投稿者アーカイブ:岡本全勝

「イクメン」の変化

2025年7月1日   岡本全勝

6月24日の日経新聞夕刊、杉山錠士・総合子育てポータル「パパしるべ」編集長の「摩擦おこしたイクメンブーム 流行語から15年」から。私も、『明るい公務員講座 仕事の達人編』でイクメンパスポートを紹介しました。インターネットで調べると、名前も「ともそだてパスポート」に変わったそうです。内閣人事局のページ

・・・2021年に育児・介護休業法が改正され、22年から「産後パパ育休(出生時育児休業)」制度がスタートした。「ママのワンオペ」が当たり前のように見られた時代から、少しずつ「パパが主体的に育児する」時代へと移りつつある。働き方も見直され、それぞれの家族のあり方を追求するようになった。

筆者の長女は04年に生まれた。当時の男性の育休取得率は0.56%。保育園や平日の公園でパパの姿を見かけることはほとんどなく、先生が保護者に何かを伝えるときの対象はいつも「お母さん」だった。
ぐずる長女をベビーカーに乗せて歩いていると、見知らぬ女性から「やっぱりママがいいわよね」と声をかけられたこともあった。乳幼児健診では、会場にいるパパは自分ひとり。受付の女性からは「お母さんはどうされたのですか?」と聞かれた。
上の世代から「君は出世を諦めたのか?」「仕事と家庭、どっちが大事なんだ?」などと言われたこともあった。オムツ替えスペースに男性が入れないといったハード面も含め、男性には子育てがしにくい環境だった。
変化が起きたのは10年。「イクメン」という言葉が新語・流行語に選ばれ、男性が家事や育児を担うことに注目が集まった。この頃、育児に関わりはじめた人たちは、「イクメン第1世代」と言えるかもしれない。
ただ、あくまで「今はやりだよね」というニュアンスだったので、まだ色物扱いだったと思う・・・

・・・19年度、男性の育休取得率は7.48%。イクメンという言葉が浸透し、家事育児への認識が変わりつつあっても、育休を取る男性は10人に1人もいなかった。
まったく変化がなかったわけではなかった。スイミングスクールなど週末の習い事ではパパの姿が増えた。運動会など週末に開かれる学校行事には、パパが出席するのが当たり前になった。
この時期に家事育児に積極的に関わるようになったのが「イクメン第2世代」。変化は主に週末に起きた。「平日は仕事がメイン」という価値観は残しつつ、少しでも子育てに参加しようとする意識の表れだったのだろう・・・

・・・20年4月、コロナ感染拡大を受けて緊急事態宣言が発令され、働き方が大きく変わった。リモートワークの普及により、働き盛りの男性が平日の自宅にいるのが珍しくなくなった。
20年度の男性の育休取得率は12.65%と初めて1割を超えた。コロナ禍で取得率は一気に上昇し、23年度には30.1%と、ついに3割を突破した。働き方を見直し、家庭との向き合い方を変えたこの世代は、「イクメン第3世代」と言える。
ただし、取得率が3割に達したとはいえ、残る7割は取得しておらず、マジョリティーとは言えない。子育て講座などでも、「ママをしっかりサポートしましょう」という声かけがされる場面がある。「育児はママが主体で、パパはサポート役」という前提が、いまだに根強い。
実際、ママたちからは「受け身ではなく、もっと主体的に家事育児をしてほしい」という声をよく聞く。これからの課題は、「ママに従う」形ではなく、「自らの意思で育児に向き合う」パパをどう増やしていくか。社会もまた、そんなパパたちの働き方や生き方を受け入れ、支える方向に進んでいく必要がある・・・

家計消費状況調査

2025年6月30日   岡本全勝

6月分の家計消費状況調査調査票を、記入して回答しました。昨年7月から引き受け、毎月月末に報告しています。

家計消費調査と言いますが、1か月の全ての支出を回答するのではなく、携帯電話代、授業料、衣類、医療費、家電、自動車など特定の支出です。ほかに、インターネットを使って購入したものもあります。私だけでなく、家族の金額を書き込みます。
我が家の場合は、携帯電話代はありますが、家電や自動車は該当しません。インターネットでの購入が、本だとかいくつかあります。
回答は、インターネットでできるので、この点は便利です。

去年の今頃に、調査員が訪ねてこられました。総務省の調査ですから、断るわけにはいきませんでした。期間は1年だったので、これで義務を果たしたはずです。

早川書房社長の「私の履歴書」

2025年6月30日   岡本全勝

日経新聞私の履歴書、6月は、早川浩・早川書房社長でした。早川書房は、推理小説や空想科学小説(SF)、外国書籍の翻訳で有名です。
早川書房は、意外な分野の翻訳も手がけています。私は推理小説などは読まないのですが、カズオ・イシグロやマイケル・サンデルを読みました。ほかに、スティーヴン・ホーキングなども、早川書房です。

本屋で多くの出版社の翻訳本を見る度に、どのようにして著者や出版社と接点を持ち、翻訳するのか。その方法を知りたいと、思っていました。評価の定まった本なら売れ行きも読めるでしょうが、新人を発掘するのは難しいし、売れるかどうかわかりませんよね。
早川浩社長の履歴書を読むと、良い本を探すこと、そしてその翻訳を交渉し、翻訳権を手に入れることの難しさが書かれています。ご本人の「目利き能力」のほかに、広い交友がものを言うのですね。
社長も、サンデルの「これからの正義の話をしよう」は3000部だろうと見積もったら、百万部を超えるベストセラーになったと、白状しておられます。

「私の履歴書」。これまでにないことに手を出す、リスクを承知で挑戦した方の履歴は、興味深いです。

2009年イタリア・ラクイラサミット記念品

2025年6月29日   岡本全勝

2009年の先進国首脳会議(G7、当時はG8)は、イタリア・ラクイラで開催されました。下につけた画像は、その時の記念にもらった、会議のロゴマークをあしらったマウスパッドです。ビニール製で、直径は約20センチです。

会議は、当初は海にあるラ・マッダレーナで開催される予定でしたが、ベルルスコーニ首相が突然、地震被害に遭ったラクイラへ会場を変更したのです。このマウスパッドにも、「ラ・マッダレーナからラクイラへ」と書かれています。真ん中の絵はウミガメです。
いまだにマウスパッドとして使っているのですが、もう16年も前のことになります。

職場は仕事だけの場ではない

2025年6月29日   岡本全勝

6月22日の朝日新聞くらし面、「コロナ禍で壊れた心、抱えたまま 行動制限下「すごく孤独だった」、うつの波は今も」から。

・・・5年前の2020年4月、コロナ禍で最初の緊急事態宣言が出された。行動制限は人を孤立させ、ときに心を壊すほどのストレスを強いた。今も、一度負った傷を抱えている人がいる。

神奈川県内のメーカーで総務の仕事をしていた女性(28)にとって、仕事は決して楽しいものではなかった。それでも、19年に新卒で入社した当初は、研修や飲み会を通じて同期と交流があり、愚痴を言い合うこともできた。プライベートではカラオケやライブ、旅行でストレスを発散していた。
翌年からコロナ禍に入り、状況は一変する。家と職場を往復し、業務をこなすだけの日々。楽しみはなくなった。21年3月にリモートワークが始まると、完全に「やる気スイッチ」が消えた。なぜ集中できないのか。家で悶々としていると、孤独感が募った。
夏ごろには日中、急な眠気に襲われるようになった。十分睡眠はとっているのに、パソコンに向かい、気づいたら眠り込んでいる。そのうち、夜に眠れなくなった。今日も眠れない、と思うと不安になり、余計眠れなくなった。

原則出社に戻っても、日中は常に眠気と戦っている状態。すべてを投げ出して逃げたい、消えたいという思いに駆られた。
食事ものどを通らなくなった。息苦しさや貧血、動悸にも悩まされるようになった。
12月には1週間、会社を休んだ。年明けは忙しく、無理に出社した。「休んじゃいけない」と思い込んでいた。4月には、いよいよ朝起きられなくなった。
母に連れられて精神科を受診し、うつ病と診断された。「これでもう会社に行かなくていい」という安堵感と、「気持ちが晴れる日は来るんだろうか」という不安感が同時に押し寄せた。
実際、通院してもよくならないどころか、薬の副作用で吐き気や倦怠感に苦しんだ。何度か転院し、脳に電流をあてる「経頭蓋(けいとうがい)磁気刺激(TMS)」も試したが、期待したほどの効果はなかった。「なぜこんなに自分は弱いのか」と思い詰め、どうやって死のうか、と毎日考えていた。

どん底のなか、ようやく合う薬が見つかり、症状も副作用も少し落ち着いてきた。23年4月からは主治医の提案で、復職に向けたリワークプログラムに通った。同じ境遇の人と悩みを共有し、「一人じゃない」と思えた。
同年9月に復職。夜眠れる、ごはんが食べられる、支度ができる。「ふつうの生活ができる。それが何よりうれしかった」。その後も精神状態の波はある。転職もした。だが、大きく体調を崩さないよう、自分を守ってきた。気兼ねなく友人と会い、旅行もできるようになった。
いま振り返ると、「コロナがなければ、ここまで悪化しなかった」と思う。「すごく孤独だった」

徳島大学の山本哲也教授らの研究では、コロナ禍で悪化したメンタルヘルスは改善傾向にあるものの、若年層ほど回復から取り残されていることがわかった・・・