故村山富市首相の評伝

村山富市元首相がお亡くなりになりました。各紙が評伝を載せています。10月18日の朝日新聞は、坪井ゆづる・元朝日新聞論説委員の「評伝 戦後50年刻んだ「けじめ」 「なるはずなかった」首相の決意 村山富市さん死去」でした。
各紙とも、首相在任中の功績や、社会党の政策を大転換したことを書いています。坪井さんの記事はそれだけでなく、首相の時の失敗と辞めた後の社会党の運営のまずさについても、客観的に書いています。何をしたかだけでなく、何をしなかったかを評価することは重要なことです、難しいことですが。

・・・在任中に、阪神大震災やオウム真理教事件に見舞われ、初動のまずさを批判された。準備もなく就いた首相の重責を担い切れないさまは痛々しかった。
その後の社会党の衰退を食い止められず、「社会党の葬儀委員長」とも言われた。連合の結成で、労働運動が官主導から民主導へと変質するなか、政策転換が遅れた。そのうえ、自民党の復権に利用された。首相退陣後に、新党結成を唱えたが、自壊する党をまとめきれぬまま、1996年の民主党結党からは、はじき飛ばされた。
もっと幅広い社会民主主義の政党づくりに成功していれば、永田町の光景もずいぶん違っただろう。本人は後年、その責任を痛感し続けていた・・・

私も、細川内閣が瓦解した後、社会党左派だった村山さんたちが、自民党と組んで政権を取ったときには、それこそ仰天しました。社会党右派が自民党と組むのなら、まだ理解できるのですが。左派は、右派の現実路線を散々批判していたのです。「今までの主張と行動は、何だったんだ」と思いました。

私は、阪神・淡路大震災の政府の初動のまずさは、首相に帰されるものではなく、政府と行政機構の責めだと考えています。その後の社会党の消滅については、社会党右派と左派のせめぎ合い、山花貞夫さんの努力と挫折なども含めて分析する必要があるでしょう。