く、なぜだろうと思いました。その後、見聞きすることがなくなりました。
この論考は、知能検査の内容と限界を、わかりやすく説明しています。職場での「能力」を考えるにも、参考になります。偏差値が高い大学を出ているのに、仕事ができない職員がいるとか。詳しくは原文を読んでいただくとして、私なりの理解を書いておきます。

・知能検査では、人の能力は正確には調べられない。仕事や勉強などの「生活の中でのいろいろな課題」をこなす能力の高さは、知能検査では調べられない。
・検査で出される問題はクイズと同じで、やるべきことは一つひとつはっきりと指示されている。しかし仕事や勉強のような生活の中での課題は、やるべきことを細かく指示してもらえることはない。段取りなどは、自分で考えなければならない。
・会議で発言する場合も、知識だけでなく、周りの人との関係を考えなければならない。能力は、経験や健康状態、人間関係などさまざまな要素によって成り立っている。
・能力は、本人の中にあるものだけでなく、環境との関係で結果的にできる(家庭や学校、社会など、恵まれた環境とそうでない環境がある)。

・知能指数は4つの指標から構成されている。言語理解、知覚推理、ワーキングメモリー、処理速度。
・例えば、言語理解の場合。検査では「これについて話してください」と指示されるが、実生活ではそうではない。例えば中学生が「周りの生徒たちと意見を出し合って何かを決める」場合、誰かがいちいち「次は○○くんが△△について話してください」という指示を出さない。雑然とした雰囲気の中で話し合いが進む。そこでは「他の人が話しているときは、それをさえぎらない」「自分が話すときは、周りの人が聞いているか見る」「緊張しすぎないように、感情を安定させておく」などなどが必要です。しかし知能検査は、これらの要素を調べていません。
・知覚推理の場合は、検査では「何を見て答えを推測するか」が、一つひとつはっきりと指示されている。しかし生活の中では、「何を見るべきか」を教えてくれない。「会社の中にある散らかった部屋に初めて入って片付けをする」という仕事は、知識に頼れず推測しなければならない。どの順番でやるか、書類や荷物をどのように分類するか、箱に入れるのかロッカーに入れるのか、捨てるか保存するかは誰に相談するか、誰に相談すればよいのかなどを、考えなければならない(この説明は、職場によく当てはまります。納得します。いくら学力が高くても、新人では処理できません。経験が必要なのです。『明るい公務員講座』では、一人で悩まず、周囲に相談せよと助言しました)。

スマホをテーブルに置くと親近感が低下する

「PRESIDENT Online」10月3日の「スマホをテーブル上に置くと親近感が低下する…心理学研究が明かした「相手に好かれる人」のさりげない仕草」から。

(恋人を不安にさせてしまう意外な原因)
ペンシルバニア州立大学のマクダニエルとブリガムヤング大学のコインは、テクノロジー機器(コンピューター、携帯電話、スマホ、テレビなど)による日常的な介入を「Technoference(テクノフェレンス)」と呼び、スマホが実生活に及ぼす影響を研究しました。
そのなかで、恋愛関係におけるテクノロジー機器の使用頻度と、機器使用にともなう日常的な中断が、人間関係の幸福度にどのように関係しているかを調査しています。この調査は女性を中心に行われ、既婚・同棲をしている143名にオンラインアンケートで回答してもらうというものでした。

その結果、大多数がカップルの会話や食事の時間などで、テクノロジー機器がパートナーとのやりとりを頻繁に妨げていると回答したといいます。
さらに、人間関係においてテクノロジーへの介入が多いと答えた参加者ほど、人間関係や生活の満足度が低く、精神的に落ち着かないことが多いことも明らかになりました。たしかに、デートの最中にスマホをいじっていたら、「私といてつまらないの?」と思われても仕方のないことでしょう。

(テーブル上にスマホがあるだけで親近感が低下)
また、バージニア工科大学のミスラらが行った、ワシントンのカフェで100組のカップルを観察したという研究では、「テーブルに1台のスマホが置かれている」、あるいは「どちらかがスマホをもっている」という状況にいたカップルは、双方ともに親近感や共感が低下することもわかったそうです。

テーブルに置かれているだけでも不快に思うパートナーがいるわけですから、デートの最中はバッグやポケットにしまうなど目に見えない場所に置いたほうがベター。関係性が親密であればあるほど、スマホが共感に与えるダメージは大きくなり、大切にされている感覚が低下したそうです。
スマホの存在は人間関係に干渉する可能性があるため、デートだけではなくビジネスの現場でも用がないならしまっておいたほうが無難です。スマホはもう鳴る・鳴らないの範疇を超え、そこにあるかないかで印象を変えてしまうアイテムなのです。