5月4日の日経新聞経済教室、亀井善太郎・立教大学特任教授の「独立財政機関を通じ可視化 将来世代の負担を考える」から。
・・・多様性を有する一人ひとりにより構成される社会は、個人の自由や尊厳をその基盤に置くが、その一方で国家や社会として一つの意思決定に至らねばならない時がある。主権者であるそれぞれの国民の考えを踏まえて、いかなる方法で実現するか、これこそが統治機構のデザインである。
昭和の終わりから平成にかけての選挙制度改革や橋本行革をはじめとする一連の統治機構改革は、その後の政治を形作った。外交や安全保障では成果もみられたが、当初意図された政治への信頼回復、さらには成熟化社会や厳しさを増す国際情勢に対応できる存在感ある政治に至るには、まだ多くの課題を抱えている。
課題の一つが将来世代、すなわちまだ生まれていない人々の視点の欠如だ。彼らは当然、投票権もないし、発言もできない。予算の決定といった現在の選択は、将来世代が背負う債務に影響を及ぼし、その返済を担う彼らにとっての選択肢を狭める。だがこうした懸念について、世論からも政治からも問題提起がなされない状態が続いている・・・
・・・平成期以降の政治を振り返れば、長期の課題を直視せず、先送りする短期志向の政策決定もしばしばみられた。また政府による事前予測がその後実績とかい離しても、エビデンス(証拠)に基づく十分な検証と説明がされてこなかった。これも統治機構改革に残された課題と無縁ではあるまい。
平成の統治機構改革では、従来の各省庁・官僚主導によるボトムアップ・コンセンサス(合意)型の統治機構からの脱却が進んだ。そして主権者である国民の選択を駆動力にして内閣を統治機構の主体とし、「国務を総理する」内閣の高度の統治・政治の作用を重視した、いわゆるウエストミンスター型議院内閣制への転換がなされた。
その成否については様々な議論があるが、日本を取り巻く状況を考えれば、国民の選択を駆動力にした内閣主導の統治機構という大きな方向性の転換はあり得ない。むしろこの間に見えてきた課題を踏まえ、さらなる改革に挑む「統治機構改革2.0」が求められる。その主眼は、内閣では統治機構の中核を担うチーム確立の安定化、官僚機構では専門性の回復となる・・・
次世代の視点を統治機構に組み込む主張については、原文をお読みください。