少子化は個人でなく社会問題

8月20日の読売新聞に、猪熊律子・編集委員の「少子化 個人でなく社会問題」が載っていました。参考になります。原文をお読みください。

今後50年の間に人口が毎年平均80万人近く減少するとの将来予測に、「静かなる有事」といわれる少子化がいよいよ「牙をむき始めた」との指摘がある。危機感を強めた政府は「異次元」の少子化対策として、6月に給付拡充策を公表したものの、国民の間に理解が広がっているとはいえない状況だ。少子化の本質とは何か。改めて考えてみたい。

「日本の参考になるのでは」と関係者の間で注目されている政策がある。スウェーデンの経済学者、グンナー・ミュルダールが1930〜40年代に唱えた「予防的社会政策」「消費の社会化」がそれだ。
どんな政策か。
ミュルダール研究で知られる藤田菜々子・名古屋市立大教授によると、スウェーデンでは30年代に出生率が欧州で最低水準にまで落ち込み、「このままではスウェーデン人が消滅する」との危機感が強まった。
国力増強の観点から人口増を求める保守派は、出生率低下は個人主義的エゴイズムのせいだとして、独身者・無子夫婦への課税や、避妊具の販売禁止などの反・産児制限策を主張。一方、出生率低下は生活水準の向上につながると見る社民党支持者は、産児制限を推奨する「新マルサス主義」を支持。国を二分する論争に、第三の道を示したのがミュルダールだ。

彼は、出生率低下の原因は「個人ではなく社会構造にある」と喝破。従来、子どもには「老親の扶養」「労働力の担い手」などの役割が期待されたが、公的年金制度が導入され、女性の労働市場進出も進む中、子を持つことによる経済的負担が増し、個人の選択としては回避すべきものになったと指摘した。しかし、国が出生を強要するのは民主的国家にそぐわないと、保守派を批判した。

個人から見れば合理的な経済行動ともいえる出産回避の「個人的利益」は、国の存続や経済持続などの「集団的利益」と対立する。しかし、公的年金制度の廃止などは現実的ではない。解消策としてミュルダールが提唱したのが、個人の選択の自由は認めつつ、出産・育児に伴う障害を事前に取り除く「予防的社会政策」だった。出産などを理由とした解雇を禁じる政策や、出産手当、育児休業、保育サービスなどがこれに当たる。
対象はすべての子で、子どもにかかる費用は社会全体で賄うこの政策は「消費の社会化」と呼ばれた。子どもへの支援は「人的投資」として本人の生活を豊かにし、労働生産性の上昇を通じて、経済の成長・発展にもつながる・・・