12月9日の日経新聞夕刊コラム「十字路」は、「東証社長は辞任すべきだったか」でした。
・・・なんとも後味の悪さを残す処分だった。東京証券取引所のシステム障害と売買停止の責任を取り、宮原幸一郎社長が11月30日付で辞任した。本人が強い意志を固め、自ら辞任を申し出たという・・・それでも、果たしてトップが辞任する必要があったのかは議論の余地があろう。
海外取引所もたびたびシステム障害を起こすが、トップの辞任に発展した例は聞かない。11月にほぼ終日売買を止めた豪証券取引所は、おわびのリリースを出しただけだ。
東証は過去に大規模な障害を起こした反省から「ネバーストップ」をスローガンに掲げ、絶対に止まらないシステムの構築を目指してきた。
だが絶対に止まらないシステムなど存在しない。止まるたびにクビを差し出していては、いくらクビがあっても足りない。東証自身もいうように、障害が起きた際の「回復力(レジリエンス)」を高めることの方がより重要だ。
今回の東証のトップ辞任の根底にあるのは、常に完全無欠のシステムを求める日本社会に特有の暗黙の前提だ。それが東証の萎縮や過剰な品質を招きかねないリスクに、我々は目を配るべきだろう。
今回の売買停止に対し、内外の投資家からは不満はほとんど出ていないという。金融庁は「投資家の信頼を著しく損なった」と東証を批判したが、そもそも投資家が寄せる期待はそこまで高くなかったということだ。市場の魅力を高めるために、やるべきことは山積する。東証に萎縮している暇はない・・・
同感です。失敗や不祥事が起きると、おわびの記者会見があり、その際に「今後二度とこのようなことのないようにしてまいります」と発言があります。それを見ていて、時に「そんなの無理だよな」と思うことがあります。
原発事故は起こしてはなりませんが、自動車事故はしょっちゅう起きます。職員の不祥事も、職員数が多いと完全に防ぐことは無理です。
記者会見で社長を追求している記者さんだって、属している会社が「絶対不祥事を起こさない」とは考えていないでしょう。