『アジア時報』11月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第7回「楽園は何処いずこに―戦前の科学技術政策」が載りました。ウェッブで読むことができます。
今回は、10月に2人の方がノーベル賞を受けられたことにあわせて、戦前の科学技術政策についてです。
日本のノーベル賞受賞第1号の湯川秀樹博士と、第2号の朝永振一郎博士が、旧制中学から大学卒業後まで、京都で同じ学校で学んでいたのです。
今回も、いろんな話が載っています。なかなか、知ることができない話です。
明治の初めに、欧米から最先端の科学技術を輸入することに努めました。御雇外国人を迎えることや留学生を送ることでです。その後の科学技術の振興については、知られていません。世界を相手に戦う(それ自体は間違いですが)軍事技術を持つためには、それを支える科学技術が育っている必要があります。政府や大学が、努力したのでしょうね。