富と権力と名誉の分散

10月15日の日経新聞夕刊コラム、プロムナード、岩尾俊兵さんの「富と権力と名誉」から。

・・・不思議なことに、日本社会は富と権力と名誉を一カ所に集中させることを嫌う。富は大企業創業者・経団連企業経営者を頂点とする財界に、権力は内閣総理大臣を頂点とする政・官界に、名誉は人間国宝・文化功労者や日本芸術院・日本学士院を頂点とする文化人にという具合である。どうもこの傾向は日本社会全体にとどまらず、社会を構成するあらゆる小社会や組織にも見られるらしい。

財閥系企業においては、富は大株主の投資銀行や投資ファンドが、権力は社長や会長が、名誉は岩崎家・三井家・住友家といった財閥当主が担っていたりする。某財閥系企業は、今でも取締役になると財閥創業家から綱領を直伝される儀式があるそうだ。
変わったところだと、医療業界でも同様だという。富は美容外科の開業医に、権力は厚生労働省の医系技官または大学病院の医局の長に、名誉はノーベル賞候補に挙がるような大学の研究医に集中するというのである。
大学でも同じだ。富は大学にあまり顔を見せずにテレビで活躍する売れっ子が、権力は学内行政に精通する学長や学部長が、名誉は研究一筋で国際的に活躍する研究者が得ることになる・・・

・・・もしかすると、富と権力と名誉の3つの力を分散させるのは、社会や組織を長生きさせるために日本人が長い歴史の中で考えついた知恵なのかもしれない。
もし富と権力と名誉が一カ所に集まっていると、「あいつらが悪い」という風(ふう)に社会の不満が一カ所に向かい、革命が起きやすくなるだろう。かつてのフランス王国でいえば富も権力も名誉も王侯貴族が独占していたためにフランス革命が起きたし、現代アメリカでは富も権力も名誉も資本家が独占しているので革命前夜の状況にある。しかし、日本のように3つの力が偏在していれば特定の集団を攻撃して革命を起こそうと一致団結しにくいし、3つの力の中で互いに互いを批判し合って内側から現状打破してくれることもある。
もちろん例外もある。あるとき、ある人が「うちは富も、権力も、名誉も妻が握っているんですよ」とぼやいていた。そのボヤキからふと気づいた。そうか、逆なんだ。日本においてこれら3つの力を一カ所に集中させた小社会や組織が短期間に滅びてしまっているだけなんだ、と・・・

この後の笑える話が続きますが、それは原文をお読みください。