1月4日の日経新聞オピニオン欄、上杉素直・コメンテーターの「賢い支出へPDCA回せ コロナ対策で見えた欠落」から。
・・・この2年、日本の政策運営にはいくつもの疑問符がついた。先の読めないパンデミックに対処するのはたしかに難しい。だが、四半期ベースで2度もマイナス成長に陥った21年は残念ながら、同じ災禍からの回復をたどる米欧の国々との差が歴然とした。
なぜ彼我の差はついたのか。人々の価値観に視点を当てた仲田泰祐東大准教授の研究は興味深い。「経済をもう少し回すこと」と「感染をもう少し抑制すること」は一定条件下でトレードオフの関係になる。そして、そのバランスをいかにとるかは社会の価値観を反映するのだそうだ。
そんな前提で「コロナ死者数を1人減少させるためにどの程度の経済的犠牲を払いたいか」を試算すると、日本は約20億円に届く。米国の約1億円、英国の約0.5億円より高い(21年12月3日付日本経済新聞朝刊「経済教室」)。何十倍の違いを知ると、日本経済の低迷が必然とも受け取れる。
行政の構造問題も絡む。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会に経済学者を代表して参加した小林慶一郎慶大教授は縦割りの弊害が根っこにあると指摘する。自分たちの内輪の論理にこだわってさまざまな対策に取り組む厚生労働省は典型という。
そこに公衆衛生や医療の課題と経済活動への影響をトータルで捉える視点は生まれない。小林氏は「感染が増えても経済を回そうとは言いにくかった」と振り返る。結果としてコロナ死を減らすことに偏重し、膨大なコストを費やしたという反省は、仲田氏の分析とも重なり合ってくる・・・
・・・もう一つの不安はより深刻かもしれない。「C(点検)」は十分なのかという問いだ。
会計検査院が先の報告で取り上げたのは、19~20年度に予算が措置された5つのコロナ対策だ。総額77兆円が各省庁の854の事業へ投じられた。ところが、検査院がその使われ方を分析できたのは770事業にとどまる。
事業によってはコロナ対策とそれ以外の予算が混ざってしまい、使われ方を分別して調べることができないらしい。裏を返せば、コロナ対策と銘打った歳出が最終的にどう使われたかについて、全体図は示せていない。「C(点検)」が不完全なら、「A(改善)」だって期待しにくい。
いま学ぶべき先例は11年の東日本大震災への対応だろう。3月11日の震災発生から3カ月余りで基本法を成立させ、復興にまつわる歳出と歳入を複数年にまたがってパッケージで管理する仕組みを整えた。収支の全体像が明確になり、復興を我がことと捉える土台になったのではないか。
政府がまとめた22年度予算案はいわば新たな「P(計画)」。過去最大の中身は適切か、21年度補正予算と連なる「16カ月予算」の効果は見込めるか、国会などでしっかり論じてもらいたい。
そして併せて、国の政策を研ぎ澄ます検証プロセスや仕掛けづくりにも目をやりたい。そうした土台があってこそ、財政の賢さが育まれていくのではないか・・・