2月2日の朝日新聞オピニオン欄「わかりづらいカタカナ語、なぜ使うの 社会言語学者・井上逸兵さんに聞く」から。
・・・たしかにカタカナ語がよく使われていますね。言葉には、情報伝達のほかに、その言葉を使うことで「自分は何者なのか」を示す機能があります。ビジネスの世界で使われるカタカナ語は、後者の機能を果たしているのではないでしょうか。つまり、顧客や同僚・上司に「私は『イマ風』の仕事の仕方をわかっていますよ」と、自分自身がその分野に詳しい人物であることを示しているのです・・・
・・・カタカナ語を使うのは悪いことではありません。一方で、行政が安易に使うのは問題があります。行政の役割は、必要な情報をわかりやすく万人に伝えることです。意味がわからない言葉を使えば、当然、情報伝達ができない。さらに自分は排除されているという感覚まで生み出してしまう恐れがあります。
特にコロナ禍では、行政のカタカナ語の使用が目立ちました。わかりやすい例で言えば「ステイホーム」といった言葉。日本語だと目新しさを感じないので、注目を集めるという意味では成功したと思います。一方で、老若男女すべての人が意味を理解できたかというと、少し疑問があります・・・
意図の伝達、対話の手段でなく、顕示欲の手段なのですね。高級銘柄品(カタカナ語で言うと「ブランドもの」)を持ち歩く意識と同じです。威信財の一種でしょうか。
とすると、高級銘柄品を持つことが一部の人たちの間では恥ずかしいことと認識されるので、そのような意識が広がると、カタカナ語を使う人も恥ずかしい人と思われるときが来るのでしょうか。いえ、それら高級銘柄品の価値が下がると新しい銘柄を探すように、新しいカタカナ語を使うのでしょうね。