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道化師政治家

2022年3月20日   岡本全勝

3月5日の朝日新聞オピニオン欄、フランスの作家クリスチャン・サルモンさんへのインタビュー「幅利かす道化師政治家」から。
・・・トランプ前米大統領やジョンソン英首相ら、政策を語るよりも騒ぎを繰り返す政治指導者が、なぜか人気を集める。沈滞した既存の政治を転覆させる道化師のような政治家を人々が求めているからだと、フランスの作家クリスチャン・サルモンさんはみる。その道化師を、情報技術を駆使するエンジニアが操る時代なのだという・・・

――扇動や挑発を繰り返す政治家が、今の世にはばかります。なぜこうなったのでしょうか。
「多くの政治家が新型コロナ対策で右往左往しているだけに、トランプ氏やジョンソン氏、ブラジルのボルソナーロ大統領といった傍若無人な首脳の言動は、確かに目立ちます。トランプ氏はツイートをばらまき、ジョンソン氏はジョークを連発し、ボルソナーロ氏は勝手な予言を繰り返す。大げさで、人々をからかい、ののしる姿は、まるで道化師(ピエロ)が政権を握ったかのようです」
「ナチス・ドイツはイデオロギーで人々を扇動しましたが、トランプ氏らの扇動には理念の一貫性などありません。流動的な世界を巧みに渡り歩き、デジタル空間に散らばって浮遊する人々の意識を、自ら騒ぐことによって結集する。『偉大な米国』『英国の主権』といった幻想を利用して、集団をまとめようと狙うのです」
「世の中のインテリやリベラルは、あんな道化師のどこがいいのかと批判しますが、全然わかっていない。道化師であることこそが、今や政治家の成功の秘訣となったのですから」

――まじめに政策を議論する政治は、お呼びでないと。
「例えば、フランスのマクロン大統領のような政治家は、将来に希望を持てる肯定的な世界観を築こうとしていますが、あまりうまくいってません。これに対し、道化師政治家はこれまでの政治を徹底的に否定して、政治不信を高めることに成功しました。左右両派の政治に失望し、既存の政治を否定する極端な主張や陰謀論に流れた一部の有権者の意識を引きつけたのです。現代の政治運動は、民主的な議論からではなく、このような不信感から生まれます」
「支持者らは、道化師政治家を『真実を語る』などと礼賛します。でも『政治家は信頼できない』という政治家が信頼を得るのは、大いなる逆説ですね」

「ただ、道化師政治家だけだと注目を集めることはできても、大衆を動員することはできません。道化師の背後には必ず、アルゴリズムを駆使して戦略を立てるエンジニアが控え、デジタル空間での支持拡大をもくろんでいます。大量のデータを分析し、例えば政策をテーマにしたオンラインゲームを開催して若者の関心を引きつけるなどします」

――2008年にあなたにインタビューをした際、戦後の政治指導者を3段階に分類されたのが印象に残っています。国家の枠組みをつくったチャーチル英首相やドゴール仏大統領ら「国父の時代」が第1世代、石油危機以降の経済を支えたシュミット西独首相ら第2世代の「専門家の時代」、自らの軽薄な成功物語を語ることで人気を集めるサルコジ仏大統領やブレア英首相ら第3世代の「ストーリーテラーの時代」です。今は第4世代ですか。
「むしろ第5世代でしょう。ストーリーテラーの時代は、2008年から本格化した金融危機とともに去り、その被害を査定するオランド仏大統領ら『会計士の時代』に移りました。その後に到来したのが『道化師の時代』です」
「そこにはもう、民主的な手法で政策論争をしたり、首尾一貫した統治を政府が進めたりする姿はありません。かつて政治を語り合ったアゴラ(広場)はアルゴリズムに、政党はポピュリズム運動に、取って代わられました。理念が入り乱れ、イタリアでは右翼と左翼が政権をつくった例もある。もはや『政治』とは呼べない『ポスト政治』の時代。政治家は有権者に選ばれたはずなのに、全く正統性を持ち得なくなりました」
「私たちは、あらゆる政治の指標をブラックホールに投げ込んだあげく、自らもそこに吸い込まれてしまったのです。政治不信の渦は、渦自体ものみ込みました」

司馬遼太郎『ロシアについて』

2022年3月19日   岡本全勝

新宿紀伊国屋に行ったら、ロシアや戦争に関する棚が設けられていました。その中に、司馬遼太郎著『ロシアについて 北方の原形』(1989年、文春文庫)がありました。司馬さんの一連の「街道を行く」はかなり読んだのですが、これは「あれ、まだ読んでいなかったよな」と思い、買いました。

いつもながら、広い視野と具体の事例と、そして司馬さんの語り口で読みやすく勉強になりました。
ロシア(これが書かれた当時はソ連)について書かれたものではありません。日本との関係、特にシベリアや千島、そして日本がロシアから見てどう見えるかです。そこに、司馬さんの得意であるモンゴルと満州の歴史と位置が入ります。「この国のかたち」という言葉は使っておられませんが、ロシアの特質を鋭く指摘されます。

シベリアを領土にしたのはよいのですが、ツンドラの大地は生産性が低く、その維持に金がかかります。本体以上の領土を持ち、それを維持しようと軍隊を持つと、それに振り回されます。戦前の日本と同じです。尻尾が胴体を振り回し、本体をも腐食するのです。その点、かつてのイギリスは、(善悪は別として)その海外領土経営能力は大したものです。

ところで、ラマ教がどのような影響を持っていたかも、初めて知りました。ラマ教が夫婦和合を唱えることは知っていましたが、僧が初夜権を持っていて、その過程で性病を感染させたこともあったそうです。

集中できる机の上

2022年3月19日   岡本全勝

3月5日の日経新聞「すっきり生活」は「ロジカル片付け術 集中力を高める部屋にするには」でした。

・・・長引く新型コロナウイルス禍で、テレワークに集中できないという悩みをよく聞く。家族が気になる、誘惑に負けてしまうなど理由は様々。集中力を高める部屋づくりのコツを紹介しよう。

あなたのデスクの写真を撮ってほしい。何種類のモノが写っているだろうか。積ん読している本、未処理の書類、ぎっしり詰まったペン立て……。デスクはモノ置き場ではなく作業場であり、余白があるほど集中できる。もし「今週1度も触っていない」アイテムが机の上に1つでも乗っていたら注意したい。
人が視覚刺激を処理するとき、ボトムアップ型注意とトップダウン型注意が相互に働いているという。このうちボトムアップ型注意は、自らの意志と関係なく、目に入った刺激から潜在的に働くもの。デスク上に散らかった荷物は、意図せずともあなたの潜在意識に入り込んでしまう。

ボトムアップ刺激の中でも特に厄介なのが、未完了のタスクを想起させるモノだ。米国の心理学者、リンダ・サバディン博士は著書の中で「先延ばしは人の自尊心を傷つけ、想像のエネルギーを奪う」と述べている。参考書や自己啓発本を、背表紙が見える形でズラっと並べている人は要注意。手元では精緻な経理処理をしながら、心の中では資格試験の勉強が進まないことを憂いているといったことになりかねない。これでは目の前の処理をミスしたり、やる気がそがれたりして当然だ・・・

・・・もちろん家中を整理整頓するのがベストではあるが、完璧に仕上げるには最低で30時間の作業が必要。時間がない人は、まずは気になるモノから順に、視界から消してみよう。ポイントは3秒以内に視界から消せる仕組みをつくること。部屋着をいちいち畳んでタンスにしまったり、洗濯機に入れたりするルールは、面倒すぎて三日坊主を招く。リビングに置いた大きめのカゴに投げ入れておいて、仕事が終わったあとにまとめて処理すればよい。
漫画やゲームはフタ付のケースにしまう。山積みの書類はリマインダーをセットしてファイルに。原始的ではあるが、視覚から物理的に消してしまうことで、集中力は驚くほど高まる。だまされたと思って試してみてほしい・・・

これは、役に立ちます。原文をお読みください。

連載「公共を創る」112回

2022年3月18日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第112回「倫理や社会意識、議論する場は?」が、発行されました。
国家(政府)はどこまで、どのようにして社会に介入するかを考えています。その際に、「公共秩序の形成と維持」「国民生活の向上」「この国のかたちの設定」の三つの分野で議論しました。

このような議論を展開しているのは、これまでの政治学、行政学、経済学が、このような議論をしていないからです。これらの学問は現状を説明しますが、これからの未来像を提示してくれません。国民が政府に期待していることは、これだけでしょうか。現在の日本社会の不安である「格差」「孤独と孤立」「沈滞と憂鬱」に、政府も社会も応えていません。
国民に活力と安心を与える、その条件をつくるためには、政府と社会は何をすべきか。それを議論したいのです。

「学問は価値判断を避けるべきだ」という主張(価値中立)は分かりますが、それは分析の際に保つべき態度であって、「これからの社会をどのようにするべきか」は価値判断を避けて通ることはできません。
そして、そのような未来像を、どのような手続きでつくっていくかも問題です。国民生活の不安を扱う役所はありません。また、行政だけに任せるわけには生きません。

内申書のあり方

2022年3月18日   岡本全勝

3月4日の朝日新聞オピニオン欄「内申書と「態度」の評価」、柳沢幸雄・北鎌倉女子学園学園長の発言から。

・・・米国の学校にも日本の調査書(内申書)のように、志望校に出す成績表と推薦状の仕組みがあります。ただ、日本と違うのは、成績表は学校の署名、推薦状は個人の署名で書かれている点です。
米国の推薦状の場合には、生徒が自分を評価するのに適していると思う人に推薦状を依頼します。推薦状が信頼されるか否かは、何より推薦者が教育のプロとして認められているかにかかっています。書く側が、個人として中身に責任を負っているのです。

日本の調査書は、多くの場合は本人に公開されず、組織の匿名性の中に逃げ込んでいる。「受験戦争が過熱するなかで、生徒が日頃の努力で報われるように」「素質をよく知る人が評価して次の学校に伝える」という理念や、うたい文句はきれいですが、調査書の実態がそうなっていないのが問題です。評価する側が、筆先だけでいろいろ書けてしまう現状では、信頼性が乏しいのです。
態度を評価する時、これで人物の行動を評価できるというような標準的なパターンはありません。なぜなら、生徒は千差万別だから。特に思春期の成長は長い目で、流れとしてみることが大事です。それをあえて評価するというのなら、書く側がプロとして、個人の責任を明確にすることが非常に重要になります。

そもそも態度を評価して何をしたいのか。型にはめるような教育で生まれるのは「空気が読める」若者です。この場では手を挙げた方がいい。目をらんらんと輝かせて、聞いているような顔をした方がいい。その結果、滅私奉公の人間ができあがります・・・