月別アーカイブ:2026年5月

福井ひとし氏の公文書徘徊12

2026年5月1日   岡本全勝

アジア時報』5月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第12回「石油の国・ニッポン」が載りました。詳しくは、記事を読んでいただくとして。

20世紀は、石油の世紀でもありました。動力源が人力や家畜から石油に、エネルギーが木炭や石炭から石油に、そして電力の源も石油に、自動車の燃料として、さらに化学製品へと、世界の活動は石油に浮かぶようになりました。今回の記事は、石油の世紀の幕開けに対応した明治政府(の公文書)から始まり、太平洋戦争(この戦争は石油を確保する争いでもありました)、戦後の石油確保の苦労、そして石油危機へと、話が進みます。

若い人はご存じないでしょうが、1978年に起きた石油危機(第一次)は、それはそれは大変なものだったのです。私は大学1年生でした。トイレットペーパーがなくなることを想像してください。もっとも、トイレットペーパー生産が停止したのでもなく、国民がたくさん使うことになったのでもありません。業者が便乗して値上げを狙って、出荷を抑えたというのが真相のようです。街からネオンサインが消え、暗い夜になりました。ただし、戦時中の物資不足を経験した父と母の世代は、衝撃は少なかったでしょう。

今回のイランとアメリカの戦争で、石油や石油製品の品不足が心配されています。石油危機に懲りて、日本政府は石油の備蓄に取り組みました。そのおかげで、現在のところ、大きな影響は出ていないようです。石油があることが普通の生活になじんだ若者には、なかなか想像がつかないと思います。しかし、少し歴史を遡れば、よく似た事案があります。
世界には石油備蓄が少なく、困っている国もあるようです。日本も余裕ある備蓄があれば、融通することができるのですが。そこまではありませんかね。

最後に「油断大敵」の語源が紹介されます。油がなくなることではないのですね。いつものことながら、執筆者の博学博識ぶりと、公文書を漁ってくる努力には脱帽します。

日本語研究はグローバル化ではない?

2026年5月1日   岡本全勝

4月9日の日経新聞夕刊、グレゴリー・ケズナジャットさんの「グローバル化の言語」から。
・・・大学院を卒業したとき、在留資格を変更した。在学中は「留学生」として滞在していたが、卒業後にこの資格は失効になるので、日本に残って就職する場合はいわゆる就労ビザを取得する必要がある。僕はその頃に新しく導入された「高度専門職」の資格を申請することにした。
高度専門職の在留資格は、審査の結果がポイントによって決められることが特徴だ。ごく簡単に説明すると、国が求める「グローバル」人材の理想像に近いほど点がつく。大学卒業者は10点だが、博士号取得者は30点、30歳未満ならそれだけで15点加算される、年収が高いほど点数が増えるなど、社会人、納税者としての貢献度が数値化されて評価対象になるのだ。

申請時、僕はそれほど若くもなく、年収も微々たるものだったけれど、研究者の場合、論文も評価対象になるので、これでぎりぎり取得できるのではないかと期待した。在学中に発表した、日本近代文学に関する論文のコピーを用意して、他の申請書類とともに入国管理局へ提出した。
ところが係員が予備審査を終えると、ポイントが不足していると伝えてきた。なぜなら、僕の論文は対象外であるからだという。原則として、SCOPUSなどの海外の有名な研究データベースに記録されている論文のみが認められるそうだ・・・

・・・結果として、日本文学の研究者の場合、英語ではなく日本語で研究を行い、国内の学術誌で論文を発表すると、日本の在留資格を申請する際にかえって不利になる。あまりにも不思議な答えで、落胆を通り越して滑稽に思えた。
法務省が意図的に文学などの文系研究の業績を対象外にしたわけではないだろう。高度専門職の資格が創設されたとき、おそらく理系の研究者が想定されていたと思われる。しかし英語で書かれた論文が評価対象になり、日本語で書かれた文系研究の論文が実質対象外になるのは、国のグローバル化に対するアプローチをうまく表象している。
日本でグローバル社会を築き上げる必要性について情熱的に語る声をたびたび耳にする。だがその課題は外国語、とりわけ英語と関連づけられることが多く、日本語の中ですでに行われているグローバル化は往々にして視野に入らない・・・