連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第235回「政府の役割の再定義ー現在の政党の機能不全」が、発行されました。前回から、政治主導の時代における、政党と官僚の関係を議論しています。
政党は、政策の束(選挙公約)を示してできるだけ多数の国民の意思を集約し、議員の集団となる多数派を構成し権力の座を目指す仕組みとして、代議制民主主義において不可欠の存在です。憲法に「政党」という言葉が出てこないことが、不思議なくらいです。ところが日本では、政党は「評価の低い」存在です。
官僚主導政治が成果を挙げたことも、その原因でしょう。政治に責任を持っているのは官僚機構であり、与党として自由民主党が、内閣と国会において協働する。一部の野党が報道機関や進歩的な学識者と共に、それを批判するという構図が出来上がったのです。この構図では、確かに政党の存在が薄くなってしまいます。
現在の政党の機能不全の原因は、政党側と社会の側双方にあるようです。前者は、各党の努力(支持者の獲得とそのための政策の提示)の不足であり、後者は、社会の変化と対立軸の複雑化・不明確化です。
まず、政党の努力不足とは、次のようなことです。
その一つ目は、支持者獲得の努力です。55年体制では、農業や自営業、経営者や管理職などを自民党が代表し、労働者や貧困層を社会党が代表しました。政党は支持者を確保し拡大するために、党員の拡大と支持者の取り込みに励みます。自民党は各種の業界団体と友好関係を築き、社会党は労働組合と二人三脚でした。ところが、このような条件はなくなりました。各党は、それに代わる党員確保や支持者獲得のために、組織的努力をしているのでしょうか。戦略的に、下部組織の拡大と党員の確保を行っているようには見えないのです。
政党の努力不足の二つ目は、支持者獲得につながる、一定層に狙いを絞った政策の提示という点です。支持者の確保・拡大のために政策を磨いているようにも見えません。選挙の際に発表される公約は総花的で、国民のどの層・どの地域・どの集団を主に狙っているのかが不明確なのです。