和をもって極端となす

朝日新聞デジタル、磯野真穂さん(人類学者)の「私たちがコロナ禍に出会い直さねばならない理由」(4月19日掲載)から。

・・・私は人類学の観点から、かつて狂牛病と言われたBSE問題、年単位で接種率が低迷した日本脳炎ワクチンやHPVワクチン問題、そしてコロナ禍など、国内で起こった健康をめぐるいくつかのパニックを分析してきた。すると、これらの現象には一つの共通点があることがわかる。
それは、パニックを沈静化させるためにとられた極端な対策が、長期にわたりダラダラと続くことだ。私はこの傾向を「和をもって極端となす」と呼んでいる。

極端な対策により社会の調和がそれなりに取り戻されると、その和を保つことが最優先事項となる。おかしいと感じる人は内部に複数いるものの、波風を立てることを恐れ、あからさまな反対運動には至らない。結果、対策の副作用として深刻な問題が生じても、それは見過ごされたままとなり、対策は漫然と続いていく・・・

・・・さらにバーマンは、中根に加え、政治学者の丸山眞男、心理学者の土居健郎も参照しながらこうも語る。
「日本社会はその仕組みからして、真剣に現状の問い直しを行う機構が備わっておらず、物事が一旦(いったん)ある方向に動き始めると、基本的に行き着く先まで行ってしまうより他ないとする丸山(そして土居と中根)の主張を肯定しておきたい」・・・

祝400万番3

先日400万番の画像を載せました。なんと、400万番を見た人がもう一人おられました。元・秋田県職員の佐藤雅彦さんです。6月8日の18時58分頃だそうです。川崎市と秋田県とで、同時に400万番を見る。こんなこともあるのですね。
佐藤さんはかつて、90万番260万番も取得されました。運のよい方です。

定年後、夫の居場所

朝日新聞くらし欄は、5月21日から「定年クライシス、居場所はどこに」を連載しました。

21日の「「週3日は外に出て」妻は言った」から
・・・「昼ご飯、作りたくない」
滋賀県に住む70代の男性は、妻の言葉に驚いた。60歳で定年を迎えた後、雇用延長で66歳まで働き、退職してから間もないころだった。
専業主婦の妻は、自身の昼ご飯を前夜の残り物やパンで済ませることが多かった。3食分を作るのは、めんどくさいのだろう。「しょうがない」。そう思った。
妻は、続けて言った。「週に3日は外に出てほしい」
こちらは「きつい話だ」と思った。でも、けんかをしても仕方がない。できるだけ外に出るようにした。コンビニで昼食用のおにぎりを2個買い、電車で京都へ。京都御苑や植物園、寺や公園のベンチで昼食をとった。電車賃がかかるから、昼食代は節約せざるを得なかった。
「週3日のノルマ」はきつかった。地域活動や仕事を探しても、趣味に合わなかったり、場所が遠かったり。活動回数が少ないものもあった。最低週1回は活動しないと予定は埋まらない。次第に探す気持ちさえ起きなくなった・・・

24日、加藤伊都子・フェミニストカウンセラーの発言から。
・・・夫の定年後、心身が不調になった女性をカウンセリングしてきました。血圧などの数値の悪化や、自己免疫疾患、うつ症状に陥る人もいます。
世代的に妻は主婦という世帯が多く、お金を自由にできず、自己肯定感が低いなど、妻は弱い立場に置かれがちです。夫婦の上下関係を背景に、夫の在宅がストレスになってしまう。定年は関係性のひずみを顕在化させます・・・
・・・男性の中には「ふんぞり返ってきたつもりはない」という人もいるでしょう。でも外出の際、妻は見送ってくれても、自分が見送ったことはありましたか。無自覚に妻からのケアやサービスを享受してきた面はないでしょうか・・・

原沢修一・キャリアコンサルタントの発言から。
・・・ 定年を機に右往左往する男性と、ぎくしゃくしがちな夫婦関係を見つめてきました。
夫の定年を機にうつ状態になった2人の女性を知っています。1人は、外出しようとするたび、夫が「どこへいくんだ」「おれの夕飯は」と質問攻めにする。もう1人の夫は「時計が遅れている」「トイレの紙がない」と延々ダメ出しして、自分は何もしない。
外で働いてきた男性たちは、家事や育児の大変さを理解せず、妻を長く下に見てきたのではないでしょうか。
象徴的なのは「ありがとう」「ごめんなさい」を素直に言えないこと。上司には抵抗なく謝罪できるのに、妻にはできない・・・

西洋社会を学ぶ意味

岩波書店の宣伝誌『図書』6月号に、前田健太郎・東大教授が「西洋社会を学ぶ意味」を書いておられます。ウエッブで読むことができます。一部を抜粋します。

・・・日本の政治学において、西洋由来の理論が持つ存在感は大きい・・・政治学の教科書に掲載されているのも、大部分は欧米の研究者の提唱した学説である。マルクス主義、多元主義、合理的選択理論、ジェンダー論など様々な理論が輸入されては、日本の政治の分析に用いられてきた。
それを、奇妙に感じる人もいるだろう。日本列島から何千キロも離れ、歴史や文化も異なる土地で作られた理論を、なぜ自国の政治に当てはめるのか。それは、世界を西洋とそれ以外に二分し、前者の後者に対する優位を唱える西洋中心主義の発想ではないか、と。こうした批判は、より日本に根ざした政治学を目指す動きへとつながる。
だが、そこには悩ましい問題が待ち受けている。現代の日本において、欧米の政治学の影響を受けていない理論など、ほぼ存在しない・・・

・・・欧米の社会科学は、西洋社会を分析の対象としている。このことは、日本の政治学のあり方を考える上で、無視できない意味を持つ。というのも、その視点を素直に取り入れるのであれば、欧米の政治学の理論を用いて日本の政治を分析する発想にはなるまい。むしろ、まず日本列島を取り巻く東アジアという地域の成り立ちを考え、その中での日本の位置づけを探ることになるだろう。
ところが、ここで重要な問題に気づく。それは、日本の政治学における東アジアへの関心の低さである・・・キリスト教や啓蒙思想は登場しても仏教や儒教は登場せず、近代官僚制は解説されても科挙制度は解説されず、ウェストファリア体制が出てきても冊封体制は出てこないのが一般的である。
これは不思議なことではないだろうか。七世紀に律令制を取り入れて以来、日本列島の支配者たちは、中国大陸や朝鮮半島に興った政治権力との間で様々な関係を取り結び、その下で政治制度を作り上げてきた。政治学の教科書の中で、この基本的な事実に言及がないというのは、あたかも絶対王政や身分制議会に触れることなく欧米諸国における政治制度の成立を説明するようなものだろう。

西洋の学問を学び、自国の分析に取り入れることは、一見すると開明的であり、先進的である。だが、日本には一九世紀後半の「脱亜入欧」の時代以来、自国を西洋の一部に含め、東アジアに背を向けるという、一風変わった自国中心主義があった。欧米の政治学を自国に当てはめつつ、東アジアを視野の外に置くという態度は、それとよく似ている。
かつては、それを方法論的に正当化することも可能であった。日本は、社会経済的な条件や政治制度が周辺諸国とは大きく異なっていたからである。例えば、一九八〇年代までの東アジアでは、複数の政党が自由に競争する政治体制は日本以外に存在せず、産業化の程度にも大きな差があった。そうであれば、欧米諸国の方が日本との共通点が多く、比較しやすいという議論も成り立ち得ただろう。
だが、木宮正史『日韓関係史』(岩波新書、二〇二一年)が韓国の事例に関して指摘するように、「失われた三〇年」とも呼ばれる日本の経済的な停滞が続く中で、従来の前提条件は大きく変容した。台湾と韓国は一九九〇年代にかけて民主化を成し遂げ、今や経済発展の水準も日本と同等である。他方で、独裁体制が続く中国でも急速な経済発展が進み、少子高齢化など日本と似た社会問題を抱えている。その意味で、未だに経済発展の水準の低い北朝鮮は例外としても、東アジア諸国を日本の比較対象から除外することはもはや正当化しにくい。むしろ、今や改めて日本を東アジアの国として位置づける条件が整ったともいえよう・・・

明治以来、日本は「脱亜入欧」を目指してきました。当初はそれでよかったのでしょうが。その結果、大きな間違いを犯しました。一つは、アジアで戦争をしたこと、植民地を持ったことです。もう一つは、アジアに「友達」を作ることができませんでした。アジア各国が貧しく、日本だけが豊かな時代は、それらが「隠れていた」(相手の国は意識していました)のですが、各国が経済力をつけたことで、その問題があからさまになりました。

その場しのぎの繰り返し

5月27日の朝日新聞オピニオン欄、大月規義・編集委員の「続く「その場しのぎ」回るツケ」から。

・・・汚染水と、放射性物質をおおむね抜き取った処理水は、地上タンクにため続けた。13年にはタンクからの水漏れが問題になる。それでも安倍晋三首相(当時)は、汚染水の状況を「アンダーコントロール」と世界に発信した。地元は現実との違いに落胆した。
そんな国と東電が、建屋に入る前の地下水を海に流すために漁業者の説得に使ったのが、処理水は「関係者の理解なしには処分しない」という15年の約束だ。実際は、タンクが敷地に満杯になるまでには「理解」が進むだろうという楽観に過ぎなかった。
3年後には処理水に、取り除かれているはずのストロンチウムなどが基準を超えて含まれていることが発覚。東電は情報をホームページには載せていたと釈明したが、処理問題を話し合う国の会議では説明を省いていた。信頼や理解が地元に根付かないのは、こうした経緯があるためだ。

当座をしのぐ対応は、他にもある。福島県内の除染で出た汚染土を、国は原発近くの双葉、大熊両町の中間貯蔵施設にためている。当初は最終処分場にするはずだったが、「中間貯蔵」と言い換え、「30年後に県外に運び出す」と約束し2町を説得した。その後、除染土の県外搬出は法律に明記されたが、見通しは全く立たない。
国は各地で原発の再稼働や新増設を進めようとしている。だが、増え続ける高レベル放射性廃棄物の処理など、深刻な問題から目をそらし続けた。そのツケが必ずどこかに回ってくることは、福島の現実が示している・・・