渡辺利綱・前大熊町長「中間貯蔵一人腹固めた」

9月22日の福島民友新聞「震災10年証言あの時」に、渡辺利綱・前大熊町長の「中間貯蔵一人腹固めた」が載っています。

・・・「全てを話すことはできないのだが」。前大熊町長の渡辺利綱は言葉を選びながら語り始めた。渡辺は中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)の建設受け入れに至るほぼ全ての流れを知る数少ない”証人”の一人だ。東京電力福島第1原発事故後の除染で出た県内の汚染土などを保管する施設の建設は、本県全体の復興に欠かすことができない重大な決断だった。受け入れの背景に何があったのか・・・

・・・原発事故で県内各地に拡散した放射性物質を除染し、その過程で出た土壌などをどこかに集約しないと環境再生は進まない。「理屈は分かっているが、それが大熊なのか」。渡辺には割り切れない気持ちの中で、どうしても頭から離れない考えがあった。「放射線量が高い大熊町の土を、どこか引き受けてくれるところがあるのだろうか」。渡辺は一人、受け入れへと腹を固めていった。
町民への説明の前、町の担当課長が「反対意見が多かったら引き受けられませんね」と言った。渡辺は「反対してどこかに決まるのなら、俺もどこまでも反対する。だが、現実はそうではないだろう」と諭した。渡辺は、復興支援策や賠償基準と複雑に絡み合う政府交渉に心血を注いでいく・・・

・・・「(震災当初の双葉町長だった)井戸川克隆町長は受け入れに反対だったように、双葉郡が一枚岩で施設の受け入れを協議するという雰囲気ではなかった。誰だって首長は自分の町や町民がかわいいわけだから。それを露骨に出したりしたら、とても施設の問題は解決しない。解決しなかったら福島の復興は進まない。そのような状況で、建前と本音を使い分けて話していた」
「自分の場合、大熊町長という立場で『大熊町の汚染された土壌をどこが引き受けてくれるんだ』と考えていた。町政懇談会をやる日程を組んだ時、担当課長から『町長、町政懇談会をやって反対が多かったら引き受けられませんね』と言われたが、『その気持ちは分かる。でも大熊町の土をどこが引き受けてくれるんだ。反対してどこかが受けてくれるなら、俺も最後まで反対してもいいんだ』と言った」
「正直に言えば、反対している方がトップとしては楽だったと思う。『町民が反対だから』と町民を前面に出して。でも、現実問題としてどこまでそれを通せるのか。通していったら、結局は町民が困ることになると思っていた・・・

渡辺町長には、難しい・苦しい判断を、何度もしていただきました。全町民の避難、遠く離れた会津若松市での暮らしなど。そして、中間貯蔵施設の受け入れ。町長の勇気ある決断で、難しい物事が進みました。
みんなが嫌がる中間貯蔵施設を、誰かが引き受けなければならない。町長の証言には、他の自治体の「無責任な発言」への反発も書かれています。
時間が経つと、この難しい決断とともに、嫌がる施設を大熊町と双葉町が引き受けてくれていること自体が、忘れられます。
それは、第一原発で増え続けている処理水も同じです。「タンクにため続けよ」とか、「先送りしよう」という発言は、この2町がタンクを受け入れていることを忘れています。もし「タンクにため続けよ」と発言するなら、「そのタンクを、私のところで引き受けますから」という発言を合わせてして欲しいです。

町長の証言の最後には、次のような言葉があります。政府関係者は、忘れてはならないことです。
「ただ、大川原地区の整備が進められているものの、町全体から見ればまだまだだ。今でも国の一部には『住民が帰らないところにお金をかける必要があるのか』という考え方があるように感じる。しかし、震災直後から言ってきた通り、帰る帰らないは町民が判断することであって、帰る環境をつくるのは国と東京電力の責任だ。そこは必ず守ってもらうつもりだ」