奥井智之先生の「不特定多数で「社会の敵」を叩く“祭り”が、ネット上で発生するそもそもの理由」には、次のような指摘もあります。「ネット記事のコメント欄とSNSのはかなさ」
・・・今回のコロナ禍の下で、人々は、たえず身体的距離をとるように求められてきた。
「社会的距離(social distance)」は、本来、人々の親密度を測る指標である(家族のメンバーは遠くにいても、その「社会的距離」は近いのが普通である)。したがって、ここでは、「社会的距離」と「身体的距離」を区分する。
理論的には、「身体的距離」を取ったからといって、「社会的距離」が広がるわけではない。しかし、「身体的距離」の拡大は、「社会的距離」の拡大のリスクを、つねにともなっている。それが、コロナ禍の下で、わたしたちが直面してきた、根源的な危機である・・・
連載「公共を創る」で、孤立を書いているところです。そこでは、孤立しないように他人や社会とのつながりの重要性を指摘しています。
先生の指摘にもあるように、ソーシャル・ディスタンスは、本来は社会的距離であって、人の親密度です。ウイルス感染を防止するために他人との間に距離を置くことは、物理的距離や身体的距離です。家族や友達とは遠く離れていても、社会的距離は近いです。
「ソーシャル・ディスタンスをとる」では、「他人との社会的つながりを断ちましょう」という意味になってしまいます。よもや「家に引きこもって、他人との連絡も絶ちましょう」と呼びかけているのではないでしょう。
「距離を取りましょう」「間隔を空けましょう」では、なぜいけないのでしょうか。