年別アーカイブ:2020年

幅広い人脈作り

2020年5月9日   岡本全勝

日本経済新聞夕刊「人間発見」5月7日から、前田匡史・国際協力銀行総裁の「出すぎる杭 世界を駆ける」です。第1回目から。

・・・昨年度の海外出張は15カ国へ計116日。年の3分の1は海外にいます。直近はインドネシア、中国と飛び、スイスでは世界経済フォーラム(WEF)のダボス会議で登壇。その後、米ワシントンとメキシコに向かいました。米国産の天然ガスをメキシコ湾経由でアジアに運ぶ構想を協議しました。
トップになっても人と直接会うことを大事にしています。ワシントンではトランプ氏の娘婿クシュナー上級顧問をホワイトハウスに訪ねました。大統領の信頼が厚く重要案件を差配するさまを目の当たりにしました。
2度のワシントン駐在で築いた人脈のおかげでトランプ政権にも知人が多くいます。少し前に大統領の長男、ドナルド・トランプ・ジュニア氏とも食事しました。トランプタワーに住む旧知のインド人の仲介です・・・

・・・守備範囲を超えると言われそうですが、若いころ「出る杭は打たれるが、出すぎる杭は打たれない」と励ましてくれた先輩がいました。おかげで保守的な銀行にあって型にはまらず、世界中にネットワークを張ることができました。日本の情報収集力や発信力はまだ十分ではありません。自分が役に立てることもあると思っています・・・

朝日新聞のウエッブ言論サイト「論座」、牧野愛博・朝日新聞編集委員の「岡本行夫さんが遺した言葉」(2020年5月8日)に、次のような文章があります。
・・・岡本さんも1991年までは外交官であり、公僕であった。ただ、当時から異色の外交官と言われていた。
外務省の後輩の1人から岡本さんらしい逸話を聞いたことがある。北米一課長時代、岡本さんはいつも外出していた。記者はもちろん、外務省の同僚たちも岡本さんを探し回っていた。外部で政治家や外交官、様々な人と会っていたらしい。岡本さんは課長席に背広をいつもかけておき、「在庁中」というアリバイを作っていたという・・・

今どきの夫婦茶碗

2020年5月9日   岡本全勝

長年使っていた湯飲みにひびが入ったので、新しいのに取り替えました。かつて講演に行ったときに、お土産にいただいた夫婦茶碗があったので、それを出しました。
その夫婦茶碗は、当地の名物の焼き物です。いただいたときに(箱に入っているので中身を見ずに)、「大きさは同じですか。大小があるのですか」と聞いたら、「大小があります」との答えでした。「男女共同参画の時代に、同じ大きさでないのは、時代遅れですよ」と申し上げました。

使おうと思って箱から出したら、確かに2つの大きさが違います。黒っぽいのが小さくて、赤いのが大きいのです。で、小さい方を私のにしました。最近の夫婦茶碗は、女性上位になっているようです。
それとも、わが家の力関係を知っていて、この組み合わせを選んでくれたのでしょうか。まさか。

赤いのを女性用と決めるのが、間違いかもしれませんが。そのように、なじんでいます。公共のお手洗いなども、そのような表示ですよね。

追悼、岡本行夫さん

2020年5月8日   岡本全勝

岡本行夫さんが、お亡くなりになりました。
ニュースを聞いたときは、「嘘だろう」「誤報であって欲しい」と思いました。岡本さんの業績は、各紙が伝えているとおりです。ここでは、個人的な思い出を書かせてください。

私は、湾岸戦争の時の官僚らしからぬご活躍(砂漠で活動する日本製四輪駆動車を手配すること)から、尊敬しました。東日本大震災では、「希望の烽火」でその発想力と実行力に驚かされました
その頃から、親しくしていただきました。仕事でも、励ましてもらいました。大先輩に褒められ、評価してもらえることは、とてもうれしかったです。後輩を育てようという、親心だったのでしょう。

私とは10歳違い、また外交と内政と畑が違うのですが、とてもかわいがっていただきました。海に音楽にと、いろんなことに誘ってもらいました。
異業種の先輩たちがたくさんおられる会合で、突然「全勝さん、あいさつしてよ」とご指名を受けました。そんなときに、私は勝手に「行夫の弟です」と名乗っていました。行夫さんも、「似てない弟です」と笑っておられました。

2月から、春陽堂のウエッブ小説に、「スーパーフィッシュと老ダイバー」を連載しておられました。初めての小説で、長年撮影してきた海中と陸上の写真を入れる「フォト小説」とのことでした。「見るように」とのご指示がきて、きれいな写真とともに楽しみにしていました。行夫さんにしか書けないような、内容です。

ややはにかんだような、相手に気配りをした話しかけ方。大先輩とは思えない物腰に、ついつい甘えてしまいました。高倉健さんに似た男前。広い視野と冷静な考察、そして熱血漢。時差をものともせず、また夜遅くでも元気な体力だったのに。
もう、お目にかかれないかと思うと、残念です。ご冥福をお祈りします。

在宅勤務が変える仕事の仕方4

2020年5月7日   岡本全勝

在宅勤務が変える仕事の仕方」の続きです。会社や役所で、在宅勤務が行われています。なかなか踏ん切りがつかなかった職場も、今回のコロナウィルス対策で、踏み切ったところも多いようです。これをきっかけに、在宅勤務や仕事の仕方の見直しが進むとよいですね。

在宅勤務をやってみると、いろいろなことが見えてきます。
1 向いている仕事と向いていない仕事がある。
新聞記者さんは、記事はどこでも書けて、本社に送ることができるそうですが、肝心の人に会っての取材ができないのだそうです。
事務職の仕事(デスクワーク)の多くは、自宅勤務もできないことはないけど、すべてができるわけではありません。
例えば翻訳や執筆は、どこでもできます。接客業は、客と会わないと仕事になりません。事務職は、この仕事の混合なのでしょう。

2 仕事の仕分けが進む
すると、家でもできる仕事と、そうでない仕事の振り分けが進みます。
それはまた、1日自宅にいて、何ができたか。その成果を上司に報告しなければならなくなります。その前提は、上司が部下に「明日はこれとこれをしてください」と指示を出すことです。指示がない場合は、家で寝ていてもよいことになります。
無駄な仕事が減るでしょう。特に会議です。

3 労働者の評価が進む。
自宅勤務が進むと、労働者に給料を払う際に、2つの働き方の区分をしなければならないのでしょう。
・時間に対して払う=工場労働者、一般の職員
・成果に対して払う=管理職や専門職
というのが、わかりやすい分類ですが、一般の職員も家で何をしたか、成果を問われます。すると、これまでお気楽に「職場に行くだけで給料をもらっていた人」は、給料をもらえなくなります。

4 管理職の仕事が明確になる。
部下にどのような指示を出すか。そして、その成果を評価することが、管理職に問われることになります。
「前例通りにやっておいて」とか「周りの人に聞いてやってください」では、すまなくなります。

ある民間企業幹部は、「これまで考えていたけれど進まなかった、仕事のやり方の見直し、職員削減を進めることができます」と語っています。なるほど、そのようなよい機会かもしれませんね。

薄れゆく方言、私の場合

2020年5月7日   岡本全勝

薄れゆく方言」の続きです。笑い話として読んでください。

35年ほど前に鹿児島県で、職員から「鹿児島弁に慣れてください」としかられました。そこで、努力しましたが、ぜんぜんものになりませんでした。教育界の重鎮である新納先生(「にいろ」と読みます)に尋ねたら、「18歳までに習得しないと、無理でしょう」と言われました。それで、努力を止めました。

私は、その後も、関西標準語を通しています。総理大臣との会話でも、意思疎通に苦労したことはありません。ただし、何かの会議で「全勝さんも、(東京)標準語を話すことがあるんですね」と、参加者から指摘されたことがあります。「不覚だった」と反省しました(笑い)。

NHKテレビにも、雨の予想を伝える予報士さんに向かって「アメと違う。アメや」と叫んでいます(前のアメは東京アクセント、語の後ろが低い↓。後ろのアメは関西アクセント、語の後ろが高い↑。これに、疑問の場合の後ろ上がりのイントネーションが入ると、さらにややこしくなります)。「関西弁は奥深い
とはいえ、私も奈良の実家に帰ると、親族たちの話している奈良弁と、私の言葉が違っていることに気づきます。

過去の記事「皇太子殿下の前で」「清朝の高官との違い」「シャンポリオン」「去年も同じ話題」。何度も同じことを言っていますな。反省しなはれ。