東京財団政策研究所「平成を読み解く――政治・外交検証 連載第1回「平成デモクラシーと財政・社会保障改革」、清水 真人・日本経済新聞編集委員の発言から。
・・・第一に、「平成デモクラシー」とは何か、です・・・しかし、それら以上に、平成という時代の政治、つまり「平成デモクラシー」は、この時代に行われたさまざまな統治構造改革こそが実は主役であって、それによって初めて強い首相が出現したことが最大のポイントといえます。そこで、制度改革という眼鏡をかけて、平成の政治を振り返ってみます。
1月7日に平成に改元された1989年を思い起こすと、対外的には冷戦終結とグローバリゼーションのスタートという激変がありました。少し遅れて国内的にはバブル崩壊や少子高齢化の進展という今日の人口減少、財政赤字をもたらす事態に直面します。これらにより、従来の政策や資源配分を大胆に変えなければ駄目ではないかという危機感が強くありました。個々の政策を大きく変えるためには、まず政策の決め方そのもの、政治や行政の仕組みから抜本的に変えなければ駄目だという気分に支配されていたのです。1990年代には政治改革と橋本行革の2つの大きな改革が行われました。さらに司法制度改革にまで進みます・・・
・・・政策を大胆に変えようとして平成の統治構造改革は進められた。結果、強い首相が出現した。考えどころなのは、それによって政策決定の質は向上したのかどうかです。「政治は劣化した」「改革は失敗だった」という議論もあります。私はそこまでいいきる自信はありません。平成の諸改革には政治的な妥協の産物となった中途半端な部分もあれば、段階的に実施されて整合性を欠く部分も併存しますが、現状は「改革の失敗」なのか、それとも「改革の不足」なのか。両論がありうるでしょう。政策決定の質は向上したのかどうかも難しい問いです・・・
・・・最後に、もう一度総論に戻ります。この30年でわかったことは何か、これからどうするか。
ここはメディアにも大きな責任があると自覚していますが、2大政党とか政権交代とかを論じるときに、「対立軸」といいすぎたのではないか。この30年、そういう議論をしている間に外交・安全保障も、財政・社会保障も日本の採りうる選択肢が狭まってしまった。むしろ、政権交代を超えた「共通の基盤」は何か、をもっと重視して議論しなければいけなかった。そのことが、3党合意とその崩壊をみてようやくわかったように思います。
政権交代すれば、何でも自分たちの思いどおりに政策を変えられる、というものではありません。政権交代は野党の勝利ではない、与党が負けただけだ、と冷めて考える必要があります。与党ガバナンスの崩壊や権力者のスキャンダルで時の政権が信頼性を失ったときが受け皿、野党の出番なのです。その政策は前政権と8割方変わらないかもしれない。それでも「絶対的権力は絶対に腐敗する」以上は政権の選択肢が複数あり、期間限定で責任を取らせて代えうること、有権者が一票を投じて政権を選べること自体に意味があると考えています・・・