9月28日の読売新聞1面コラム「地球を読む」、大竹文雄教授の「外国人受け入れ」から。
・・・今年7月の参院選では外国人労働者の受け入れに慎重で、規制強化を掲げた政党が票を伸ばした。海外では以前から反移民の政党が支持を高め、日本でも外国人労働者の扱いが主要争点になりつつある。
アフリカと国内4都市の交流を促す国際協力機構(JICA)の「アフリカ・ホームタウン事業」は、反対や懸念の声が多く上がり撤回された。
背景には、1990年に1%未満だった日本の外国人の人口比率が昨年は約3%に達し、10%を超える市区町村もあるという急速な日本社会の変化がある。
製造業、介護、物流、農業など人手不足の現場で多くの外国人が働き、地域経済に活力を与える一方で、急激な変化に不安を覚える人々も少なくない。
ただ、経済学の実証研究では、外国人労働者が自国の労働者の雇用や賃金に深刻な悪影響を与えることは観察されていない・・・
・・・・大阪大の五十嵐彰准教授らは、市区町村単位のデータから、外国人比率が上昇すると排外感情が強まるが、10%を超えると逆に寛容さが増える傾向があることを見つけた。接触が日常化すると脅威感が和らぎ、共生意識が高まる可能性を示唆している。
五十嵐氏の著書「可視化される差別」は、外国人差別の実態を多角的に解明した。労働市場や住宅市場、シェアエコノミーについて調査し、同一条件で応募しても外国人名だと不利に扱われることが確認された。
外国人への職務質問を日本人が正当化する背景に、外国人犯罪率を実際より過大に認識していることがあると示した。「差別はなぜ悪いのか」との問いに五十嵐氏は、賃金や教育水準の低下、健康悪化、他者への信頼喪失などの不利益を定量的に示した。
とりわけ興味深いのは、社会規範と人々の態度のズレを明らかにした点だ。回答者への直接質問と匿名性の高い質問の結果を比較したところ、日本では直接質問の方が排外的な回答が多く、匿名性を担保すると寛容な回答が増えたという。海外とは逆のパターンだ。
これは「本音は排外的でない人が、排外的であるべきだという“社会規範”に合わせて回答している可能性」を示している。排外的な発言が目立つ環境が、排外的意見が多数派だと人々に誤認させ、態度表明をゆがめている恐れがある。
これは多元的無知と呼ばれる現象に近い。「周囲は外国人に否定的だ」と人々が思い込み、自分も“社会規範”に従う。結果的に排外的意見が多数派のように見え、社会全体が実際以上に排外的に映る悪循環が生じているかもしれない・・・