Web日本評論、竹田伸也・鳥取大学教授の「みんなのストレス波乗り術」第12回・最終回「できる範囲で力を届ける」から。
・・・世の中から余裕がなくなり、なおかつ自己責任という論理が幅を利かすと、コミュニティにある変化が起こります。それは、「率先して責任を背負おうとする人が少なくなる」ということです。
あなたに思い返していただきたい日常風景があります。
あなたが今いるコミュニティ。職場でも地域でも家庭でも学校でもなんでもかまいません。そのコミュニティには、率先して責任を背負おうとする人が、ご自分を含めてどの程度いますか? コミュニティにそういう人がどの程度いるかを、次の3つの視点で評価してみてください。
1点目は、「役割の決まっていない仕事を自発的に担う人が一定数いるかどうか」です。コミュニティの務めには「これは誰々さんの役割」と決まっていないようなものがたくさんありますね。たとえば、切れかかった電球を交換するとか、床に落ちているゴミを拾うとか。そうした、誰の役割か決まっていない務めは、そのコミュニティにいる人々の自発的な取り組みで処理されることがほとんどです。なので、率先して責任を背負おうとする人が少なくなると、そのコミュニティは見た目から荒れ始めます。
2点目は、「配慮の必要な人に対して手を差し伸べる人が一定数いるかどうか」です。なんらかの障がいを抱えているせいで、障がいを持たない人と比べて特定の務めに十全に力を発揮できない人がいます。そうした人がいた場合、その人の力を補って動こうとする人がどの程度いるかが、これにあたります。あるいは、特定の人――この場合の特定の人とは、責任感の強い人です――に仕事がどんどんたまっているのに、周りの人はその人から仕事をもらったり、一緒に抱えたりしようとしない。これなんかも、配慮が必要な人に対して手を差し伸べない状態といえます。
3点目は、「会議などみんなで意思決定する場面で建設的な発言をする人が一定数いるかどうか」です。コミュニティをどのような場として成長させるかは、そのコミュニティに属する構成員みんなの責任です。にもかかわらず、会議ではほとんど発言しない。あるいは、発言しても大きな声で誰かやなにかの批判ばかりして、建設的な意見を出さない。一方で、陰ではあれこれと悪口が飛び交っている。こうした状態も、率先して責任を背負おうとしない人が多いコミュニティといえます・・・