終戦は「アメリカが望んだから」

9月26日の読売新聞夕刊「ああ言えばこう聞く」、加藤聖文・駒澤大学教授の「終戦は「アメリカが望んだから」」から。

・・・日本では、8月15日正午、天皇の声を録音した玉音放送が全国に流れ、戦争が終わったという印象が強い。だが、歴史学者の加藤聖文さん(58)は「1945年8月の時点で、アメリカが戦争終結を望んでいたから終わったのであって、昭和天皇の『聖断』は二義的なものにすぎない」と語る。どういうことなのか・・・

――「中央公論」9月号の加藤さんの論考「帝国旧支配地域で続いた戦闘と抑留」には冒頭から驚きました。〈あくまでも戦争終結の主導権はアメリカ〉にあり、〈敗者には主導権も選択権もない〉と書かれていたからです。
加藤 「聖断」が二義的というのは、「絶対国防圏」だったサイパン島が44年7月に陥落した時点で、天皇が決断したら――と仮定してみるとわかります。あの当時はまだ劣勢とはいえ日本がアジア各地を占領していたので、米国は「終戦は、もっと日本軍の占領地を奪還してから」と考え、日本の講和申し入れを受け入れなかったでしょう。
一方、あの段階で日本が講和を申し出ることができたかといえば、これも無理だった。負けは陸海軍の存亡に関わりますから、どこかで一発逆転してから講和しようという甘い見通しをもつからです。

――実際、日本軍は「一撃講和」にこだわり、戦争を続けた結果、東京をはじめ全国各都市への空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下と犠牲者は一気に増大しました。
加藤 人と人が殺し合う戦争は、国家によって人間の感情をむき出しにさせられる行為です。冷静になってから、「あの時、ああしておけばよかった」と思ったとしても、頭がカッカしている状態での冷静な判断は難しい。

――しかし、8月15日の玉音放送で、米軍の攻撃はやみ、日本軍の武装解除は迅速に進んだ。二義的というより、かなり重要な役割を果たしたのではないでしょうか。
加藤 もちろん、玉音放送の役割は大ですが、基本は、日本の軍事機能を失わせ、戦争目的はほぼ達成したとアメリカが判断したことが戦争終結の決定的要因で、すでにドイツが降伏(45年5月)し、「ナチをやっつけたから、もう戦争は終わりにしたい」というアメリカの世論もこれを後押ししました。
敗者に主導権がない。それは、長崎への原爆投下の直前、45年8月8日に日本に宣戦布告したソ連軍の攻撃が、玉音放送以降も続いたことでも明らかです。ソ連の目的は、南樺太・千島列島の割譲と満州(現中国東北部)における旧帝政ロシアの権益の確保でしたから、それを確実にするまで攻勢を止めなかったのです。