吉川浩満著「理不尽な進化 ――遺伝子と運のあいだ 」(2021年、ちくま文庫)が勉強になりました。進化論を扱っていますが、進化論を素材とした、学問(科学)のあり方といったら良いでしょうか。1冊の本にいくつもの論点、それもかなり深遠な論点が含まれていて、紹介するのは難しいのです。2冊か3冊に分けた方が、著者の主張がわかりやすかったでしょう。
これまで、地上に現れた生物種のうち、99.9%が絶滅したと推測されています。適者生存の進化論は、環境に適合した生物だけが生き残ると説明しますが、ではなぜ、99.9%もの種が現れて消えていったのか。種が絶滅する型には、3種類あります。
1 競争に負ける。これは適者生存の考えに一番沿っています。
2 絨毯爆撃に遭う。巨大隕石の衝突です。
3 理不尽。環境に適合したのに、その環境が突然変わってしまった。2の隕石衝突に近いのですが、隕石衝突で「支配者だった」恐竜たちは滅んだのに、「日陰者」だったほ乳類の祖先は生き延びたのです。たまたま生き延び、支配者たちがいなくなった世界で発展します。そしてこの「理不尽」が、重要な役割を担っていたのです。
進化論の言う「自然選択」は、環境に適合した生物だけが生き残る。生き残った生物が環境に適合していた。それでは同語反復ではないか。その通りなのです。
私たちは、進化論の適者生存を、人間社会にも適用します。「競争に勝ち残るために、改革しなければならない」というようにです。しかし、「理不尽な絶滅」を理解すると、このような適用は正確ではありません。「強者生存」「優勝劣敗」も、進化論では間違いです。でも、よく使いますよね。
その背景は、「キリンは高いところの木の葉を食べるために首が長くなった」というような、生物はある目的に向かって前進的に変わっていくという「発展論的進化論」に、私たちは陥りがちで、惹かれるからです。
ところで、進化論には、2つの原則があります。「生命の樹(共通祖先説)」と「自然淘汰説」です。でも、生命の樹の方は、余り認識されていません。
グールドの「ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語」(1993年、早川書房)を読んだときの、驚きとわくわく感は、今でも覚えています。奇妙奇天烈な形をした動物には、驚きました。4月18日のNHK「ダーウィンが来た」でも、アノマロカリスを取り上げていました。この項続く。