8月5日の朝日新聞オピニオン欄「夫婦別姓、国会か司法か」が、国民の間の異なる価値観を、どのように統合するかです。予算査定のように「足して二で割ることができない」ことも多いです。どれか一つに決めなければならない場合もあります。
・・・夫婦の姓を同じにしなければ結婚できない今の制度について、最高裁大法廷は2015年に続いて再び、憲法に違反しないと判断した。決定は「制度のあり方を考えるのは国会だ」としてボールを国会側に投げた。決めるのは国会か、それとも司法か。ボールはどこにあるのか・・・
価値観の違い、どうあるべきかの判断は、それぞれの利害得失をあげることはできますが、それを秤にかけることはできません。そして、理論では決まりません。
ここで問われているのは、その決定を国会がするのか、裁判所がするのかということです。国民の代表であり、唯一の立法機関である国会が、国内の異論の決着をつける場所です。国会が決めない、それが憲法に違反するなら、裁判所の出番でしょう。アメリカでは、しばしば最高裁が判断を下すことがあるようです。
子どもの臓器移植の家族同意について、2009年法改正を総理秘書官として官邸から見ていました。行政府の長として総理はどのような立場に置かれるかを考えていたのです。自民党も党議拘束をかけず、議員個人の判断に任せたと記憶しています。「生命倫理をどう議論するか」